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メンズメイクとギャルの眼差し

俺は数ヶ月前からメイクをしている。
メンズメイク、という言葉は男にとってメイクがまだ一般的でないことを意味しており、それに関して特段否定する気はない。

しかし、その世間的な風当たりというのは気になる。
メイクをする目的は、綺麗な見た目になることと、ひいてはその先に人にいい印象で見られたいという欲求の実現がある。見た目のコンプレックスは、そのまま対人的な自信の喪失をもたらす。これは、幼少から心と身体に捩じ込まれた悲しい性なのだ。
ゆえに、メイクをする、という行為の印象が悪いとなればなかなかこれまで通りという訳にはいかない。人によく見られたいという下心は無視出来るものではなく、むしろその下心こそが本懐だと言える。

メンズメイクの世間的な印象は、言葉の通り女々しいとされている。また、本人的にも相違ないとは感じている。メンズメイクをする以上、批判的な反応は多少覚悟していた。

ところが、必ずしもそうではないというのを周囲の反応から知った。

俺はここ一年ほど仕事を転々とする機会があったが、何故か関わるのはギャルばかりだった。学生の頃差程関わることのなかったギャルとばかり時間を共にして、分かったことがある。

まず、ギャルはこっちがスタンスを間違えない限りは基本友好的というか、ノリがいい。ギャル通し、もとい女性コミュニティは情報の共有が早い傾向にあるので、迂闊なことをすれば途端その傷口は致命傷になるのだが、変に距離をとることも近づきすぎることもなければ基本皆いい人なのである。

そして、ギャルは驚くほどにメンズメイクに寛容であった。いやまぁ、ギャルとかいってたまたまその人たちがそうだっただけの可能性は否めない。しかし、こちらから相談などしてみるとコスメの話は結構真剣にしてくれる。

印象として感じたのは『綺麗になろうと努力する』という行為に対しての敬意だ。かつて自分も通った道だからか、その姿勢に対して否定するようなことはなく、むしろ協力的である。とにかく試供品をくれる。

こうして優しくしてくれてるギャルとて、好みだけで言えばノーメイクの男の方がいいというのはあるかもしれない。しかし、否定せず教えてくれるというのは、マイノリティにとっては心強い話だし、男になかなか相談相手がいないため、非常にありがたいのである。とりあえず今はPaul & JOEのクレンジングがいいというレビューと、ファンデーションはとにかく薄塗りの方がいいという二点を試す義務を抱えている。

この文が、メンズメイクに不安を抱える男性諸氏の励みになればいいと願う。我々は孤独ではない。ギャルが味方なのだ。こんなに心強いことがあろうか。

そして、もしギャルが孤独になっていたら必ず助けてあげよう、と決意した。

が、そんなことは多分ないしあったとして出来ることもない。

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