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小説ですわよ第2部ですわよ4-1

※↑の続きです。

 大晦日は夕方まで寝た。昨日ベッドに身を投げてからの記憶がなく、気がつけば窓に差しこむ光が藍色がかっていた。妹がどこかから帰ってきたあと、また出かけていった。
 歯を磨き、冷たい水道水で顔を洗う。だが瞼は重く、手足がだるい。疲れが残っているのだろう。しかし、ちゃんと働いたという心地良さがあった。

 リビングに行き、母が淹れてくれた温かい茶と煎餅を友に、ダラダラとTVにかじりついた。夕飯はすでに母が『ウザーラ』のピザを注文していた。プルコギと明太子の2枚、両方ともLサイズだ。舞も母も大食いではないが、1~2切れを残してほとんど食べた。互いに無言でバクバクバクバク食べた。仕事でエネルギーを消耗したことと、年末年始に漂う“今日だけは許される”特別感がそうさせたのだろう。

 ピザの紙箱を乱暴に潰してゴミ袋にぶちこんでから、またダラダラとテレビを見た。ドラマの再放送、お笑い芸人のネタ番組、流行アニメの総集編、紅白歌合戦……母のザッピングに付き合った。途中、母が気を遣って「見たい番組はあるか」と聞いてきたが、手をヒラヒラと振ってチャンネル権を委ねた。どの番組にも興味が湧かないのもあるが、なにより年末に宇宙人と戦っている舞にとって、テレビに映るものは刺激が足りなかった。

 23時半を回ったあたりで、母が台所の上の棚に隠してあるカップそばを2つ出して「年越しそば食べよ」と誘ってきた。出汁と揚げ物にこだわった、ちょっぴりお高めのヤツだ。ピザのあとに食べるのはキツい……と心は感じていたが、胃は不思議と歓迎していた。
 舞が電気ケトルで湯を沸かしていると、母は飽きたのかテレビの電源を落とした。ゴボゴボと水が煮える音の向こうで、除夜の鐘が聞こえてくる。何発目だろうか。鐘を打つたびに煩悩が消えるというが、いつか綾子は消滅してしまわないだろうか。そんなことを想像して笑いがこみ上げてきたが、母に見つからないよう顔を逸らした。
 湯をカップそばに注ぎ、やはり互いに無言で貪った。除夜の鐘と、時間を刻む秒針の音だけが聞こえてきた。

 そうして食べ終えたときには、23時55分。母と同時にあくびが出たので、どちらから言い出すこともなく寝ることにした。リビングの窓が閉まっているか確かめ、カーテンを消し、オイルヒーターの電源を落とす。
 母が膝にかけていたタオルケットを肩に乗せ、隣の寝室へ向かおうとする。
「じゃあ、また、来年ね」
「うん、おやすみ」
 舞は引っかかっているものがあったので、今年が終わってしまう前に口にした。
「あのさ」
「ん?」
「立て替えてもらってたお金、来月には返せそう」
 舞は前職を辞めた際に発生した諸々の支払いを、母に肩代わりしてもらっていた。ピンピンカートン探偵社に応募したのも、手っ取り早く金を返すのが目的だった。
「慌てなくていいのに。バイト始めたの、今月でしょ」
「そうなんだけど……ずるずる引き延ばすのも、よくないから」
 探偵社の時給は1500円。加えて、神沼一味を倒したことで特別報酬として50万ほどが綾子から支払われていた。借金を返すのは充分すぎるのだが、その事情を母へ詳しく話すわけにはいかないので、濁した。
「うん、わかった。ありがとね。おやすみ」
「おやすみ」
 時刻は23時59分。母がリビングの明かりを落とす。舞の寝室までは真っ暗のはずだが、まっすぐ歩くことができた。

 寝室に戻ると同時に年が明け、大学時代の友人から“あけおめ”のLINEが届いていたので、スタンプを交えて返信しておいた。その後、社内専用のチャットアプリで綾子から従業員にメッセージが届き、誰も彼も「いいね」ボタンを押して反応した。傍から見ると冷たいように見えるが、1月2日に事務所の新年会が行きつけの蕎麦屋で開催されるので、ここでは形式的な挨拶に留まったというわけだ。

