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小説ですわよ第3部ですわよ6-1

※↑の続きです。

 2013ねん 8がつ1日。木よう日。
 きょうは、おっぱいの日だそうです。
 ぼくはトシアキくんとミツハルくんといっしょに、カラス山にあそびにいきました。おとうさんやおかあさんは、かみかくしにあうのでいくなといいますが、トシアキくんがへいきだというので、いきました。
 山でぼくは、むらさき色の長いぼうをみつけました。たくさんボタンがついていて、おすとウネウネするのがたのしかったです。べつのボタンをおしたらもっと長くなり、おも白いです。ミツハルくんがおなかをかかえてわらっていました。きにいったので、ぼくはリュックにはいっていたサインペンで森川イチローと名まえをかきました。
 それから山のおくのほうまで、たんけんしました。すると、くろいあなのようなグルグルをみつけました。おかあさんがまえに、うずまきをみつけたらにげなさいといってて、それのことだとおもいました。
 でも、ぼくたちはにげませんでした。ウネウネぼうをのばして、グルグルのなかに入れました。そうしたら、すごい力でひっぱられてしまいました。トシアキくんが手をはなせとさけびましたが、ぼくはこわくてはなせなかった。トシアキくんとミツハルくんが、ぼくをうしろからひっぱってくれて、なんとかたすかりました。ぼくはこわくなって、ウネウネぼうをグルグルのなかになげすてました。
 そのあとミツハルくんのうちでグランドセフトオート5をやりました。ほんとうはこどもはやっちゃいけないゲームだそうです。でもミツハルくんのおにいちゃんがやらせてくれました。くるまで人をひくのがたのしかったです。でもミツハルくんのおかあさんがかえってきて、とりあげられてしまいました。そのあといえにかえり、ばんごはんをたべました。カレーでした。おいしかったです。

 2023年8月1日(火)。
「わかってるよな? 俺たちは運命共同体だから」
 キクノスケが銀髪をかき上げながら、漫画じみたセリフを吐いた。
 新宿・歌舞伎町にある雑居ビルの一室。家具らしい家具はテーブルと人数分のイスだけ。他のものは段ボールに突っこまれているか、床に直置きされている。
 10年ぶりに出かけた東京で、こんな仕事をするハメになるとは。俺は床に散乱した、無数の氷を見ながら心の中で溜息を漏らす。氷はどれも中心部が肌色になっている。さっきまで矢巻の部下だった人間たちの破片だ。キクノスケが持つ氷結能力を、俺の能力で中継して射程距離を伸ばし、矢巻の部下――トシアキとミツハルを対面することもないまま凍らせ、粉砕した。
 王が消息不明になったことで、ウラシマというコミュニティはなくなった。俺とキクノスケがウラシマを出て最初に始めたことは、矢巻一味の残党を消すことだった。王への義理からではない、ただ単に矢巻たちの上から目線が気に入らなかったというのがキクノスケの弁だ。ちんたま市に潜伏している残党から手をつけ、ついでに金銭と武器、アジトを奪った。それから地元の半グレに接触し、最後の生き残り2名の居場所をつきとめた。

「顔色が悪いよ。お前は凍ってないだろ?」
 つまらない冗談を言いながら、キクノスケは足元の氷を砂糖菓子のように踏み砕く。
「お前にとっても、こいつらを殺せてよかったんじゃないか?」
「……ああ」
 キクノスケには否定が許されない。だから頷くしかなかったが、トシアキたちを殺したいほど憎んではいなかった。

 トシアキとミツハルは、小学1年で同じクラスだった。家が近く、毎日のように遊んでいた。だが夏休みが終わって2学期に入り、トシアキとミツハルから無視されるようになった。理由はよくわからないし、トシアキたちも大した理由はなかったと思う。少なくともキッカケは。間もなく、ふたりから嫌がらせを受けるようになり、さらにクラスメイト全員からゴミ扱いされた。耐えきれなくなった俺は、近くの山にある奇妙な空間の歪みに身を投げた。ここで以前、歪みに吸い込まれそうになったことを思い出したのだ。死ぬつもりだった。

