ヴォクスマーナ 第50回定期演奏会
渡辺俊哉(b.1974)/「影法師」12声のための (2016委嘱作品・再演) 詩:谷川俊太郎
北爪裕道(b.1987)/「空間のエチュード」for 8 voices(委嘱新作・初演)
鈴木治行(b.1962)/「閉曲線」for 8 singers(委嘱新作・初演)
伊藤弘之(b.1963)/ 声楽アンサンブルのための「悲しみの秋」(2023委嘱作品・再演)
伊左治直(b.1968)/ ノルディック・ジョーク(アンコールピース26委嘱新作・初演)詩:池辺晋一郎(補作:新美桂子)
演奏:ヴォクスマーナ
指揮:西川竜太
第50回という節目の演奏会。これからも精力的な活動に期待します。
渡辺作品…響きが繊細で美しい。プログラム・ノートに「聞こえてくる言葉からその言葉の意味を理解しようとするのか(つまり言葉を聴くのか)、それともそこに立ち現れる音の響きを聴くのか」に関心があったと記されている(誰が「聴く」のかが明らかでない点が気になった)。だが、そもそも、テクストはかなり細断されていて、明瞭に聴き取れるのは「ながれる」「かげぼうし」など単語がいくつかのみである。それゆえ、響きvs意味という明確な対立軸が想定しにくい。また、アンサンブルは前列4名・後列8名と分割されているが、各演奏者の動きの差異がさほど明確でなく、分置の効果は弱い。後列の一部のパートのみの和音がふっと聴こえておもしろい箇所があった。演奏者間の距離をもう少しとって、空間的な効果を強調した方が良かったか。
北爪作品…開始時は、ステージ上に6名、客席前半分を囲んで4名が配置される。前半は音像移動を味わう趣向で、あたかもクセナキスの「ペルセファッサ」を声で演奏しているかのような印象を受ける。技術的には非常に高度で、メンバーの技量があらわれているのだが、新しさはあまりない。後半、演奏者たちがステージから客席に降り、移動しながら演奏する部分はおもしろい。最終形態は、ステージに男声4名、客席に女声6名の配置で、後方から聴こえてくる女声の響きが美しかった。
鈴木作品…ごく粗くいうと、同じふしを8パートで僅かずつずらして演奏する作である。そのずらし方も奏者間で少しずつ異なるなど、ライヒの「クラッピング・ミュージック」を高度に複雑化したものといえるか。作品の趣旨はー少なくともその一部はーミニマル的なものへの志向なのだろうか。だとしたら、音響的な変容とそのメカニズムがある程度把握できることが必須だと思う。しかしながら、本作は素材自体がかなり長くて複雑なので、極めて混沌とした音空間が発生し、僅かなずれ方の変化を十分には聴取できない憾みがある。今回男声・女声4名ずつによる演奏だったけれど、男声のみ/女声のみなど、声域を均一にしたほうがわかりやすかったか、などとも感じた。また、非常にchaoticな声の流れを途中2回一旦停止して、再起動する箇所がある。停止の前後で音の風景はさほど変わった印象がなく、なぜそこで断ち切られるのか、必然性がよくわからなかった。
伊藤作品…3月に聴いた初演とは大きく異なる印象を得た。初演の際もおもしろく聴きはしたのだが、思い返してみると、微分音がそれほど際立たないように感じていた。今回は、微分音が非常に明瞭で安定しており、全体によく練れた演奏で聴き応えがあった。特に「第二章 そして冬へ」はうねるような動きが美しい。プログラム・ノートには、「この作品の構想を練り始めた2022年の秋以降、作曲中に、何人かの、とてもお世話になった人たちを立て続けに失った。自由に聴いていただきたいが、今回の作品にそのことが、確かに反映しているように私自身は感じている」と記されている。本作には、表情を適正に抑えたlamentation(哀歌)といった趣があった。演奏に先立つトークで作曲者は、このグループは初演してそれきりではなく、時間をおいて再演してくれるのがありがたいと語っていた。今回の再演はそういう取り組みが吉と出たのだと思う。
アンコール・ピースは池辺氏のだじゃれ歌に伊左治氏が作曲したもの。サマーフェスティバルでのだじゃれがここまで追いかけてきたような気がした。これもわたくしの「業」というものかと思いつつ帰途についた。(2023年 9月29日(金) 台東区生涯学習センター・ミレニアムホール)
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