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妻、母親、一旦折れる

「ちょっとしょっぱいんじゃない?」

たったそれだけの夫の言葉で、自分の中のブレーカーみたいなものがバン!と落ちて、
いまもまだ、上がらない。

とんでもない重さの無気力がのしかかってきて、
玄関、洗濯機の前、キッチン、
あちこちでしゃがみ込まざるを得ない。

これは一体なんなんだ
自分はどうしてしまったのか
元通りにならないと
どうにかして元気にならなくちゃ

色々試した。

メンタルの本を読んだ。
有料特急で終点まで、意味もなく往復したり。
リフレッシュしたらいいのかもと思って、無理やり平日の夜ホテルに泊まってみたりもした。
それでもダメで50分5000円のオンラインカウセリングを受けた。
最近旦那さんとのコミュニケーションが原因で離婚した妹とも話した。

日記もたくさん書いた。

そして先日、お互いに癒し癒されよう?って言って、2人のお子さんがいる友だちと、子ども抜きで話をしに行ってきた。


でも、全然、変わらない。



知識というのか、情報は得られた。


自分が感情的になってしまうのには、トラウマがあって、トラウマを思い起こさせるキー🔑となる言葉などがある。
例えばキー🔑を夫が発言すると自動的にトラウマが無意識に思い出されて感情的になってしまう。
だからそうなる前に感情的になった事象を客観的に観察し、トラウマを見つけ、キッカケを見つける。引き起こされそうになったら自分に成功体験をさせるおまじないをする。
(頭んなか「メンヘラなとき」があります。より)

とか。

カウンセラーさんには、実家の手助けもなしに、夫婦2人だけで共働きで子育てしているだけで、本当にすごいこと。
周りと比べなくていい、まずは自分は頑張ってるんだなーと認めてあげて。
と、慰められたり。

離婚してシングルになった妹からは、日本の社会は(出だしから壮大w)男性優位に出来上がってしまっている。
彼らは不機嫌を隠さないし、なぜか女性側が彼らのご機嫌を伺い、不機嫌なら私が回復させなくてはと思い込みそれが前提となるような構造だ。
また男性は家庭の中で女性とのコミュニケーションを逃げがち。必要な言葉をかけられない。
友だちと認め合ったり、運動したりすると、自分なんとかなると思えるよ。

というありがたいアドバイスをもらったり。

そして先輩ママでもある友だちからは、所員ちゃんはもっと旦那さんに主張して言っていいと思う、と背中を押してもらった。


脱線かもしれないが、
…そもそもこの記事に脱輪するようなレールはないんだけど…友だちと話して思ったことがある。

子どもも旦那さんも度外視したとして、いま何がやりたい?と聞いたところ、

本が読みたいな、普通の小説。

と言っていた。
本当に言葉が出なくて、涙が出てきた。

そんなささやかな、言ってしまえばなんでもないことが、願い事になってしまうなんて。


私の心が折れた原因はいまいちわからないままだけど、家事負担を一手に担ってしまって心も体もツライとかそれで自分の時間が取れなくてツラいとか、そういうのではなくて。
たぶん、夫による緩やかな人格否定が、仕事と子育ての両立の日々で耐えきれなくなったんではないか。
これがいまのところの仮説だ。


人間には意識がある。それがつまり個人になると思うんだが、
その個人とは喋る肉塊ではなくて、自尊心がある。趣味もある。

どうか、友だちには好きなことをしてほしい。
妻だって、母親だって、人間らしく過ごせなければダメになってしまう。

一見、夫婦で家事も子育ても協力している私でさえ、自尊心が攻撃に合い続けるとダメになった。

まさか心が折れたことで人間について考えることになるとはね。



自分のことながら、なんでこんなことで折れるんだろう思っている。

比べれば、なんて恵まれた環境にいることか。
家事も育児もやってくれる旦那がいて、子育てに理解のある職場がある。実家の母も年に3,4回手伝いに来てくれる。
自分の買い物だってしてるし、

自分でも環境的な問題が思い当たらない。

しかし、身体が動かせなくなる事実がある。

甘えなんだろう、見る人が見れば。
ツラいことは他人と比べるようなことじゃない。

友だちとも言っていた。
誰かと比べたり、まだツラい人はいるんだからと思わないようにしよう、と。

この状態で仕事して、生活できることが意味わからないくらい、奇跡みたいな日々は続くだろう。

また進展があれば書きます。

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