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小説ですわよ第3部ですわよ6-2

※↑の続きです。

 胴回し回転蹴り。胴体を前方へ回転させながら、踵で相手の頭部を攻撃する蹴り技だ。主にフルコンタクト空手やキックボクシングなどで使われる。プロレスでは『浴びせ蹴り』として使われており、舞はこちらの名前を好んでいた。アクロバティックな動きゆえ、安易に出せば簡単に避けられてしまうが、相手の意表を突ければ大ダメージを期待できる。
 しかしこれは、あくまで人間同士の話だ。この宇宙の法則そのもの、神のような存在であるギャルメイドに通じるわけがない。舞も半ばヤケクソで出したのだが……
「わ、私の顔に傷を……!!」
 舞の踵はクリーンヒットこそしなかったものの、ギャルメイドの頬をえぐった。舞が回転を終え、受け身を取りながら着地する。ギャルメイドは信じられない様子で目を丸くし、頬を手で押さえたまま固まっていた。

 傷は思っていたより深いようで、抑えた手から鮮血が垂れ落ち、黒いメイド服に赤いシミを作る。
「あ、あっ、そんな……だが、そうか……そうだった……」
 ギャルメイドは、動揺をごまかす自己完結じみた独り言をブツブツと呟く。人間の攻撃を食らったことが、よほどショックだったのだろう。
 当の舞はよくわからず、ギャルメイドはメイド服が汚れたことに落胆したのだと思った。イチコを拉致した憎い相手だが、可愛らしいメイド服に血が染みたのを見て、舞まで気分が落ち込んだ。
「あのー、なんかすみません……こめかみに一発いいのを入れてKOするつもりだったんですけど、狙いが外れちゃいました。傷の手当と、服洗うんで、2階まで上がってもらえますか?」
 舞が事務所の2階を指さして促す。だがギャルメイドは目を伏せて、肩を震わせ始めた。泣かせてしまったと思い、舞は胸を締め付けられた。
「メイド服、汚れ落ちなかったら弁償します。あ、でも、うちの社長の魔法なら大丈夫かもしれませんから、元気出して」
「ククク……ハハハ……」
「えっ?」
「素晴らしいッ!」
 ギャルメイドが勢いよく顔を上げる。狂信的な歓喜の笑みがそこにあった。
「さすがは特異点の運命を導く者。我らの理にまで達するか」
 ギャルメイドは腕を組み、仁王立ちになって傲慢を再び取り戻す。頬の傷も、メイド服のシミもなかったように消えていた。

 特異点とはイチコのことだ。ギャルメイドに属しながらも、彼女らが掲げる宇宙秩序とは外れた存在であるという。
 その特異点の運命を導く者……これは自分のことだと舞は知っている。昨年アヌス02との戦いのあと、スカラー電磁波の意思にそう言われたからだ。今まではイチコの面倒を見るとか一緒に戦うとか、その程度の理解だった。しかし人間の身で宇宙秩序の化身に一撃を食らわせたとなれば、話は違ってくる。

「汝に敬意を表し、これから全マルチアヌスに起こることを教えよう」
 ギャルメイドは仁王立ちのまま、相変わらず上から目線で告げる。舞はこんなヤツに一瞬でも同情した己を恥じた。
「なにが起こるわけ? 人間様向けにわかりやすく話してよ」
「この次元世界……アヌス01をベースに、全マルチアヌスが統合される」
「はあ? マ、マルチアヌスが合体しちゃうってこと!?」
 いきなりとんでもないことを言い始めた。それでも舞は理解に努め「そんなことになったら、あらゆる世界が交じり合ったグチャグチャの世界になるのではないか」と疑問を呈そうとする。だがその前にギャルメイドが答えを言った。
「単に混ざり合うのではない。ひとつの宇宙に新しく作り変えられるのだ。汝らが好むカレーのようなものだな」
「あー、つまり……野菜や肉が別々のマルチアヌスだとして、それを鍋で混ぜて煮込んでルーを入れたら、カレーという新しい宇宙にできあがりってこと?」
「ブワッハッハッハ! 面白い表現だ!」
 ギャルメイドは突然、腹を抱えて笑い転げる。カレーの例えを出したのは自分だというのに。イチコといい、笑いのツボがどこかおかしい。
「だったら元々のジャガイモや玉ねぎは、どうなるわけ? その宇宙に住んでいる命は?」
「玉ねぎは溶けても、カレーの甘味として確かに存在し続ける。命もまた同じ。在り方が変わるだけだ」