 元旦は午前10時に目覚め、いつのまにか母が作っていた、おせち料理をつまんだ。おせちと言っても数の子、伊達巻き、昆布巻きとシンプルだ。それでも舞にとっては充分ありがたかった。舞が小さいころは父の実家で、親戚連中と新年を祝うのが通例になっていた。母は大晦日の早朝から駆り出され、大掃除やおせち料理の仕込みに駆り出されていたのを覚えている。だが父が逮捕されてから親戚とは疎遠になっていた。舞はむしろ今の方が、母がのんびりできていいと思っていた。
 それから再び、舞は夜まで眠りこけた。起きてリビングに向かうと珍しく妹がいて、テーブルに置かれた電気鍋へ身を乗り出している。すき焼きの肉が煮えるのを待ち構えているようだ。舞に対しては一瞬振り向いて「遅いよ~」というだけだった。父が捕まってから水原家は経済的に苦しい想いをしたが、母方の親戚からの援助などと、なにより母が懸命に働いてくれたおかげで、正月にはすき焼きで祝うという風習を定着させることができていた。
 妹は母が用意したビールや日本酒の大半を、ひとりで空にしたあと、また出かけていった。彼女の名前が“愛”であるというのは、とんでもない皮肉であろう。
 肉と酒の残りを母と片付けていたら眠くなったので、食事の後片付けを済ませてから早々にベッドへ身を沈めた。

 2023年1月2日 午前4時。舞はスマホのアラームと、表示される時刻、窓の外の明るさのギャップに混乱しながら跳ね起きた。今日はイチコたちと初詣に行く約束をしており、夜には新年会がある。その楽しみだけを頼りに、舞は底冷えを耐えてパジャマを脱ぎ、ピンクジャージに着替えた。そしてコートを羽織り、静けさの中へ飛び出していく。

 始発に乗り、待ち合わせ場所である裏筋駅前の西口に着いた。年始といっても、さすがにこの時間帯の人通りは少ない。そんな中、真っ黒なウェーブのかかった髪と、同じく漆黒のコートに身を包んだ女が柱に背をもたれている。マサヨだ。正月には似合わぬカラスのような女に、舞は小走りで近づく。
「マサヨさん、あけましておめでとうございます」
「あけおめ、水原」
 その傍らで、初対面のはずの人型ロボットが飛び跳ねてちょんまげを揺らす。
「あけおめナリ、舞!」
 愛助である。機械蜘蛛の頭脳にされていたのを回収し、充電したあと無事に再起動したのだが、敵対しているあいだの出来事はすべて記憶にないようだった。今はマサヨと弟が住むアパートに身を寄せているという。
 舞は初対面だったが、マサヨと記憶を共有しているので、挨拶もほどほどに愛助の頭を撫でてやる。愛助は顔面ディスプレイに喜びの顔文字を表示した。

 と、マサヨは手元の折り紙をいじりながら、訪ねてくる。
「イチコと七宝は?」
「ん~、特に遅れるって連絡はないですから、もうすぐ着くんじゃないですかね」
 舞はマサヨの折り紙が、一角獣ユニコーンのように見えた。この寒い中、マサヨは手袋もせず折り紙を器用に追っている。手がかじかまないのだろうか。
「そう……」
 感情なくマサヨが呟き、舞を見やる。瞬間、舞は本能的に後ろへ一歩飛びのいた。こちらを見るマサヨの瞳が赤く光ったような気がしたからだ。しかしそれは勘違いだったらしい。
「ど、どうしたの?」
「いえ、寒いから身体を動かそうと」
 舞はごまかすために、その場で四股を踏んだ。慌ててマサヨが両肩を掴んでくる
「ちょ……! あんた、こんなところでやめなさいよ!」
「あ……すみません」
 舞が頭を掻いているところに、ふたり分の足音が近づいてきた。
「やあやあ、あけおめ~」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!」
 いつもの黒ジャージの女がヘラヘラと笑い、いつもと違う着物の女子が頭を下げた。
「イチコさん、七宝さん、あけおめことよろです。ていうか七宝さん、すごいね。着物!」
「あ、はい。お母さんがせっかくだからって……」
 はにかむ唇は紅がかり、顔の肌がほんのり白い。化粧もしているようだ。舞もそうしてくればと少し後悔した。