 ……が、気がつくと俺は見知らぬ場所に立っていた。見た目はこの世界と大差ない。言語も同じ。しかし決定的に異なるのは、この世界には超能力が存在すること。そして超能力者によって統治されていること。そして俺もこの世界へ転移したことで超能力を得ていた。それこそが他人の力を受信・中継・増幅する能力。
 俺はこの世界――人々はアヌス03と呼んでいた――の統治者であるカミヌマという男の養子となり、7歳から17歳まで何不自由なく過ごした。両親に会いたいと涙したのは、アヌス03に転移してから数か月くらいだけだった。ここには俺を傷つける者はいない。学校を休んで部屋に引きこもっても、怠け者だと罵られることもない。ここが俺の世界となった。

 楽園での生活は、突然終わりを迎えた。巨大なミサイルが、別の世界より撃ちこまれたのだ。カミヌマは「アヌス02の神沼の仕業」だと言っていた。ミサイルには超能力を消滅させるウイルスが搭載されており、瞬く間に世界中に感染が広がった。すべての超能力者が力を失ったわけではないが、既存の秩序が瓦解するのに時間は要らなかった。非能力者=非人間とされてきた者たちの反乱により、あっけなくカミヌマは死んだ。車に仕込まれた爆弾による爆死だった。

 カミヌマの養子である俺も当然命を狙われたが、それよりも先にこの世界へ潜入していた工作員に捕まり、アヌス02へ拉致された。そして02の支配者である神沼工業の手により、超能力を持つサイボーグ――PSYボーグに改造されることとなった。しかし改造手術の直前、俺は工場から逃げ出した。すぐロボットに捕まってもおかしくなかったが、奇跡が起きた。神沼工業の本社ビルがアヌス01、つまり俺が元々いた忌々しき世界へ転移することが全国民への公共放送で告げられたのだ。俺は本社ビルに忍び込みこんだ。さらに幸運だったのは、時を同じくして侵入者がいたことだった。警備の意識はすべてそちらに向けられていた。
 かくして2023年の正月三が日に、俺は元の世界へ戻ってきた。乗ってきたビルが巨大ロボットに変形し、巨大な黄色いぬいぐるみと殴り合いを始めたが、その異常事態に構っている暇はなかった。

 俺が向かったのは元々住んでいた家だ。アヌス02にいたときは、意識の片隅にすら浮かばなかった両親に会いたくて仕方なかった。だが家に住んでいたのは別人だった。近隣住民の話によれば、俺が行方不明になってすぐ引っ越してしまったという。そのあと警察に事情を説明したが、俺の戸籍は抹消されていた。両親によって失踪宣告の手続きが行われていたのだ。
 実家近くの公園で途方に暮れていたところに話しかけてきたのは、ウラシマの従者だった。話によると、俺と同じように異世界から帰還して居場所のない者が大勢いるという。ウラシマではそんな人間が寄り集まるコミュニティだと説明された。俺はすぐに飛びついた。
 王と面会したあと、ウラシマ内のアパートの一室が与えられた。事前に表札が用意されていた。だが文字がかすれて「森川イチコ」に見えた。部屋には前の住人が残していった最低限の家具と家電があった。一人暮らしは初めてだったがウラシマの者が助けてくれ、困ることはなかった。特にキクノスケは同年齢ながら兄貴分のように支えてくれた。ようやく本当の居場所を見つけられたのだと思った。

 しかしこの楽園も幻想だった。つい昨日まで談笑していた隣人の中年男性が超能力(この世界では超常能力というらしい)で作り出した巨大な鋼鉄の槍を俺に向けてきたのだ。隣人は「恨むな」と殺気立った顔で言いながら槍を放り投げる。俺は咄嗟に自身の能力で隣人の能力を受信し、特定方向に指向させた。つまりは向けられた能力を反転させた。槍は隣人の頭を貫いた。初めて自分の力で人を殺してしまった。血の海に立つ俺の肩に、キクノスケが手を置いた。
「ハッピーバースデイ」
 薄ら寒いワードチョイスに背筋が凍った。キクノスケ曰く王に対するクーデターが画策されており、隣人も反抗勢力のひとりらしい。
 一線を越えたあとの殺人には、なんの抵抗もなかった。キクノスケの凍結能力と連携し、反抗勢力の命を何百人と奪った。

