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小説ですわよ第3部ですわよ2-4

※↑の続きです。

 1984年 4月8日 日曜日 13時半過ぎ 仏滅。
 ピンピンカートン事務所の3階。現在ではイチコと軍団が雑魚寝する居住スペースとなっているが、この時は綾子とイチコが暮らしていた。ちなみに岸田は1回の駐車場スペースにある犬小屋で生活している(彼の正体は綾子の使い魔である狼であるため、さして不満はなかった)。
 春の陽光が窓から差しこみ、綾子とイチコを散歩へ誘うが、ふたりは部屋の一角に置かれたテレビにかじりついていた。流しで岸田が皿を洗う音が、少しうるさい。
 番組名は『スーパージョッキー』。ビートたけしが司会のバラエティ番組だ。綾子たちは、中でも「ガンバルマン」のコーナーが大好きだった。たけしの弟子である『たけし軍団』が、プロレスラーと戦ったり、大掛かりなセットから落下しそうになったりと、身体を張ってバカなことをやるのが楽しかった。

 イチコが身を乗り出し、手を叩いて大笑いする。探偵社に迎え入れてから約20年、彼女を取り巻く環境は何も変わらなかった。綾子が一般常識を教えこんだくらいか。記憶が戻ることもないし、吸血鬼と同じく歳をとることもない。身辺調査などの仕事をこなしながら、たまに現れる返送者を轢く日々をひたすら繰り返していた。
「ハハーハッ!」
 変わったといえば、このテレビディレクターみたいな笑い方くらいだ。現代の日本を勉強するという名目で、暇さえあればテレビを見ていた影響だろう。さすがにどうかと考えた綾子は読書を勧めたが、イチコが目を通すのはスポーツ新聞(有名な東スポはまだなかった)と芸能ゴシップ雑誌だ。
 綾子は、今の状況を特に悪くも良くも思っていない。それは綾子自身も吸血鬼で、時間の感じ方が人間とは違うせいだろう。なによりイチコが、この生活に満足している。だから、いつまでも事務所にいていいし、記憶が戻るなどして、出て行くことを望めば送り出すつもりだった。

 だが20年も止まってた時が動き出したのは、あまりに突然だった。
「姐さん、私らも軍団作ろうよ」
 ガンバルマンのコーナーが終わって、真剣な顔で言った。特に親しい友人を作らず、仕事以外は事務所だけで世界が完結していたイチコが、なぜそう思ったのか。ようやく寂しさを覚え始めたのだろうか。
「あら、どうして?」だから綾子は最初に理由を訊ねた。
「軍団がいたら草野球できるじゃん。ビートたけしも野球がしたくて軍団を作ったらしいよ」
 イチコの目が陽光を反射していた。
「う~ん、そうねぇ」
「いいでしょ、お願い!」
 イチコはオモチャを寝だる子供のように、綾子の服の裾を引っ張ってくる。綾子は野球に興味はなかったが「ガンバルマン」のように、バカが元気にはしゃぐ姿を見るのは好きだったので、ひとつ条件を出した。
「私は見てるだけ。それならいいわよ」
「姐さんが監督ってこと?」
「指示も出さない。見てるだけ」
「わかんないけど、わかった! じゃ、姐さん、軍団集めよろしくぅ!」
 そうしてイチコはソファにもたれ、スーパージョッキーの続きを観始めた。
「貴方ねぇ……!」
 だが綾子は苛立ちを飲みこみ、イチコの投げっぱなしなワガママを叶えてやることにした。探偵の仕事が増え、人手が欲しいと考えていたところだったのだ(このとき事務所の存在はオープンだった)。
 風が網戸から吹き込み、イチコの髪を揺らした。あたたかな春の香りがした。
 しかし遠くで地獄の門が解き放たれたこともは、誰も知る由がなかった。風も、むせかえるような赤黒い血の匂いまで運んではくれなかった。

 様子見で裏筋駅周辺に「草野球チームのメンバー募集」の張り紙とチラシをばらまいたところ、1週間後には10人の希望者が集まった。野球は9人でやるので、補欠1名分も含めて揃ったことになる。そして全員がそれぞれの理由で無職である。
 綾子は全員採用としたものの、想定外の事態だ。いきなり全員の名前を覚えるは面倒だった。そこで――
 ブルー、レッド、シルバー、ゴールド、グリーン、イエロー、ホワイト、パープル、ネイビーブルー、そしてオレンジ。
 戦隊ヒーローのように担当カラーを割り振ってコードネームとし、その色のジャージを探偵社の制服と定めた。
 奇しくも各メンバーは、いずれも探偵の仕事に有用な特技を持っていた。レッドはボクシング、ブルーは科学の知識、ホワイトは交渉術、パープルは潜入……なぜ彼らが無職なのかは永遠の謎である。