 「つまりは宇宙全体の強制的な転生」ギャルメイドは、そう付け加える。そんなことが起これば舞も、家族も、綾子も岸田も、珊瑚も、軍団も、ピンキーやMMも……あらゆるモノが、なかったことになる。アヌス02で暮らしているマサヨや愛助、渡辺たちもだ。新しい宇宙で生まれ変わり、再び巡り合えたとしても、それは以前の自分たちではない。

「そんなことさせない」
 舞はもう一度、ギャルメイドに浴びせ蹴りを食らわせるべく距離を測る。
「マルチアヌスは増殖を続け、飽和状態にある。このままではアヌスを受け入れる宇宙という器そのものが崩壊するのだ」
「それをなんとかするのか、あんたたちギャルメイドでしょ!」
「ああ。ゆえに我々は宇宙存続のため、全マルチアヌスの統合を決定した」
「それぞれのアヌスに生きる人たちの意思を無視してか!」
「宇宙秩序を保つためならば、些細なことだ」
「私らにとっちゃ大事なことなんだよ!」
 舞は胴体を折りたたむように前方へ回転させ、同時に左足の踵を跳ね上げる。身体が空中で一回転し、踵が弧を描いてギャルメイドの顔面へ飛ぶ。しかし踵は空を切り、アスファルトに叩きつけられた。そこいたはずのギャルメイドが消えていたのだ。彼女の声だけが、舞の頭に響いてくる。
「特異点の審判が終われば、スカラー電磁波の意思が統一される。そのとき全マルチアヌスが新生するだろう」
「だったらイチコさんを助けて、あんたらを止める!」
 舞は念じるように、どこからともなく聞こえる声に噛みつく。
「我らを止める術はない。唯一その可能性を持っていたウラシマの企みは潰えた」
「なっ……私たちを利用して、王を倒させたのか!」
「宇宙秩序を乱さぬため、直接の介入を避けたかったのだ」
「ナメやがって……!」
「汝らの働きに感謝する。さらばだ」
 頭の中の残響は消えたが、舞はそれでも悪態をついた。
「私を消さなかったこと、必ず後悔させてやる! 宇宙お嬢様もまとめて、ひとり残らずウネウネ棒を突っ込んでやるからな!」
 そして舞は事務所の2階に戻り、朝オナニー中の綾子を社長室から引っ張りだした。

「アヌスのこすり合わせね」
「社長がどんなプレイをしているかは聞いてないんですよ」
「私の話じゃないわよ!」
「知ってます。イチコさんに聞いたことあったんで」
「貴方、地獄に落ちるわよ!」
 『アヌスのこすり合わせ』とは、異なるアヌス同士が繋がる現象だ。綾子は遥か昔にこれを体験している。かつて吸血鬼を頂点としていたこの世界に、別アヌスが接続され、知的生命体が移住してきた。これが人間の先祖だ。
 綾子によれば、全マルチアヌスは巨大な宇宙――ビッグアヌスに包括されているという。このビッグアヌスが許容できるマルチアヌスの数には限りがあるらしい。そして最大の問題は、マルチアヌスは無限に増え続けるということだ。