 そのあと王が敗れたことを知ったが、もはやどうでもよかった。隣人に命を狙われた時点で、楽園への幻想は砕けていたからだ。こうして俺はキクノスケとウラシマを去り、矢巻の手下を粛清した。それからはアジトのある皮剥市を拠点に、暴走族・亜成會あなるかいを乗っ取り、悪の限りを尽くした。その行いの大半はキクノスケたちによるもので、俺は見ているだけったが言い訳はしない。同罪だ。命乞いや断末魔から、幾度となく目を逸らした。無視は悪だと一番理解していたはずなのに。

 悪夢の連鎖は1年後、2024年の春に断たれた。ピンピンカートン探偵社なる組織に属する2名の女性がキクノスケを再返送し、亜成會あなるかいを崩壊に追い込んでくれた。
 探偵社のふたりは事情を説明してくれたが、半分も理解できなかった。しかし俺が、ふたりにとって……いや、森川イチコにとって重要な存在であることはわかった。この俺、森川イチローと森川イチコ。偶然にしてはできすぎている。

 イチコが探しているのは、自身の記憶だという。俺には心当たりがあった。ウラシマが崩壊する前日、王から何者かの記憶を与えられたのだ。それは目に見えず、感覚もなかったが、王によれば確かに俺の中に封じこめられた。さらには誰にも渡すなと王から念を押された。他人に何かを強要する人物ではなかったので驚いた。
 しかし記憶を返す方法がわからなかった。イチコたちは問題ないと言った。どういうことか聞こうとしたとき、どこからともなく緑色のジャージを着た男が現れた。探偵社の仲間だろう。グリーンと捻りのない名前を呼ばれた男は、いきなり俺のズボンに手を突っ込み、股間をまさぐり始めた。遺憾を口にしようとしたとき、チクリと痛みが走る。同時にグリーンがズボンから手を抜いた。その人差し指と親指のあいだには、縮れた毛が一本挟まっている。俺の陰毛が抜かれたのだ。
「記憶を抽出したよ。吸って」
「うん」
 グリーンが陰毛を、イチコの鼻の穴に近づける。
「ええっ……」
 俺とピンクジャージの女、水原 舞はドン引きの意を揃えて発した。しかしイチコに一切の躊躇はなかった。
「スンッ! ゴクンッ!」
 イチコは勢いよく鼻の穴から陰毛を吸い、そのまま飲みこんでしまった。
「しばらくしたら記憶が戻ると思う。それじゃ」
 グリーンはそそくさと、乗ってきた三輪バイクで走り去っていった。

 そのあとイチコたちは、紫のウネウネ棒を見せてくれた。キクノスケを捕縛した道具だ。その時点で薄っすら気づいていたが、柄にサインペンで書かれた『森川イチコ』で確信した。小学1年のときにトシアキたちとカラス山で拾ったものに間違いない。リュックに入れていたペンがかすれて、ちゃんと『森川イチロー』と書けなかったのだ。
 そのとき時空の歪みに捨てたウネウネ棒は、場所を超え、時を超え、1964年10月10日に辿り着いたのだろう。それがイチコの手に渡ったようだ。イチコの本名はチェンジ!!加勢大周だが、記憶を失くしてこの世界に流れ着いた際、ウネウネ棒を握りしめていたらしい。そして柄に書かれた『森川イチコ』を名乗ったという。

「偽りの名前と共に、ウネウネ棒を返す」
 イチコはそう申し出た。だが俺は断った。今さらこんなものを渡されたところで意味はない。なによりイチコの隣に立つ舞が、悲しそうにしている。例え偽りの名であったとしても、舞にとってイチコはイチコなのだ。なにより俺はこれから警察に自首する。大半の罪は法的根拠のない不可解な事件、あるいは狂言として処理されるだろうが……もうこれ以上、弱い自分から目を背けたくないのだ。
 俺の言い分は、あっさりと認められた。というよりイチコは俺の答えを待っていたかのようにウネウネ棒をひったくった。これを舞にきつく叱られていた。

