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対コロナウイルス論 ⑥ファクトチェック

この連載では、新型コロナウイルスCOVID-19に対して、私たちがどのように立ち向かっていけばいいかを考えていきます。

前回は、データベースの不完全性を克服するために、積極的に情報を共有し、世界中の人が同時にそれぞれのデータベースをアップグレードさせる必要があると書きました。

この連載で協力の重要性を何度も主張してきましたが、市民は本当に協力をすることができるのか?僕たちは今、試されていると言えます。

先週末から週末の外出自粛要請が出されました。週末に、渋谷のスクランブル交差点などに設置された定点カメラによるライブ中継を多くの人が見たのではないでしょうか?外出自粛要請が出たとはいえ、様々な事情があって外出をしている人はいます。その人たちを見て、人々はどのような反応をするのか。相互監視によって、監視する側もされる側も、自身の言動を自主的にコントロールできるようになるのか。それともSNSに悪口を書き込むなど、協力とは真逆の分裂の道を進むのか。これらのことを試されているのです。

「自粛ではなく、禁止して罰則を設ければいいのに」こういった発言も多く見受けられました。個人的なことを言うと、この発言は実に短絡的で、危険なものだと思っています。確かに、外出が禁止になれば、外出を中止せざるを得なくなり、感染の拡大を防ぐことはできるでしょう。しかし、それと同時に僕たちの市民権も剥奪されかねないのではないでしょうか。

https://twitter.com/resistance1116/status/1243468611085152259?s=20

感染拡大を防ぐためには、その程度の対応は当然だ。そう主張する人もいるでしょう。確かに「一時的な」対策としては有効です。しかし、それは本当に「一時的な」もので終わるでしょうか?この危機が過ぎ去ったとしても、緊急事態が起こる可能性は依然として存在し続けます。その時のために恒常的に、僕たちを監視して、罰則を与えるかもしれません。そして、次の危機が起きたときに政府が真っ先に行うのは、僕たちの市民権を剥奪し、監視を強化することかもしれません

僕は、政府の皆さんが国民を信頼していると信じています。しかし、信頼してるからこそ、国民は試されているとも思っています。僕たちがこのことに気づき、政府の試みが適切かを判断し、政府を国民が「監視」できるようにするためにも、協力して十分な情報を手に入れることは欠かせません。

勿論、情報を手に入れる際に、注意しなければいけないこともあります。それは、「情報を鵜呑みにしてはいけない」ということです。発信する側もファクトチェックを欠かしてはいけませんが、それでは積極的な情報発信が妨げられてしまいます。だから、受け取る側のファクトチェックはより重要になります。疑うことは信頼しないことではありません。むしろ、信頼することは疑うことから始まります。皆さんは同僚と初めて会った時、彼はどんな人なのかと、その人のことを疑い、よく様子を観察するでしょう。それと同じように、手に入れた情報もいったん疑ってかかる必要があります

フェイクニュースには一定の特徴があります。

あまりにも巨大な数値が示されていたり、極端な形のグラフが描かれていたり、聞き覚えのない公的機関やその発表がやたらと出てくる場合には疑うべきです。反対に、有料のものや実績のある雑誌や学者が発表している情報はおそらく信用してよいでしょう。ただし、そこにも嘘が紛れている可能性はあります。なぜなら、この危機において、「悪意のないデマ」が多数存在しているのですから。

どんな情報に対しても、ファクトチェックをすることを怠ってはいけません。また、情報を発信する際も受け取り手がファクトチェックをしやすいように、引用部を明確にする、出典を明記するなどの配慮をする必要もあります。

この記事のまとめ

僕たちは今、本当に協力ができるのか、試されています。

僕たちが、力をつけ、効果的に協力していくためにも、十分な情報を持つことは欠かせません。

信用の基準は明確ではないので、どんな情報も一度疑ってかかる必要があります

次の記事では、医療の問題について考えていきます。医療を守るために僕たちに何ができるのでしょうか?そして、今の僕たちの行動は適切なのでしょうか?よかったら読んでください。

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