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痛みを知る

 やっと歩ける様になった程の赤ちゃんが転けて泣いている。母親に抱かれても涙は止まらない。相当に痛かったのだろう。

もし僕が親なら、そんな赤ちゃんに何を教えたら良いのだろうか。

「転けない為にはもっと足元を確認して歩きなさい。」
「少々の躓きでは転けないように足腰を鍛えなさい。」

そんな事を言う馬鹿はいない。

「大丈夫?痛かったね。もう大丈夫だよ。」

そう声をかけるに違いない。それはただ慰めているだけで何も教えていないではないかと言われるかもしれない。でもそうではないと思う。

「痛くて涙が止まらない時、ただただ抱きしめてくれる人がいた。」

その経験が何よりの人生の学びとなるはずだ。

僕たちは教えることや学ぶことをどこか履き違えていないだろうか。どこか赤ちゃんに「転けない様に気をつけなさい」と言う様な事が教育だと思っている節がある。

「安定した職に就く為に良い学校へ行っておきなさい。」
「これからはグローバルな社会になるだろうから英語をしっかり学びなさい。」
「今の時代、パソコンができないと生きていけないわよ。」

どれも「なるべく転けない為にはどうしたら良いか」でしかない。

本当に伝えるべき事は「必ず転ける事がある人生でどう生きていくのか」ではないだろうか。



「痛くて涙が止まらない時、ただただ抱きしめてくれる人がいた。

誰かが痛くて辛い思いをしている時、ただ抱きしめてあげる。そんな優しい人に私もなりたい。」

そんな生き方の連鎖こそ教育だと思う。


   痛みも無く生きて行けるなら
   笑えるだろうけど救えないや
                            (『椿2』TORAUMA)

いかに痛みを避けて笑って暮らせるかではなく、痛みのある人生をいかに共に笑って暮らせるか。

転けて泣きじゃくる姪っ子を見ながらそんな事を考えた今日この頃です

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