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対コロナウイルス論 ③信じたほうがいい嘘⑵貨幣と幼児差別者

この連載では、新型コロナウイルスCOVID-19に対して、私たちがどのように立ち向かっていけばいいかを考えていきます。

前回は、「悪意のないデマ」が流れるという異例の事態が起きていることを書きました。


しかし、フェイクニュース(嘘)には悪意がつきものだという前提が間違えているのかもしれません。なぜなら、世界の重要な基盤には多くの「嘘」が存在するからです。その最高の例が、貨幣です。貨幣は本質的には単なる紙くずと金属片です。貨幣に本質的な価値はなく、食料や衣料といった本質的な価値を持つものを手に入れるための手段にすぎません。しかし、貨幣がなければ世界は回らないでしょう。なぜなら、僕たちは貨幣を信頼しているからです。

これは、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』に出てくる例です。同書(『サピエンス全史』上,柴田裕之訳,河出書房新社,2016年)には以下のように書かれています。

人々は互いに理解不能の言語を話し、異なる規則に従い、別個の神を崇拝し続けたが、誰もが金と銀、金貨と銀貨を信頼した。この共有信念抜きでは、グローバルな交易ネットワークの実現は事実上不可能だっただろう。(中略)貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、人種、年齢、性的思考に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼しあっていない人どうしでも、効果的に協力できる。 (229~230頁より)

「噓も方便」ということわざもあるように、何かを要領よく進めていくためには、時として嘘も必要になります。そして、実際に僕たちの生活を支えているものの多くは嘘である場合が多いのです。

もし、皆さんが貨幣を信頼することを辞めたとしたら、皆さんの生活は大きく混乱するでしょう。一方で、ヒラリー・クリントンは幼児差別者であるという嘘を支持者が信頼したとしたら、彼らは大きく混乱するでしょう。

これらの「信じたほうがいい嘘」「信じてはいけない嘘」の間に厳密な区別はなく、嘘のすべてが肯定されるわけでも否定されるわけでもありません。正直に言って、何を信頼するかは個人の価値観や倫理観にかかっているのです。

この記事のまとめ(これまでのまとめ)

ここまで3回を使って、この世界的危機に、僕たちは何をしなければならず、何に注意しなければならないのかを見てきました。僕たちは、世界で何が起きているのかを、積極的につかみ続ける必要がありますが、信用する情報と信頼しない情報をはっきりと区別しなければいけません。

次の記事では、僕たちが日ごろ手にする情報がいかに断片的なものなのかを考えていきます。よかったら読んでください。

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