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雑穀ごはん

午前の仕事がひと段落し、私は少し早いランチをとることにした。オフィスを出て当てもなく歩いていると、いつも行列のできているカフェが店を開けたばかりのようで、まだ誰も並んでいなかった。せっかくだからと店に足を踏み入れると、黒板に手書きの文字で3種類のメニューが書かれているのが目に入った。

  • 日替りランチ(チキンソテー)

  • お肉ランチ(ビーフシチュー)

  • お魚ランチ(サーモンムニエル)

メニューの端には小さく『白ごはんか雑穀ごはん』と書いてあった。注文を取りにきた店員に私が「日替りランチ」と告げると「ごはんはどうされますか?」と聞かれた。私は迷わず「雑穀ごはんで」と伝え、午前の仕事を終えたことを実感した。
ランチが運ばれてくるまでの間、店にはひっきりなしに客が入ってきた。12時を待たずしておそらく店の外には行列ができているだろう。些細な優越感を感じながら待っているとランチが運ばれてきた。メインの皿にはチキンソテーとともに色とりどりの季節の野菜が添えられている。テーブルには、味噌汁のお椀と、小さな茶碗に盛られた雑穀ごはんも並べられた。
別に白ごはんが嫌いなわけでも、雑穀ごはんが特別好きなわけでもない。ただ貧乏性な性格の私は“せっかく主食としてたべるのであれば身体に良いものを”という気持ちが働いてしまうのだ。実際に私は子供のころ、親に「うちは貧乏だから」と言われて育ったような気がする。しかし今になって考えると、裕福ではないものの、恵まれた家庭で育てられたと思う。母はいつも私の健康を第一に考え、限られた予算の中で“身体に良いもの”を選んでくれていた。そのことは日々の生活の中でも時折思い出す。例えばコンビニエンスストアで豆乳のパックを見た時なども。

母は、私が生まれてまもない頃から仕事を再開していた。家計の足しに、という思いもあったと思うが、それよりも社会に出て働くことが好きだったのだと思う。母は「あなたが病気になったら私は働けなくなって大変だから、食生活には気を遣ったわよ。」と大人になった私に教えてくれたことがある。
小学生の頃、学校が終わって家に帰ると、ときどき訪問販売の女性が家に来ていた。少しふくよかなその女性は、私の家に来るとだいたい、リビングで母と健康に関する話をしていた。私はその話に耳を傾けることはなく、その日購入したパンや、豆乳をもらってひとりでたべていたことをよく覚えている。私と母はその女性のことを“豆乳のおばさん”と呼んでいた。
豆乳のおばさんが帰ると、母は教わった知識を私に披露してくれた。ローズヒップという果実が原料のサプリメントの必要性や、インスタント食品の身体に対する影響、胚芽米の栄養価など、小学生の私にとっては興味のない話だったが、その話が大切な話だということは感じていたのだろう。40年以上経った今でも、豆乳のおばさんが居た光景と、母親から聞いた健康に関する話のいくつかは覚えている。

子を持つ親であれば、誰もが子供に「健康に育って欲しい」と願うのは当たり前のことだろう。私がそのための手段を考える時、一番最初に食生活のことに思いを巡らすのは、幼少期の母からの影響が大きいのだと思う。
先日妻と相談をして、2歳の息子の主食を、雑穀を混ぜたごはんに変えることにした。息子は嫌がることなく白米と同じようにたべてくれているが、もう少し大きくなったら好き嫌いが激しくなり、嫌がるようになるかもしれない。その時は私が母から教わったように、息子に健康の大切さを伝えていこうと思う。
さらに息子が大きくなり、働くようになった頃、もし彼がランチで雑穀ごはんを選んでいたら、私は母から受け継いだ思いを息子に継承できたと実感するだろう。

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