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折れたまま、生きる

前回の記事で、夫のちょっとした一言が引き金になり、自分の中のブレーカーが落ちてしまった話をした。

あれから2ヶ月近く経つけど、相変わらず、自分は一体どういう状態なのか、自分でもわからない。

でも前回記事のような重量のある無気力は少し遠のいたように思う。
冗談じゃなく、ほんとに、金色のガッシュにでてくるブラゴの技をくらったようで(伝われ…)
あれは物理的な重さがあった。


何より辛いのはそんな状態なのに腹は減るということ。
洗濯する、料理する、仕事に行く…
本当はそんなことしてる場合じゃない
できるハズない、
なのに表面上、生活できている

なんなら仕事中は苦しかった自分を忘れてしまうほどで、
あれ、なんで苦しいんだっけ?
いまって辛いんだっけ?

苦しかった、だけど私自身にとって大事な出来事だったはずなのに…

そんな残酷な日常にまた絶望したりして…

生きることからも逃げて、
でも人生を終わらせたいわけでもなく、
ただただ人生そのものから逃げて、
布団を被っていたかったなぁ


そんな今日この頃、
あるYouTubeチャンネルと出会った。


動画のサムネイルを見てると、
あ…私かも…と思ってみてみたり、
そういう人もいるのかなぁと思いながら見たら、まるきり自分に当てはまったり。

動画をちょこちょこっとみてわかったことは、
自分はたくさん、たくさん、傷ついてきたこと、
そしてそれを私なりのもがき方で直して、もう傷つかないように努力してきたこと。

そして、

そのことを全く自分自身で評価・認めてこなかったということ。

学校で出会ってきた友だちと同じような、普通になれない自分がずっと恥ずかしくて、
劣等感でいっぱいで、
でも普通とは違うんだ、それカッコいいじゃんと思う自分もいて…



いま、社会に揉まれて、
いい感じの人格に成長できた自分は、
子どもの頃の恥ずかしかった自分とは訣別したと思ってた。

でも、結局はあの頃の自分と地続きで、


いまさらになって、ありのままの私を誰からも大事にされないツラさが噴出した。


私が折れるのは時間の問題だったのかもしれない。もう元に戻れる気はしない。


折れたまま、今日の晩御飯を食べなくちゃならない。

それは残酷だけど、きっとこの先、穏やかになれる日が来るはず。

だっていままで気づかなかったことに気づいたから。

私はなんかもっといい感じになれる日が来るはず。

いまはそう信じるしかない。

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