Mrs. GREEN APPLEという魔法。

ミセス。このバンドが私の人生の一部になったのはいつからでしょうか。はっきりい言っていつでもいいのかもしれません。今が幸せなのなら、ミセスの音楽で私や、私の大切な人が前を向けるのなら。我儘かもしれない。上からになってしまうかもしれない。でも、それでもいいや。自分軸で行こう。私はこのバンドに出逢ってから、人生の解像度が格段に上がったと心で、身で、実感しています。
そんなMrs.GREEN APPLEというバンドの魅力について、私だけのスタンスで、拙く綴っていきたいと思います。ほんとうに全て私の考えなので、あまり読んだからこれが正しい、とかこうであるんだ、と思わずにこんな意見もあるのか、ここは考えが似ているところがあるな、など1人の意見として受け止めていただけたら幸いです。

ポップな曲調に隠れた闇と光

ミセスといえば、?と友人達に問うと大抵、「青と夏とか、ダンスホールとか、ポップな感じで青春感溢れてるイメージ」と7割くらいの割合で答えられます。悪いことでもないし、間違えているわけでもないんですけどね。間違えては居ないのです。だから、だからこそ、ただもったいないなぁと1人で思ってしまうわけです。勿論、音楽と人は一対一であるし、こちら側のエゴを勝手に押し付けるのも絶対的に良くないとは思うのだけれども、けれども。あくまでも"私は"この集団達が奏でる音楽に、言葉に、青春感の裏に隠れた闇の部分や、人の弱さ、醜さ、優しさを感じます。
例えばSoranjiとかだったら、そういう面が顕著に現れていて、わかりやすいと思うのですが、さっき出した青と夏や、有名どころだとダンスホールにも、ちらっとと顔を出す劣等感だったり、どうにもならんわ、とも言いたくなるような辛い一コマがあって。例えば青と夏の

寂しいな
やっぱ寂しいな
いつか忘れらてしまうんだろうか
それでもね
「繋がり」求める
人の素晴らしさを信じてる

青と夏

この一節。
勿論、映画"青夏"としての側面も持っていると思うのですが、ここに限っては
ミセスの作詞作曲、様々なプロデュースを総括している、Vo.Gt.大森元貴様(神々しすぎて様付です、、、。)の想いが表れていると感じます。
これ、全部褒めてるという解釈で読んでほしいのですが、彼って、とっても寂しがり屋で、我儘で、でも、どこにも属したくなくて、属してしまったら今まで積み上げてきたものを壊してしまうかもしれない(この属さないって意味は決して人と喋らないとかそういうことではなくて、人を本当に信じる事を簡単にしないっていう捉え方をしてほしいです。)っていうプレッシャーから表面上はいろんな人に話しかけることができて、流石総括しているだけある、音楽家なだけある!にんきものなんだな〜ってなるけど実は、本質の部分は本人はほんとの意味で信じて接することできる人なんてほんとに少ない。(そんな中でも信じられる方がミセスのメンバー達だったりもするのかな)っていう方なのかなって最近曲を追うごとに考えが深まりました。(個人の意見です。)
だから寂しいな、だけどわざと、属していないからいつか誰しも僕のことを本当に忘れてしまう、そんな日が来るのかもな、やっぱり寂しいな、。それでも僕は音楽で繋がって居たいな、人の真髄に迫って素晴らしさを感じて居たいな、浸って居たいなと、大森さんは詠っているのではないか、と考えました。この考察がほんとうだと仮定したとしたら、繋がる楽曲はやはり、Part of me だったりAttitude だったりする気がします。

本当に僕が消えるその日まで
君にたくさん伝えておきたいんだ

Part of me

Part of me は大森さんが自らの遺書のような楽曲と公言していました。
やっぱり、"遺書"ってこの世から居なくなるまえに、自分の叶えたかったことや、澱みを吐き出していくためにあるものだと私は思うのです。
そして曲の冒頭、この歌詞がまっさきに歌われています。君、というのは曲を受け取る私たち、いっしょに音楽を奏でるチームミセスの皆さん、どちらにも当てはまるものだと私は捉えて居ます。そう考えると 本当に僕がみんなから忘れ去られてしまうその日まで、僕に力を添えてくれている、一人一人に精一杯、自分の想いを音楽を通して伝えて通じ合って居たい、 という大森さんの意志と解釈することができます。あくまでも例として楽曲を挙げていきたいので詳しい考察はまた別の機会にしたいです!特にこのPart of meは自分にとって、思い入れの強い沢山救われた楽曲なのでまた、個別で上げます、!✨
そんなこんなで本題に戻りまして、、、。
お次、Attitude。

あぁ、どうか いつか
僕の我儘が終わる日まで


どうにか届くように 届くようにと綴る
でもやっぱり100は無理
ちょっと「あむり」で終わり
♩〜
夢から覚めて魔法はね いつか溶けるの
しがみつく事なく
誰かとね 愛し愛されて死にたいの
♩〜
書き綴られた歌はそう、私の遺言

