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海老太郎

海老太郎

海老太郎2


パリの有名な団体に日本のバレリーノがいる。
初めて彼の舞いを目にした時の衝撃は今も忘れない。
そのしなやかな四肢は逞しい筋肉に包まれいたが、それでいて男性的な硬さを感じさせない。真綿のように柔らかく、うっとりするほど美しい曲線を描きながら彼は踊った。
 彼がプリンシパルとして演じた公演の後、嬉しことに食事を共にすることができた。
シーフードが好きな彼は、特にエビをこよなく愛した。
他の人より自分の皿の中のエビが多いことを恥ずかしそうにしながら
「自分、エビに目がないもんで」
とはにかんだ。
 それからしばらくして、彼がバレエ団を退けたことを知った。
その理由が怪我なのか、心の問題なのかは分からないが、彼のダンスに夢中だった私はすぐさま様子を見に、日本へ飛んだ。  
久方ぶりに目にした彼を見て、私は言葉を失った。かつてのようなしなやかさが微塵も残っていなかったのだ。
それでも気の良い彼は、遠方から来た私を迎え入れて、行きつけの料亭で新鮮な海の幸を振る舞ってくれた。
 大皿に彩られた刺し身を前にしても、彼の変貌が受け入れられない私はひどく口が重かった。
あの瑞々しい筋肉などは全て落ち、筋張って骨と皮になってしまった彼。恐ろしいほど長く伸びた髭の先が、カウンターにまで落ちている。そして何より、天から頭を紐でつるされたかのようにぴんと伸びていた姿勢が、今や見るも無残だ。
彼は大皿を前に瞳をきらめかせながら刺し身を物色し、ひとつを小皿に取った。
ああ、そうだ。今の彼はまるで…
「自分、エビに目がないもんで」

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