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小説ですわよ第3部ですわよ2-5

 王は眠ったイチコを部下に運ばせ、さらなる手打ちの条件を綾子に突きつけた。

・今後一切、ウラシマに介入しない。
・27年後のイチコの返却時、ウラシマに滞在していた記憶は消去する。
・上記の記憶および、これまでの記憶の一切の復元を禁ずる。

 あまりに一方的な要求に、綾子は残った最後の闘志で眼光を光らせる。
「ウラシマの外に出てきた返送者には容赦しないわよ」
「立場がわかっているのか?」王が声色に苛立ちを孕ませる。
「そちらこそ。貴方が手綱を握っていれば、飼い犬たちが無駄死にすることもなかったでしょうに」
「貴公らの奴隷も同じこと。球遊びだけに興じていればよかったものを」
「……」
「……」
 睨み合いの間があってから、綾子は血で赤く染まった牙を剥き出しにする。その血は、軍団の未来を奪ってしまった己への怒りから、自らの唇を噛んであふれ出たものだった。
「貴方も誓いなさい。ウラシマの外で罪を犯さぬと。さもなければ、その薄汚れた血を一滴残らず吸い尽くしてやるわ」
「よかろう」
 こうして探偵社とウラシマの戦争は、あまりに大きすぎる犠牲を払って休戦となった。

 岸田は防弾仕様の武装リムジンを、綾子の自宅がある大摩羅市まで走らせながら切り出した。
「よろしかったのですか? 綾子お嬢様なら、ウラシマの王とやらの首をねじ切れたはず」
「そうね……」
 綾子は両足を組み、窓の外の闇を見ながら、小さい声で返した。
「では、なぜ?」
 岸田は単純な疑問に聞こえるよう努めたが、無意識に不満が出てしまっていたらしい。綾子はそれを察した上で応える。
「だけどできなかった。王はスカラー電磁波をまとっていたから」
「つまりマルチアヌスを統べる神々と王が繋がっていると?」
「あくまで可能性があるだけよ。ただ、あそこで手を出せば、神々が介入する口実が生まれていたかもしれない」
「……すみません、余計なことをお聞きしました」
「いいのよ」
 窓の向こうで、街頭の光が流れていくのを、綾子はただただ見ていた。

 それから27年後、2013年のお盆。ウラシマの使者を名乗る男がイチコを伴い、事務所を訪ねてきた。使者は長瀬智也似の長髪、長身、男前だったが前歯が一本欠けていた。現在ウラシマの門番を努める銀次郎の息子であり、軍団のシルバーとなる男である。
「ごめんください、ブチ殺すぞ、ウラシマの者っすけど。イチコちゃん返しにきました。ブチ殺すぞ」
 この訪問は、綾子にとって予想外だった。てっきり27年前に休戦協定を結んだ12月9日に戻ってくるものと思っていたのだ。あの日以来、1日が終わるたびカレンダーで赤マジックペンでバツ印をつけ、イチコが戻ることを待ちわび、そして初代軍団を死なせた過ちを一瞬たりとも忘れぬように過ごしてきた綾子にとっては嬉しいサプライズだった。
 使者の後ろからひょっこり顔をのぞかせたイチコは、27年前と全く変わらぬ姿だった。共に紡いできた記憶が消えたことを除けば。
「あなたが綾子さん? 姐さんと呼べって王から聞いてる。今日からおせわになりまーす。外観は趣味悪いけど、中は落ち着くなあ。ハハーッ!」
 図々しさも、笑い方も、イチコのままだった。綾子はそれが愛おしいのと同時に、言いようのない悲しみに襲われた。イチコと一緒に「TVジョッキー」を観ていた日々は戻ってこないのだ。
「そう、私が上羅綾子。よろしくね、イチコ」
 握手を交わし、ふたりの失われた秒針は、また0秒から刻み始めた。

 この後のいきさつも、綾子は大まかに舞たちへ話してくれた。

・使者が「自分も雇ってくれ」と言い出した。
・使者がウラシマの監視役なのは明白だが、綾子は逆にウラシマの動向を探りやすいと考え、使者を雇うことにした。
・使者は銀色のつなぎを着ていたため、イチコはシルバーと呼んだ。綾子は初代軍団の件があるため、もう次の軍団は作らないでいた。
・しかし返送者が増え始め人手が必要だったため、次世代の軍団を結成することにした。その第1号がウラシマの使者=シルバーである。
・シルバーはバカすぎてウラシマの監視役であることを忘れ、すぐに探偵社側の人員として馴染んだ。
・先代の惨劇があるため、オレンジは欠番となった。
・ウラシマには決して関与しないことがルールとして定められた。
・イチコは人格こそ変化はなかったが「自分はこの世界の人間ではない」と強く考えるようになった。

 舞も珊瑚も、綾子とイチコの関係性は「互いに悪態をつきながらも信頼している姉妹のようなもの」と認識していた。だがそれ以上に複雑な過去があった。舞たちが何も言えないでいたところ、綾子が本題を切り出す。
「だからウラシマとの全面戦争はなし、いいわね」
 社長室へ戻ろうとする綾子に舞が立ち上がり、食ってかかる。
「じゃあイチコさんの記憶が戻らなくてもいいんですか!」
「そうは言ってない。でも王と対立してまで取り戻そうとは思えないわ」
「それは……そうですが……」
 舞はしゅんと再びソファに座りこんでしまう。綾子たちの過去を知った今、ウラシマに乗りこめとは言えない。
 綾子が社長室にこもってしまったので、舞と珊瑚は帰り支度をすませてから、事務所3階にいるイチコの様子を見に行くことにした。彼女を慰める言葉は思いつかなかったが、何もせずにもいられなかった。

 3階のドアを開けるなり、ボーリング球ほどの重さをもつ物体が舞の鳩尾に飛びこんでくる。
「ぐえっ」
 反射的に息を漏らしたあと、舞は胸元に飛び込んできたものを見つめる。イチコが頭を舞の胸に預けてきたのだった。
「水原さん、七宝さん……」
「はい」
 舞だけが返事を返す。珊瑚はイチコと舞の繋がりの強さを考慮し、あえて黙っていた。
「私、どうすればいいかわかんないよ……」
 イチコが、かすれ声を絞り出す。舞はそれを素直に受け止め、正直に返した。
「私もわからないです……」
「そうだよね、ごめん」
 舞は何も返せなかったが、イチコの頭を包みこむように抱えた。かつて自分がイチコの胸で泣いたときのように。
「わからないけど、一緒に見つけましょう。犠牲を出さず、本当のイチコさんを取り戻す方法」
「うん……うん……ありがとう……本当にありがとう……」
 ここで珊瑚はようやく動き、イチコの肩に手を置いた。イチコの溜めこんでいた感情があふれ出す。
「姐さんにも理由があるってわかってるんんだ。でも、だけど私だって……うあ……うあああああああああっ!!」
 舞はピンクのジャージに染みこんでくるイチコの涙を、ただ黙って受け止めた。珊瑚は外側から支えるように、舞とイチコをそっと抱きしめた。

つづく。