Attitude

まず最初。
"僕の我儘が終わる"日はいつなのでしょうか。
この我儘を大森さんが今まで行ってきた、これからも行っていくであろうアーティスト活動と仮定すると、我儘が終わる日は、大森さんがそれを辞めざるをえなくなった時、つまり、彼の人生が終わった時のことを指します。
そこで、Part of meの最初を思い出してみましょう。
曲を通して聴いてくれる人に気持ちが届くようにアーティスト活動をする。その我儘が終わる、すなわち僕が消える時までできるだけ多くを伝えていきたい、と読み取る事ができます。合致しますね。
そしてどうにか届くように〜♪のところはその伝えたい事を伝えるために大森さんが歌詞を綴っているけれど、やっぱり言語化は限界があって伝わりきらない、という苦しみから結局あむり、と終わってしまう、ということでしょうか。
そして次抜き出した夢から覚めて〜♪のところは彼の寂しがり屋なところが表れている濃い部分だと思います。こんな僕でも、誰かに愛してもらいたい、僕もその人を愛したい、我儘という名の、魔法という名の、僕の人生が終わるまで。
うーん、考えさせられますね。
そして
最後、書き綴られた歌たちは、産み落とした子は、そう、彼の遺言なのです。
曲の中間に産み落とした子と楽曲を表している所がありますが、子というのはそれぞれの楽曲に愛情を持っている、という捉え方は勿論のこと、遺書や遺言を次の世代へ、どうか、どうにか受け継いでいってほしい、という大森さんの想いが表れているのかなと思いました。
色々言ってきて結局何が言いたいってほんとにこれ批判に聞こえるかもしれないんですけど、いい意味で言ってますほんとにです。。。

このMrs. GREEN APPLEってバンドの楽曲って、本当に聞くだけで、疲れるんですよ。だからこそ、良いんです。1つ1つの曲のテーマの濃度が濃すぎて、永遠に考えていられる。

ほんとに誤解を生む表し方ではあると思うんですが、本当にそれくらい、考えさせられるし、考えるからこそ、救われる人がいると思うし、私もその1人です。

ミセスを表すに欠かせない、哲学的要素。

ミセスの歌詞を読み解いていくにつれて欠かせないものとなるのは、やっぱり哲学的、道徳的要素だと思います。
例えば、先ほどのAttitude。
中間に

エゴイズム、軽快なリズム
エゴイズム、ご機嫌取らずに済む
パシフィズム、リベラリズム
ペシミズム、ヒューマニズム

Attitude


ここ、意味とかそういうこと以前に韻の踏み方が逸品すぎて、そっちに気を取られがちなんですが、一つ一つ、意味調べをしていくと、またまた考えさせられるんです、、、。
まず、エゴイズムとは、、、

自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。
利己主義。

goo辞書

つまり簡単にすると自己中心的な考え方ってことなんですよね。
エゴイズムと韻を踏まれているのは、軽快なリズム、ご機嫌とらずに済む、です。
つまり、エゴイズムなものの考え方をすることによって、周りのことを、気にせず自分軸で考える事ができて、周りのご機嫌をとることを考えただけの、音楽にならずに済む。ってことなのかなって。
そもそもAttitudeってフランス語で態度や姿勢という意味があるんですよね。
やっぱり音楽の軸って自分が楽しむことにあって、それが音楽をしていく上での適正なAttitudeだな、と私は思うのです。悪い意味ではなくて、いい意味で自己中心的で居たいよね、って事を伝えたかったのかなと。
そして、続く〜ズムの連鎖。
一個一個意味を調べてみましょう。

パシフィズム[pacifism]【社】平和主義. 反戦主義. 暴力否定主義.

(C)イミダス

自由主義(じゆうしゅぎ、: liberalism)またはリベラリズムとは、市民革命時代から由来している市民的経済的自由民主的な諸制度を要求する思想、立場[1]運動であり、自由平等権利に基づく政治的道徳的哲学である。政治色は黄色で、シンボルは黄

Wikipedia

悲観主義(ひかんしゅぎ)とは、ペシミズム(pessimism)の訳語の一つ。厭世主義(えんせいしゅぎ)、厭世観(えんせいかん)とも言う。語源は、ラテン語で「最悪のもの」を意味する「pessimum」に由来する。また、この様な思考を持つ人物をペシミスト(悲観主義者、厭世主義者、厭世家)と呼ぶ場合もある。

Wikipedia

ヒューマニズム【humanism】
人間性称揚しさまざまな束縛抑圧による非人間的状態から人間解放目ざす思想1718世紀イギリス・フランスで、普遍的な人間性認めいくつかの市民革命指導理念となった思想市民的ヒューマニズム。新人文主義資本主義による人間自己疎外から人間性の回復目ざすプロレタリア階級運動社会主義的ヒューマニズム。

weblio国語辞典

、、、。
一つ一つ丁寧に意味を調べて考えてみると、ミセスの音楽、歌詞に通じる、というところが沢山ありますよね。
例えばパシフィズムの意味にはおもちゃの兵隊に通じるものがありますね。