 例えば舞が昼食に蕎麦かカレーかで悩んだ末、蕎麦を選んだとする。これが今、舞たちの生きるアヌス01だ。このときカレーを選んだ別の可能性も別次元に誕生する。仮にこれをアヌス02とする。ふとピザのクーポンがあったことを思い出し、デリバリーを頼む可能性があれば……アヌス03となる。
 このようにアヌス01を起点として枝分かれした、様々な並行世界群がマルチアヌス。そしてマルチアヌスを包括するのがビッグアヌスだ。
 しかし通常、蕎麦orカレー程度の差異では、アヌス02は生まれない。存在が定着する前に泡となって消える。正確にはアヌス01に収束される。蕎麦だろうがカレーだろうが、舞の腹が満たされて午後の仕事を頑張るという同じ未来に行きつく。
 だが『収束しきれない、アヌス01が歩む未来とは明らかに異なる可能性』が生まれたとき――例えば、アヌス01よりもロボット工学が発達し、それを牛耳る企業が世界を支配するというような、まったく別の未来を歩み始めたとき、その世界はアヌス02として独り立ちする。
 収束か、別アヌスの確立か。これを判断して管理するシステムともいえるのがスカラー電磁波の意思、すなわち宇宙に優しいギャルメイドだ。
 さきほどギャルメイドが明かしたように、基本的に彼女たちがマルチアヌスに直接介入することはない。ただしマルチアヌスが飽和し、ビッグアヌスの許容量を超えそうになったときに『アヌスのこすり合わせ』を引き起こす。アヌスAの住人をアヌスBに移住させ、空になったアヌスAを消滅させるという具合だ。これを繰り返すことでマルチアヌスは保たれてきたが、いよいよ限界を迎えたらしい。そのため根本的にマルチアヌスをひとつのアヌスに再統合しようというわけだ。

「イチコの奪還が最優先事項ね」
 綾子がアイスコーヒーの入ったグラスを置く。氷がカランと爽やかな音と立てて踊った。ギャルメイドたちはイチコの審判が終わり次第、再統合を始めると話していた。イチコを取り戻せれば、マルチアヌスを守れるかもしれない。
「どうやって?」
「私の愛しい初代ピンキーよ。矢巻たちに趣味の悪い魔改造を施されたけど、おかげで役に立ってくれるわ」
 初代ピンキーにはアヌス02由来の反スカラー装甲が施されている。なにより空間に干渉する能力を有し、ウラシマの結界を破壊した。王は最終的に初代ピンキーで宇宙お嬢様を打倒し、全マルチアヌスを我が物にしようとしていた。ギャルメイドの介入を予測していながらも初代ピンキーを稼働させたのは、宇宙お嬢様の居場所の見当がついており、すぐにでも殴り込みをかけられるからだったのだろう。
「でも回収した初代ピンキーにはカーナビもドライブレコーダーも付いてませんでしたよ。宇宙お嬢様がどこにいるのか、私たちにはわからないんじゃ……」
「宇宙お嬢様の居場所はわからなくても、イチコの場所はわかる。私の魔法でね」
「あ、そうか!」
 綾子は返送者たちの再返送先を知ることができる。目標が異なる次元に移動しても所在を把握できるということだ。
 綾子が天井を……いや上空、それより遥か彼方、宇宙の果てを指さす。
「すべてのマルチアヌスは、アヌス01より派生する。アヌスとアヌスを繋ぐゲート“神々の腸”もアヌス01を起点にしている。ビッグアヌスの中心でもある始まりの場所、ケツ穴の奥深く――『アビス・オブ・アヌス』。イチコはそこにいる」
 衝動が舞を立ち上がらせる。
「私、初代ピンキーを取ってきます! キー借りますよ」
 初代ピンキーは修理され、綾子の邸宅で保管されている。舞は事務所の壁にかかった初代ピンキーのキーを取り、外へ飛び出していく。
「いやあ。去年、初代ピンキーをビッグモーターの車検に出そうとしてたんですが、別の会社にして正解でしたな……直前で不祥事が発覚して助かりました」
 岸田が真っ白なハンカチで汗をぬぐった。

つづく。