 とにかく、これでイチコたちの問題は解決した。
 俺はまだやることがある。イチコたちに頼んで、ちんたま市警察署へ送り届けてもらい自首した。なぜか取り調べなどもないまま留置所で一晩を過ごすことになった。翌日には裁判もないまま阿江木越あえぎごえ市の刑務所の雑居房に収監された。
 といっても話に聞いていた雑居房とは、大きな乖離があった。檻をくぐると、ホテルのフロントのような広々とした共同フロア。ガラステーブルに、柔らかなソファが並んでいる。天井には大地震が起きたら落ちてきそうなシャンデリア。その橙色の光が、リッチさを感じさせる。正面と左右には虹彩認証式オートロックのドアが並んでおり、個室に通じている。
 なにがなんだかわからなかったが、刑務所とは異なる組織に属するであろう白いジャージの男が檻の向こうから話しかてきて、事情を察した。
「森川イチロー。現行の法で裁けぬ罪を犯したが、なんらかの法で裁かねばならない。罰が下される代わりとして、将来ある任務を遂行してもらう。それまではここで大人しくしていろ」
 白ジャージの男は去ろうとしたが、再び振り返り、テカテカのオールバックを直しながら続けた。
「詳しいことは同居人から聞け」
 俺が同居人のことを問いただす前に、白ジャージの男は今度こそ立ち去って行った。

 2024年8月1日(木)。
「ビッグモ~タ~♪」
 イチコは探偵社事務所1階の端に置かれたプランターへ、歌うようにジョウロで水を撒いた。岸田が買って植えたアサガオの種は、狂ったような猛暑の光を浴びても芽吹くことはない。
「ビッグモーターは枯らせる方でしょ」
「ハハーッハッ!」
 舞のツッコミに、イチコはいつも通りテレビディレクターのような笑い声をあげる。
 イチコがイチローと出会い、記憶を回収してから約5ヶ月。イチコが記憶を取り戻す気配は一向にない。昨年の春、宇宙に優しいギャルメイドから提示された『イチコがこの世界に留まれる期間』は1年間。それをとっくにすぎても何ら変化は起きなかった。
 舞は、この日常がいつ終わってもいいと覚悟していた。……つもりだったが、未練がないはずがない。イチコと出会って、助けられて、共に戦って、イチコを失って、また共に戦って……ずっと一緒に戦い続けてきた。

 だからつい、なんとなしに、慣れた調子で誘ってしまった。
「来週、裏筋競馬場で花火大会があるらしいんですよ」
「近所じゃん!」
 イチコが目をキラキラさせて即答した。
「そうなんですよ。だから、みんなで行きません? 事務所の人や、七宝さん、あと辞めた軍団も誘って」
「いいねぇ!」
 イチコは首を、もげそうな勢いで上下させる。1年前の春なら頭で揺れていたであろうメイドカチューシャは気がつくと消えていた。前掛けもだ。
「せっかくだから浴衣を着ていきましょうよ」
「ユタカ? 玩具メーカー? ポピーと合併した、あの?」
「もう倒産した企業でしょ。浴衣です」
「ああ、浴衣かあ。私、着たことないんだよなあ。ていうか、持ってない」
「社長のお下がりもらいましょうよ。イチコさんも社長も黒が似合うし」
「おお~っ! じゃあさ、今日仕事終わったら姐さんの家にもらいに行こう! 水原さん時間ある?」
「ありますよ。今日、私は外回りの仕事あるんで18時に事務所で」
 ……「うん」という返ってくるはずの返事がなかった。
 舞の目の前で、たった今まで談笑していたイチコが消えた。理由はわかっている。スカラー電磁波の意思の下に還るときがきたのだと。だが納得はできなかった。

「イチコさん! イチコさぁぁぁん!」
 けたたましい蝉の声を、舞が上書きする。だが空しく残響するだけだ。
 そのとき、まだ芽吹いてすらないアサガオの、紫色の花びらが螺旋を描いて舞う。その小さな熱風による竜巻の中央に、宇宙に優しいギャルメイドが立っていた。
「あ、あなたは……!」
「汝らが森川イチコと呼ぶ特異点は、回収させてもらった。これより『宇宙お嬢様』による審判の下、森川イチコの存在は全マルチアヌスから抹消される」
 一方的に、だがいつか必ず訪れるとわかっていた時間に、舞は納得……するはずがなかった。
「ずっと考えてたんだよ。てめえらをブチのめせば、イチコさんはこの世界で生き続けられるんじゃないかってな!」
「抗うというのか? 宇宙の真理に? 王にすら勝てなかった汝が?」
「1年前の私とは違うんだ! 思い知りやがれ!」
 舞は丹田、ヘソの下に重心を集め、空中で前方回転した。
「喫煙と飲酒でオリンピックに出られなかった選手の恨みを思い知れ!」
「そんなこと知るかあああっ!」
 ギャルメイドの真っ当な反論にも、舞は止まらなかった。

つづく。