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ニセモノが得する世界

幸せは常に移ろいはするけど、去ってはいかない。幸せは常に良いものだけど、いつもハレバレしくウキウキしているものである必要はない。幸福には反対側もないし、浮きも沈みもしないけど、決してつまらないものではない。
 
お気づきのように、ワタシは幸福(幸せ)という言葉を、通常とはまったく違う方法で使っている。なぜなら、まったく新しいことを語る場合、まったく新しい方法でこれらの言葉を使わなければならないからだ。
 
こういうやり方が好きじゃない人がいるかもしれない。型通りの物事に心地よさを感じている人たちは、自分たちが知っている意味でその言葉が使われていないと、うとましい。彼らは危険を察知して、子供みたいに辞書に駆け寄って、自分を守ろうとする。そういうのやめてください!
 
ワタシがここでキミと語り合っていることは、本で調べたりググったりして知り得れるようなことではないことを忘れないでほしい。知識は重宝するし、それを役立てることもできる。でも、幸福とはキミ自身のことであり、キミが何を知っているのかは重要なことではない。
 
もしキミが幸せでないなら、幸福とか幸せの真実とかを伝えたとて、ちっともオモシロくないだろう。なぜならキミを非難することになるからだ。キミの考えでも、能力でも、信念でもなく、キミの存在自身をね!
 
 キミがオモシロくないと思っている証拠テストをやってみよう。
1.     キミには不幸になる権利はない。絶対にない!
2.     キミにはニセモノである権利はない。それもない!
 
どう?この2つのアイディアを読んで感情的になっちゃった?言い返したくなった?自分には、これこれこういう理由で不幸になる権利があるんだーって正当化しようとした?嫌な気分にさせちゃったかね?ね?
 
それともただただ納得できない?読むのやめよーと思った?しょーもな、って?
 
もしそうなら、キミは幸福快楽真実知識を混同していることになる。生きている限りなんぴとたりも痛みを避けることはできないゆえに、キミには痛みを感じる権利がある。そして無知である権利もある。この世の全てを知っている人なんていないもの!
 
でも、キミには不幸である権利はない。なぜなら、キミの存在自身が幸福だから。ニセモノであるはずもない。キミの存在自体が真実なのだから。
 
人生でひとつだけキミに責任があるとすれば、それはありのままのキミでいること。ニセモノのキミじゃなくて。もしかしたらニセモノの方が楽だわーと思っているかもしれないねぇ。なぜならこの世界ではニセモノが得する仕組みになってるから。ニセモノが人気者になったり大金持ちになったりして、自分はホンモノだと勘違いしちゃうんだな。そして誰かにニセモノ呼ばわりされたら、たとえ(ニセモノであることで)死にたいくらいに不幸せであっても、いや自分はニセモノじゃないんだと必死でニセモノ担当のキミがキミを守ろうとするだろう。そしてイライラの原因である人やモノに当たり散らす。
 
キミの中にいるニセモノ担当が、ワタシの話が気に入らない理由を見つけ出して、キミをイライラさせているわけだ。ここが嫌いだとか、だからこの猿ムカつくんだよとか言ってね。イイワケが思いつかない場合は、こんなつまらない文章は読まなくていいわ、と放り投げちゃったりね。
 
ニセモノのキミが主導権を握っていると、本体のキミは気持ちよくてのんびりできるほうを選ぶんだろう。快適・楽チン・無痛オプション。
 
ニセモノのキミに負けないキミがいれば、キミらしくガッツリ真実と向き合えるんだ。そしてより強くなる!それはキミが最終的には真実の幸福をつかむということ。とんでもなく幸せになるんだ!

真実は、痛い。1に続きます。

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