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建築業界にきた文系、困る。

文章を書くのが好き であることがコンプレックスだ。

仕事をしていて、
例えば設計担当の上司が書いた平面図から立面や断面図を起こすとして、
わからない箇所があって上司に聞くと、
さささっとスケッチを描きながら説明して教えてくれる。

私のような部下に丁寧に接してくれる上司が神だってことと、うわ〜かっこいい〜と思うことは置いておいて、
ああ、線で考える人なんだなと毎回思い知らされる。

私はというと、文系根性が染み付いていて、ついつい文章で考えてしまう。
ほら今も、
どうして私は線を書かないで文章で考えてしまうんだろう、
と、文章で考えている。

そういうところだぞ、まったく。

でも聞いてほしい。私は小4から文章で考えてきたということを。

日記

詳しくは定かじゃないが、
母から「日記を書くのがいいって塾の先生が言っていたわよ」と言われて
小4の私は日記を始めた(ちなみに塾に通っていた記憶はない)

といっても毎日書くわけじゃなくて書きたくなったら書くスタイルの日記だった。

兄弟喧嘩してうっかり泣いてしまったとか、
友だちのここが嫌いだ、とか。
大学生の頃は周りがみんなバカだと錯覚して、ありもしない鬱憤を書き連ねたり、
モラトリアムを発動したぐだぐだしたあれこれやら初恋やら。
勤め始めると仕事での人間関係のことだったり。

そんな感じで、細く長く、つかず離れず、でも書くことに支えられてきた。

線で表現する…だと?

しかし建築業界にきた文系は驚いた。みんな線でコミュニケーションするんだ。

専門学校での最初の課題から、文系はかなりついていけなかった。
文章は書けるからコンセプトとかプログラムとかの趣旨、ストーリーは得意だけど、
そんなのは枝葉に過ぎないことに愕然とした。
図面が書けない=課題が提出できない。

午後6時から始まる夜間のクラスには、私のように他分野からきた人もいたけれど、
「美大を出て関係ない職についたけどやっぱり建築やりたい」とか、
すでに工務店やデザイン関係の仕事をしているけど、資格をとれるよう勉強しにきたという人たちが多かった。

だから最初の課題からできる人たちばかりだった。
みんな、線で自己表現できるんだ…
圧倒されたし、
周りをバカにしてきた大学生と同一人物とは思えないほど、友だち全員を尊敬した。

専門学校の課題は文系習慣との戦いでもあった。いろいろギリギリで卒業した。
そこでしっかりと、文系コンプレックスが体に刻まれた。

やはり日記がすべてを解決する

それでも、今もなお、日記に支えられているのは無視できない。

出産と初めての育児があって1、2ヶ月ぶりに書けた日は
久しぶりに頭がスッキリ、気分も前向きになった日だった。
ああ、私にはこれが必要なんだなと思い知らされた。

しかしなんとか「線で考える」を体得したい。

思えば文章も仕組みは似ているはずなんだ。
紙かあるいは画面に出力して、出力したものを目で見て観察して、
自分の頭の中にあった頃のものと同じなのか違うのか、
どう違うのか、
確かめ、消して、再び出力し直す。

思ったのとなんか違うけど、出力側がいい場合もある。
出力したものを見て、違うアイデアが浮かんだり、やるべきことを思いついたりする。

そういう意味では、線で考えるも文章で考えるも一緒といえば一緒だ。

文系コンプレックスをなだめ「線で考える」を受け入れていこう。
手初めに、我々の日記に絵を、なんでもいいから絵を、迎え入れようじゃないか。

たぶん線で考えられる人たちは授業中とかノートの隅に落書きしてたはずなんだ。
痛々しいポエムじゃなくて。

そういう根本的なカルチャーの違いを乗り越えられるのか自信がないが、
乗り越えられた日がきたら、記念すべきことなので再びこのテーマで記事を書きます。

だって文章が楽しくて、記事を書くのが億劫じゃないんだもの(笑)

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