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小川洋子の「ホテル・アイリス」、あるいはスペインの書店の密やかな本棚

あの頃、都市のよく行っていた本屋さんで日本の現代作家を発見していった。川端康成や谷崎潤一郎じゃあ満足がいかなくて違うものを探し始めた。
あの本屋さんで日本作家の本は「アジア・アフリカ文学」という大きくない本棚で密かに並んであった(残念なことにスペインではそういう並べ方が多い気がする)。そこで僕があまり考えず、ただ取り出してレジで支払いをするだけだった。感じることが多かったが思考はその本たちを読んだ後に行うことにしていた。
ある日その小さな本棚に小川洋子の「ホテル・アイリス」というう小説が届いた。元々そこにあったか思い出せないけれど、確か他の小川さんの小説があったと思う。でもなぜか「ホテル・アイリス」にしました。本屋さんからその頃通っていた油絵教室に行く間「まあ読み終わったら小川さんの違うにしよう」とぼんやり思った。しかし小川洋子のスペイン語版の小説を読んだのは結局「ホテル・アイリス」だけだった。
好きじゃなかったわけではない。むしろページを捲りながら、小川さんが丁寧に取り扱う文体に圧倒され、私はまだ本の世界に会ったばかりだ、これからまだまだ僕が知らない素晴らしい書き方と物語がどこかで息を潜んでいると思った。
ただ「ホテル・アイリス」を読書する経験は大事にし過ぎてしまったかもしれない。主人公とその翻訳者の不思議な関係が気になったが、一番気になったのはその2人を作った清潔な文体だった。もう一度あの文体に会いたいけどまた会ったら会う機会が減ってしまう。だからもう少し待ちたいと思った。
間違いなく待ち過ぎたと今振り返ると思うけど、そのおかげで2021年により顕密でその文体を味わうことができた。2021年にまだスペインにいたが家に小川洋子の「妊娠カレンダー」が届いた。原文のままでその本をゆっくりと読み、日本に行ったら必ず最初に訪れる本屋さんで小川洋子の本を買いたいとジャムを作っている主人公の思いにふけりんがら願った。いつその日が来るか知らなかったが、いざ初めて日本で本屋さんに行った時あの願いがおそらくあのスペインの書店で密かに並べてあった気がする。ほとんど誰もが見かけないところで。あの本屋さんで小川洋子のじゃない小説を買うことに後ろめたさはないけれど、ああでもあの時買えばきっと少しでも大変な日々を乗り越えるための力になったなあ、と悔しく思わずにいられない。
まだ日本語で「ホテル・アイリス」を読んでいないけど、果たして原文のままで読んだらあの圧倒感に襲われるか、新しい気持ちが頭を冴えさせるか、ただの弱しい風になってしまうのか。早く知りたいけど今書いたことを基に再会の時間を遠く感じる。

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