 中でも目を引いたのは、オレンジだった。リーゼント(ヤンキーのそれとは違い、髪を後ろへ流し、後頭部中央あたりでまとめた本来の正統派リーゼントである)に、柴田恭兵を思わせる都会的で端正な、嫌味のない男前であった。
 余談だが、当時はまだ『あぶない刑事』も『はみだし刑事情熱系』もなく、柴田恭兵はまだ本格的なブレイクを果たしていなかった。だがテレビっ子のイチコは『俺たちは天使だ!』を観てカッコイイ若手俳優がいると注目しており、誰もが彼をオレンジと呼ぶ中、イチコだけは柴田と呼んでいた。
 オレンジは突出した能力こそないが、他のメンバーの特技を満遍なく、ある程度の精度で実行できる。
 綾子は迷うことなくオレンジを軍団のリーダーとして任命した。軍団内で妬み嫉みが起こるのではないかと心配したが、オレンジは真面目さと明るさ、なにより他人の痛みに寄り添える優しさで、見事に軍団を統率した。重ねて言うが、なぜこのような人材が無職なのかは、永遠の謎である。

 こうして軍団はバックアップチームとして活躍し、草野球でもプロの2軍と互角に渡り合うなど目覚ましい活躍を果たした。残念ながら、たけし軍団と試合する縁はないままだった。
 世間では冷戦の緊迫感が高まり、返送者も増えた。それはウラシマが擁する返送者の犯罪が増えたことも意味する。ウラシマ自体は完全に未知の存在であったが、軍団の加入によって一気に捜査が進み、“王”と呼ばれる黒幕の存在が明らかになった。探偵社内ではウラシマ潰しの気運が高まっていた。

 そうして迎えた1986年 12月9日 火曜日 午前2時。事務所の敷地外から、何者かが重い物体を投げた。気づいたのは犬小屋で寝ていた岸田だった。ゴトンという物音がしたという。岸田が狼から人間の形態になって事務所の外階段を調べると、首が転がっていた。オレンジの首だった。
「あ、綾子お嬢様、イチコお嬢様!!」
 岸田の叫びに3階で就寝していた綾子とイチコが飛び起き、かけつける。ここで首の切断部に、手のひらサイズのメモが埋めこまれているのを発見。

「我は黄金の森を統べるウラシマ王。スカラー神より悠久の王権を授かりし者なり。座を欲しくば、ヤドリギの枝を折れ。勇気がなくば、我が森を忘れよ」

 ウラシマからの宣戦布告であることは明らかだった。そしてオレンジが残虐非道な仕打ちを受けたかも、首の上の恐怖に歪み切った顔を見ればわかった。だがオレンジの目は、最後まで眼前にいたであろう敵を睨みつけまま固まっていた。
 綾子は無残な首を胸元に抱きしめ、声が震えることも隠さずに決意を吐き出した。
「これからウラシマを滅ぼし行くわ。覚悟がある者だけ集めて」
「私も行くよ、姐さん……!」
 イチコの顔は青ざめていたが、心で内なる炎を燃やしているのがわかった。軍団を作れと言い出した責任感に押しつぶされながらも、今は仇を殺すことだけを考えている戦士の顔つきであった。
「ありがとう、イチコ」
 結局、殺害されたオレンジ以外、軍団全員が事務所に集合した。このときオレンジだったら言えたかもしれない。「生きることを選べ」と。だが首から下を失ったリーダーから、導きの言葉が発せられることはない。

 かくして同日 午前3時。ピンピンカートン探偵社と、ウラシマの全面戦争の火蓋が切って落とされた。同時刻、ビートたけしとたけし軍団によるフライデー襲撃事件が起こり、当然ながら綾子たちの戦いが報じられることはなかった。イチコが遊ぶのを楽しみにしており、発売を翌日控えたファミコンソフト『たけしの挑戦状』をプレイすることもなかった。

 頭部を狙撃。
 電撃による心臓麻痺。
 チェーンソーの四肢切断による大量出血死。
 地雷による爆死。
 釣り天井の落下による圧死。
 発狂ののち銃で自死。
 ピアノ線を首にかけられ、窒息死。
 撲殺。
 ウラシマに突入して10分足らずで、返送者たちの迎撃により軍団は全滅した。

 綾子、岸田、イチコは悲しみや怒りの感情をしまい、ウラシマの返送者を100人以上は仕留めた。そして最後まで戦う姿勢を見せる中、老人のような男が若者のような声を発しながら現れた。
「我らも、これ以上の犠牲を望まぬ。求むるは血を鎮める贄のみ」
 王はイチコを指さした。
「スカラーの信託が告げる。今より27年間! 獣の数字を持つ子の身と、記憶を差し出せ。さすれば今宵の狼藉は不問とする」
「ふざけるな!」
 イチコが身を乗り出そうとするのを、綾子が押しとどめた。
「姐さん、なんで!」
 イチコは吸血鬼のような犬歯を剥き出しにした。王が何故そう呼ぶかはわかないが、獣の牙であるとも綾子は思った。
「ごめんなさい、イチコ。必ず迎えに行くから」
 両腕をイチコの首へ回すようにして伸ばす。だが――
「姐……さん……」
 イチコは綾子に抱きしめられることなく崩れ、岸田に支えながらゆっくり地面に横たわった。

つづく。