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ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会

近藤 譲(b.1947)/「薔薇の下のモテット」12人の声のための(2011委嘱作品・再演) 詩:蒲原有明
徳永 崇(b.1973)/ しかたがない世界(委嘱新作・初演)
伊藤弘之(b.1963)/ 声楽アンサンブルのための「悲しみの秋」(委嘱新作・初演)
近藤 譲(b.1947)/「嗟嘆(といき)」11人の声のための(2017委嘱作品・再演) 詩:ステファンヌ・マラルメ 訳:上田敏
伊左治直(b.1968)/ いしさがす(アンコールピース25委嘱新作・初演) 詩​:小沼純一

近藤作品「薔薇の下のモテット」…蒲原有明の詩による作。詩のことばは、複数のパートに散りばめられ、かつ別個のフレーズが輻輳するため、ほとんど聴き取ることができない。が、時折「浮漚(うきなわ)」などの単語が聴こえてくると、それに続く詩句を耳が追いかけ始める。途端に音響に意味づけがなされ、例えば音の空間移動が感じられたりするのがおもしろい。

徳永作品…タイトルにある「しかたがない」という言葉を出発点として、ことばを少しずつ縮めたり、音位を転倒させたりする。それと並行的に次々に楽想が交替しつつ展開していく。辞書の見出し語を読んでいくようなおもしろさがある。そして、忘れた頃に既出の単語が戻ってきたりと、輪舞風でもある。高音部から低音部へと急速に受け渡されるなど技巧的な部分も多く、難度が高そうだけれど、淡々と演奏を繰り広げていて、このグループの技量に舌を巻いた。

伊藤作品…ことば未満の音声がのたうつように歌われる部分が魅力的。その中から時折、意味を持ったことばがふと立ち昇ってくる。微分音によるものか、時々中央アジアや中東の音楽のような響きが聴こえておもしろい。

近藤作品「嗟嘆」…ドビュッシーの「ステファヌ・マラルメの3つの詩」の第1曲と同じ詩による作。プログラム・ノートはドビュッシーと本作における解釈の違いに言及し、それは訳詩者である上田敏の解釈が作用しているだろうと述べる。まさしくその通りで、加えて上田訳が文語、とりわけ古風な五七調を用いているところも作用していると感じた。けれども、曲が始まると、古めかしいはずのことばが、不思議な鈍い輝きを纏って立ち上がる。もちろん作曲の技法によるものなのだけれど、このアンサンブルの、ことば、特に日本語に対する姿勢も大きいと感じた。

伊左治作品…小沼純一氏の詩によるアンコールピース。河原に転がっているような、ごくありふれた石と、人間との関わりをいくつかの動詞によって歌う。爽やかな佳品。

基本は伝統的な発声・発音による演奏なのだけど、日本語がとてもよく聴こえると感じる。このアンサンブルは日本の、自分たちと同世代の作曲家に作曲委嘱を長くおこなっている(作家と奏者の距離が適度に近いこともこの活動を長く持続させている要因だと思われる)。それゆえ、必然的に日本語で歌う場面が多いのだろう。その蓄積の中でことばに対する意識が研ぎ澄まされ、日本語歌唱についても独自の知見を積み上げているのだと推測する。次の公演もぜひ足を運びたい。(2023年 3月23日 豊洲シビックセンターホール)

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