全民よ 聴かせて
手で紡いで
お互いのその傷を共に痛みましょう
陽が昇って 風が吹いて
その中でいつも貴方を思う

もう大半がお気づきでしょう
然すれば「世界は輝くの?」と
断言など出来ぬ此の世の性
酷く胸糞が悪いんだよ

望むは誰もが望みを
忘れないで生きてる事

おもちゃの兵隊

このように歌と歌との関わりや、繋がりを見つけられるのもミセスの沼の要素であるのかなと。
そもそも、まずなんで27年という短い日々を過ごした中でこんなにも博識強記な人間になるんだろうな、とますます大森さんへの尊敬の意がたかまるばかりなんですが、、。
また、このように歌詞に隠れている哲学的要素をもつ楽曲もあれば、題名自体哲学に関することを表している楽曲もあります。
例えば
アウフヘーベンという楽曲には

アウフヘーベンとは、ドイツの哲学者が用いた「弁証法」の基本的な考え方の一つです。「弁証法」とは、対立した意見について議論する過程において思考を深め、より高次の段階へと進んでいく思考法を指します。対立する二者をどちらも否定せずにかけ合わせて統合し、一つの解として昇華させる過程を「アウフヘーベン」と呼ぶのです。
語源:アウフヘーベンの言語はドイツ語の「aufheben」で、「上へ持ち上げる、拾い上げる」という意味があります。aufが「上の方へ」、hebenが「持ち上げる」の意味です。
aufhebenは他にもさまざまな意味を持っており、「高める」「保存する」「解消する」「撤廃する」などの意味もあります。
アウフヘーベンは、二つの相反する二者を統合し、より高度な結論へ高めて保持することによって両者の対立が解消するという過程を示しています。アウフヘーベンの考え方は、aufhebenの原語が持つすべての意味を含む概念であると言えます。

https://news.mynavi.jp/article/20210120-1622767/

こういった意味が隠されていますし、
WaLL FloWeRという楽曲のウォールフラワーという単語自体には

壁の花(ウォールフラワー)とはパーティーなどで、会話の輪から外れている女性。もともとは、舞踏会で、踊りに誘われず壁際に立っている女性をいった語。

goo辞書

という隠語的な意味が隠されています。
こういった知識が楽曲を通して自分の中で蓄積されていくのも、ミセスの曲を聴くにおいてのひとつの楽しみにもなるのかなと思います!

本当にミセスの音楽って学びの場というか、知識を増やしてくれるような気がして、、、。教科書のような立場だなと感じてます。

世界観とその才能に圧倒されるライブの存在

イレギュラーはあるけれど、おそらく沢山のアーティストが欠かせない存在であろう、ライブ。
ミセスのライブは、深いからこそ、時に論争を巻き起こす事があります。
その一例として代表的なのはやはり、2023冬に行われていたFCツアー、The White Loungeでしょうか。ミセスのメンバーら自身が賛否両論の生まれるツアーになるだろう、とツアーを完走するまで一切のネタバレを禁止し、バンドとしては珍しい、というか前代未聞であろう、着席での観覧、会場内では、白いものを身につける、というドレスコード。
すべてが(言葉が悪いかもしれないけれど)"異質"であったような気がします。
私自身、ホワンジ(The White Lounge)には参戦できていないので、SNSでさまざまな意見を見た上でのあくまでもの感想ですが、ツアー全体の雰囲気として、早く、映画化されたものを観に行きたい、円盤化してほしい、と思いました。
やっぱり、愛しているモノコトの発信するアンテナはなるべく受け取っていたいし、賛否両論といわれるものについて考えて議論することも好きなので、、、。
「バンドだから」こうでないといけないとか、「音楽表現者として」これはやっちゃダメ!なんて事多分言っちゃいけなくて、もちろんフェーズ1のビジュアルが好きなファンもいる(私もその1人)し、何が正解で、とか言いたくなる時もあるけれど、彼等が突き止めようとしているものはやっぱり多様性と似たるなにかであって、その追い求めてる、目指してる世界は私も、皆さんも、想像できないような、理解できないようなものなのかもしれない、それってハイリスクではあるけれど、応援する身にとってはとっても楽しみなんですよ。
私は、ミセスは全てを理解してほしくて曲を出したり、ライブを企画しているんじゃなく、こういう景色もあるよ、とか、私たちはこれが好きなんだ、だからその世界をちょっと感じていってもらいたいなって意味を持ってるんじゃないかな、って思います。
今回のホワンジやNOAH no HAKOBUNEはストーリー性のある作りになっていて、なにか、一つの映画のように見てもらいたい、という意志が私には伝わってきました。1つの映画に賛否両論あるように、1つの作品のように議論を重ねてもらいたい、そんな意志があったのかな、なんて。

まとめ

今回、このMrs.GREEN APPLEっていうバンドを最近流行ってるありきたりなバンドって思ってる方に1人でもエゴかもしれないけど彼らの音楽はもっと想像よりも深い深海のような世界でできているっていうことを伝えたかったんです。

人生を変えてくれるバンドって言い過ぎかもしれないけどほんとに絶対一曲はあの時のクソみたいな気持ちだったりとかあり得ないほどの幸福感とかの正体を教えてくれる一曲が見つかるバンドだと思います。
たくさんの方が彼らの音楽の素晴らしさにいままでもこれからも救われますように。





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