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明日、死ぬかもしれない。




死を意識したことはありますか?
私は正直、ほとんどありませんでした。

夫は小さいころ、体が弱かったこともあり、小学生の頃には、死を意識し、恐怖を覚えていたそうです。


突然死


実は、一昨日、夫の友達が亡くなりました。

突然死でした。死因は不明です。


自宅でいつも通り、毛布を丸めて枕にして横になっている状態で発見されたそうです。洗濯機を回し、テレビもついていたそうです。

その日会う予定だったパートナーが、連絡がとれず自宅へ訪問するも応答がなく、本人母に様子をみてもらうよう依頼。
合鍵で訪問した母親が、まるでただ横になってうたた寝しているだけのいつも通りの息子を発見。
冷たくなっていたそうです。

享年39歳。


夫にとって、スポーツトレーナー養成学校の学生時代から旧友。
お互いをリスペクトし合う20年来の友達。
彼は10代でプロ格闘家となり、夫もその後格闘家となり、彼にセコンドについてもらったこともある仲でした。

最近はお正月の挨拶程度だった交流でしたが、昨年9月に久しぶりに再会。

背中にしこりがあるという身体の異変を相談され、食や生活習慣に関するアドバイスで症状は改善はしていましたが、元々多かった飲酒量は大きくは変わらなかったようです。

食べものは食べずにお酒だけを飲むことも多かったようですが、そこも改善しつつあったとのこと。


今年に入り、6月、7月末、8月頭と立て続けに会っていました。

「心から話せるヤツはそういない、山ちゃん(夫)くらいだ」
と話していたようです。


突然の出来事ではありましたが、夫は仕事を調整し、彼の最期に立ち会うことができました。

帰宅後、「もっと話したかった・・・」と涙していました。

納得する自分と後悔する自分がいる。

夫婦で話をして、なんとなくわかったことがありました。


彼の死から学んだこと

この出来事から、彼の在り方から、学んだこと。


まず、なぜ後悔の気持ちが生まれたのか。

それは、

「70歳になっても、また格闘技やろうぜ!飲もうぜ!」

という言葉をかけられなかったからでした。


一緒に楽しいことやろうぜ!という未来…

このビジョンを彼と共有できなかった、
このビジョンを彼の中に生み出せなかった。


「きっと、彼は“そんなこと思ったことなかった”と言いそうだ」と夫は言います。


「イメージできないことは現実化しない。」


彼は、生への執着がなかった。欲がなかった。
生きるビジョンがなかったのかもしれません。

リハビリ病院で、私は、人間はそう簡単には死なないということも目の当たりにしてきました。

大病して、体に障がいをもっても、認知症になっても、寝たきりになっても、すぐに死ねないのです。

それでも彼は、きっと苦しむこともなく、すっと生を終わらせました。

人間の魂、精神、肉体・・・
何か、彼の魂と肉体が乖離して、肉体を繫ぎ留められなくなって、生命を終わらせたのかもしれない。

肉体の不具合が先かもしれない、
魂の精神の不具合が先かもしれない、
どちらが先かはわかりません。

でも繋がっています。

なんのこっちゃ?かもしれませんが、
私たち夫婦には、そんなことがイメージされ、話していました。


潜在意識が現実をつくる


人間の顕在意識はたった5%。
残り95%は潜在意識です。

その潜在意識で何を思っているか。
どんな願望を持っているか。何をイメージしているのか。

それこそが、現象化する。

量子力学を学んで理解していたことですが、まさか、生死に対する現象化がリンクするとは・・・


改めて、潜在意識で、真の心で何を思うか、どんな願望を持つのか、の大切さを気づかせてもらいました。


教えてくれた大事なこと


私たち夫婦は、それぞれ、健康をサポートする仕事をしています。

彼の死が、私たちに教えてくれたこと、

それは、

健康になる術、方法論を伝えることよりも前に、

この先をなんの為に、どう生きるのか、
目的、ビジョンを引き出す、共有する、巻き込むことがまず大事だということです。

生きる活力、生きる喜び。

自分たちと接することで、そういったものを届けられるようになりたい。


彼に対しできたことは、生きる活力を届けることだったのかもしれません。


後悔しない人生


私が、電話で少し言葉を交わしただけの、会ったことのない彼の訃報を受け、一人で感じたことは、もっと何かできたんじゃないかと後悔のようなざわざわした気持ちでした。

それは、以前、夫から、「彼が健康面での問題を抱えていて、何かアドバイスできる?直接話してもらうといいかも…」という話をもらっていたからでした。

何か力になれたかもしれない。
どうして何もしなかったのかな?

でも、死因不明と聞いて、私の出る幕ではなかったのかもしれないとも思いました。


ただ、この「何かできたんじゃないか?」という気持ちを見過ごすことはしたくないと思いました。

自分の目の前にいる人にとって、明るい未来のためによいと思ったのであれば、「どう思われるか」なんてことは横において、「愛と感謝」の気持ちでよいことをよいと伝えられるようになる。

それが後悔しない人生になると思います。


自分がよいと思ったことをよいと伝えられる自分


できるときに、できることをやる。
やりたいときに、やりたいことをやる。

自分がよいと思ったことは、周りの目を気にせず、やる。

良心に従って。

まずは、自分が本当にやりたいことを明確にすること。

ここに取り組んで参ります!


人生の最期に味わう感情


誰もが、いつ死ぬかわかりません。
明日、死ぬかもしれない。

私は、明日、死んだら後悔します。

それは、まだ魂が求める生き方をしていると思えないから。

やり切った!と思えないから。

あと40年、50年、60年あるかもしれない人生。
それは、今をどう生きるのかの積み重ね。

人はいつか、死を迎えます。

その時、どんな感情をもって死ぬのか。

あぁ幸せだったと思える人生。
あぁやり切ったな、最高だったな、ありがたい人生だったなと噛みしめて死にたい。

その為には、心の底からの最良願望に、全力で、真剣に生きる。

そこに向かって、日々を大切に生きます!

それが、いのちを輝かせることにつながると信じています。

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