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小説ですわよ第3部ですわよ5-2

 イチコは両腕を組み、両足を地面に根付かせ、敵を見据える。王は姿勢を崩さず平静であるように振る舞うが、強張った表情から動揺しているのは明らかだった。
「この地に降り注ぐ大量のスカラー電磁波が、汝を覚醒させたというのか? だが40年前には何も起こらなかった……」
「時が来た。それだけだ」
 イチコは淡々と言い放った。切れ長の目はいつにも増して鋭く、ハスキーな声はより低く重々しい。紡がれる言葉も別人だ。王はこの異変を知っているようだったが、原因の追求よりも早期決着を選択する。
「完全な覚醒の前に、汝を排除させてもらおう。我がレギオンよ!」
 王は、古代ローマ軍団の名を冠する戦闘部隊に叫ぶ。号令の下、隠れているレギオンが超常能力で一斉に攻撃を仕掛け、イチコを殺す……はずだった。実際には王の叫びが広場に残響しただけだった。
「彼らはもういない。いや、最初からいなかったのだ」
 イチコは両腕を組んだまま、勝ち誇ることも王を蔑むこともなく、ただ事実を告げた。
「因果に干渉する力を、すでに取り戻して・・・・・・いたか……」
 おだやかな春の夜風がイチコの頬をなでていく。だが王の額には玉のような汗が浮かび上がっていた。

「しかし彼の存在を消し去るわけにはいくまい。第2の赤騎士よ、剣を以て争いを!」
 王の呼びかけに応じたのは、オレンジ――とかつて呼ばれていた者の首なし死体だ。初代ピンキーの運転席からヌルリと飛び出し、空中で高速きりもみ回転しながらイチコの前に着地した。その両手には、自らの身体ほどもある刃幅の大剣が握られている。イチコは先ほどとは打って変わり、仲間の無残の姿を目にしても、まばたきひとつしない。それどころか異変が起こってから初めて微笑んだ。
「王よ。オレンジが赤騎士とは、少々苦しいのではないか?」
「……かかれ、赤騎士よ!」
 オレンジが大剣を引きずりながら、イチコへ走り出す。大剣の切っ先が地面をえぐり、やがて弾かれたように標的のイチコの首へ振り上げられる。イチコは右手の親指と人差し指で大剣をつまみ、斬撃を止めてしまった。オレンジは自分のように首なしにしてやろうと押し引きを繰り返すが、大剣はまったく動かない。
 イチコは、右手で大剣をつまんだままオレンジに歩み寄り、その肩に左手を優しく置く。
「柴田よ。共にすごした日々の記憶は未だよみがえらぬ。しかしお前が大切な仲間であることは思い出した。さぞや苦しかっただろう。悔しかっただろう。その無念、代わりに私が晴らす。疲れ果てた肉体と魂を休ませるがいい」
 するとオレンジの全身がぼんやりと光を放ち、粒子となって分解され、天へのぼっていく。ゴトンと大剣が重々しい音を立てて地面に落ちた。
「休んだら、こことは違う世界で存分に生きろ。もし返送されてきたら……今度こそ一緒に『たけしの挑戦状』を遊ぼう」
 薄っすらと光は失われ、粒子は消えていった。地獄と化した今この場において、あまりにも長閑で幸福な光景だった。数十年を経てようやく命を終えることのできたオレンジの安らぎを、イチコは感じていた。

「さて……」
 イチコは残された大剣を拾い上げ、王に切っ先を向ける。
「お前は再返送しない。存在ごと消す。だがその前に、魂を少々痛めつける必要があるな」
 王の額に浮かんでいた汗の玉が、一気に流れ始める。
「待て……汝の失った記憶について、すべて教える。どんなことでもだ」
 苦し紛れはイチコに通用しない。
「記憶は物理的に、地下で封印されているのだろう?」
「……っ」
 最後の切り札を失った王は、それでも屈することなく感情に訴え出る。
「汝に余の苦しみがわかるか。死を許されず、この時が止まった地に杭を打たれ続けてきた余の苦しみが……!」
「知らん。だがひとつ確かなのは、お前がいくら苦しもうと、他者を苦しめていい理由にはならんということだ」
「革新のための犠牲だ!」
「ならば誰が人間を救う。懸命に生きる、弱く儚き命を」
「人間は全マルチアヌスから消え去る。汝らスカラー電磁波の意思も、吸血も! 余の下に宇宙は新世紀を迎え、超常能力者だけが生きる世界に変革されるのだ!」
「その理屈では本質的に何も救えん。苦しむ弱者が人間から挿げ替えられるだけのこと」
「弱者そのものがいなくなるのだ!」
 王の両目が眩い閃光を放つ。まだ人間の性質が残っている・・・・・・・・・・・イチコは、反射的に目を閉じた。再び瞼を上げると、王は初代ピンキーに向かって一目散に駆けていた。

 しかしイチコは追いかけることなく、立ち尽くしたままだ。
(今のが王の超常能力? いや、殺したウラシマの民から奪い取ったのだろう。与える者にして、奪う者……ゆえに王というわけか)
 悠長に推察しているあいだに、王は初代へ乗りこんでしまった。すぐさまエンジンが稼働し、スパイクタイヤが回転し始める。走り出す初代を見送り、イチコが呟く。
「この世界に生きる人間の手で終わらせるのが筋というものか。柴田よ、お前の高潔なる魂を継承する真の騎士が、王を滅する」
 予言めいた独り言の通り、初代の行く手を阻む者があった。事務所で留守番をしていたはずのMM号が、初代の進路上に現れたのだ。そしてMMを駆るのは――
「ウラシマ王。あなたは、あまりも多くのものを奪ってしまいました。許すことはできません」
 オレンジ色のジャージを身にまとう少女、七宝珊瑚。ブルーの監視から逃れ、事務所からMMを持ち出していたのだった。

 王はブレーキを踏むことなく、初代を驀進させる。MMごと珊瑚を踏み潰すのは造作もないからだ。まともな攻撃では、初代を止めることはできない。しかし運転するのは返送者/超常能力者とはいえ人間である。
 珊瑚は運転席の窓を開け、半身を外へ乗り出す。その手には調合された薬品入りの瓶が握られている。イエローが護身用にと持たせてくれたものだ。中身も同じ、イチコたちが初代を止めるために用いた睡眠薬である。首を切断されたオレンジの遺体に効果はなかったが、今初代を運転しているのは鼻と肺を持ち、毎日8時間眠る人間である。
 珊瑚は運動は苦手だったが、瓶を命中させる自信があった。時折、気分転換するため、軍団に混ざって草野球の練習に参加していたからだ。
「これで……けつあな確定!」
 珊瑚が瓶を振り被る。同時に王は、運転席の各所から伸びるレバーのひとつに手をかけ、勢いよく押し下げる。レバーの先端部に白く印字されているのは『Electric&Anti Scalar』。スカラー電磁波と高圧電流を放射するものだ。これを食らえばMMはおろか、珊瑚も行動停止に陥ってしまうだろう。
 しかし珊瑚にとって予想の範疇である。舞たちの通信を傍受し、初代がこのような攻撃を繰り出すことを知っていた。
「MM!」
「はい」
 阿吽の呼吸で、MMは自ら車体の側面を初代に向ける。巨大な鏡が側面全体を覆っていた。元々はAV撮影用であるMM号に取りつけられていたのはマジックミラー。車内から外は見えるが、逆は不可能という代物である。これに綾子が魔法を施し、砲弾などの物理的な攻撃に加えて、超常能力や魔法の類を反射できるように改良していた。
「しまっ――」
 王の言葉が途切れる。決着の瞬間は1秒にも満たなかった。最初に輝きを伴い、初代からスカラー電磁波と高圧電流が放たれる。それをマジックミラーが受け、表面に強烈な光がほとばしる。そして反射された攻撃は初代に直撃し、各部から一斉に火花があがった。初代はMMを踏み潰すことなく、目の鼻の先で力尽きる。

 初代の運転席のドアが開き、王がおぼつかない足取りで降りてくる。その姿だけは、珊瑚の予想外だった。ボロ布一枚を羽織っていると聞いていたが、全身をラバースーツのようなゴムで覆っている。これも王がウラシマ住民から奪った能力のひとつで、肉体をコンドーム化させるという便利なのか無意味なのかよくわからないものだ。王は反射された瞬間、咄嗟にこの能力を発動させて高圧電流を軽減させていたのだ。
「ああ、余の夢が……死んでいった民はどうなる……」
 王は力なく地面に両ひざをつく。その身体は、見た目以上に痩せ細っている。枯れ木だと珊瑚は思った。
「ああっ、うああああああっ!」
 子供のように王は泣いた。その涙がアスファルトを打つ。だが珊瑚に同情の念は欠片もない。運転席のレバーを操作し、MM側面のミラーを上方へスライドさせる。一面、青空と白い雲が描かれた壁紙……MM後部コンテナの内部が露になる。その中で、ずっと待機していた者がいた。
「ネイビーさん、再返送を」
 なぜかネイビーはパーソナルカラーと同じ、濃紺色のアヒル型“おまる”にまたがっていた。

「わぁ、ようやく出番ですね! 顔の良さだけが取り柄で存在感の薄い私は皆さんから存在を忘れられ、MMでふて寝していたところに七宝さんが――」
「早くっ! 再返送っ!」
 珍しく声を荒げた珊瑚に促され、ネイビーは自分語りを中断しておまるのレバーを回した。すると、おまる底部に仕込まれたバネが作動し、ビヨンビヨンと跳ねてMMから飛び出す。そのまま、おまるは王のところまで跳ねていき……
「や、やめろ、やめてくれ! 何卒、何卒!」
「ダメです」珊瑚が非情なひとことを突き刺す。
「余が元いた世界はブラックホールに飲みこまれたのだ! 今、返送されたら……」
 ネイビーを乗せた“おまる”が王に伸し掛かる。こう見えて綾子が修行で高めた最新の魔法がこめられており、ピンキーたちより少ない衝撃でも再返送することができるのだ。
「あああああああっ!」
 王の全身が光に覆われる。そして粒子となり、天へ散っていった。王がいた場所で、おまるがビヨンビヨンと何度も間抜けに跳ねた。

「ふぅ……」
 珊瑚は緊張を、長い溜息にこめて吐き出す。だがこれで終わりではない。ウラシマから解き放たれた超常能力者たちが、皮剥市の街を地獄に変えている真っ最中だ。食い止めるためには、探偵社の態勢を立て直す必要がある。珊瑚はまだ軍団がブルーとネイビーを残して全滅し、舞が致命傷を受けたことを把握していなかった。
 そこへ、半メイド状態のイチコがカチューシャのフリルを揺らしながら悠々と歩いてくる。
「よくやった、オレンジの魂を継ぐ者よ」
「あの~、王を再返送したのは顔の良い私です」
「うむうむ」
 イチコはネイビーを軽くあしらい、珊瑚に歩み寄る。
「あの、イチコさん……」
 もちろん珊瑚はイチコの変化に気づいていたが、それよりも状況確認を優先する。
「他の皆さんは? 途中で通信が入らなくなっちゃったんです」
「水原 舞は出血多量で事切れた。軍団も王の部下に。上羅綾子は来ていない。吸血鬼と交渉しているのだろう」
 抑揚なく告げられる残酷な事実に、珊瑚は驚きはすれど悲しみはなかった。
「そっか……でもブルーさんの“つんつん”と社長の魔法があれば、なんとかなりますよね。イチコさんみたいに」
「不可能だ」
「えっ……」
 珊瑚の心臓に戦慄が走り、鼓動が膨らんだ。

つづく。