「じゃ、行こうか! ウェザーニュース神社」
 イチコがずけずけと歩き出す。
火山ひやま神社でしょ。檜山 沙耶はアレ、絶対彼氏いますよ」
「ハハーッ! 水原さんは新年から冴えてるねえ。あれ? 神社どっちだったっけ」
「あんた、毎年行ってるんじゃないの?」
「去年だけ行ってないよ。一昨年、軍団が屋台出してるヤクザと大乱闘起こしたから気まずくってさ」
「ええっ、私たちが行って大丈夫なんですか? もしヤクザがイチコさんの顔を覚えてたら……」
「まあ、今の時間帯なら屋台は出てないし平気でしょ。いざとなったら、みんなで戦おう。えいえい、お~っ!」
 イチコが拳を突き上げ、歩き出していく。スマホで調べたところ、火山神社は裏筋駅から歩いて5分もしない場所にあった。しかし早朝とはいえ三が日で人は多く、参拝までは1時間ほど並んだ。ヤクザはいなかった。

「で、どうする?」
 裏筋駅に戻って、イチコが呑気に問うた。まだ6時を回った直後。太陽も顔を出していない時間だ。事務所の新年会まで12時間以上ある。
「なんも考えてないの!?」
 マサヨが呆れてため息をついた。初詣に行こうと誘ってきたのはイチコなのだが、特に予定は組んでいないらしい。舞も珊瑚も、ついでに愛助も同じようにため息を漏らす。
「あ、じゃあ、カフェで時間潰そ。それか、ん~カラオケとか」
 正月の早朝に空いているカフェはなく、結局カラオケになった。歩幅の短い愛助が舞たちについていくるのが苦しそうだったので、マサヨがおぶってやっていた。
「カラオケってなんナリ?」
 部屋に案内され、それぞれが中途半端に柔らかいソファへ腰を下ろす中、愛助が首をかしげた。
「好きな歌をうたうんだよ。大体、有名な歌は入ってる。でも清原の応援歌はないかも。残念だったね、水原さん」
「そういうの歌いたがるのイチコさんでしょ!」
「歌うことに、なんの意味があるナリ?」
「まあ、ストレス発散かな。私が見本を見せるから」
 イチコは慣れた手つきで、デンモクを操作し始める。
「日馬富士が武器にしたこれに、歌いたい曲を入力して……っと」
 流れ始めた歌は、CHAGE&ASKAの『SAY YES』だ。舞はイチコの芸能スキャンダル好きな性格からして、これを歌う理由を察したが、珊瑚と愛助が手拍子で応援し始めたので言葉をのみこんだ。

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SAY YES         CHAGE&ASKA
群青          YOASOBI
はじめてのチュウ      あんしんパパ
ウンジャラゲ      志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー
新時代         Ado
OK!マリアンヌ                ビートたけし
カメレオン       King Gnu
お料理行進曲      YUKA
負けない愛がきっとある    仲間由紀恵
ミックスナッツ     Official髭男dism
タイヨウのうた     Kaoru amane(沢尻エリカ)
Shangri-La        電気グルーヴ
失恋レストラン       清水健太郎
シェキナベイベー      内田裕也feat.指原莉乃
座頭市子守唄        勝 新太郎
(舞たちのカラオケの履歴より)
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 カラオケで2時間ほど潰したが、それでもまだ午前8時過ぎだ。ようやく肌をあたためる日差しが出てきた。
「いやあ、歌うって気持ちいいナリねえ」
「あんた、やっぱり例の大百科知ってんじゃないの?」
 愛助が“あの国民的アニメ”の曲をピンポイントで歌うので、マサヨは疑いの目を向けていた。
「最後の薬物逮捕者メドレーは特によかったなあ!」
 イチコがのびをしながら噛みしめる。
「曲はいいもんだから盛り上がっちゃいましたね」
「カラオケなんて久しぶりでしたけど楽しかったです。でも……これからどうしましょう?」
 珊瑚の顔には不安と疲れが滲んでいた。早起きした上、カラオケでエネルギーを発散したのだから当然だろう。
「新年会まで時間あるし、解散しよっか。みんな眠いでしょ。私もだけど」
「あんた自分から誘っといて、いい加減過ぎるでしょ」
「ハハッ、ごめん。でもさ、みんなでとにかく何かやりたかったんだよ」
 その言葉には舞も珊瑚も、マサヨもうなずいた。愛助は充電が切れかかっているのかコクリコクリと半分寝たように首をもたげた。そういえばイチコたち職場の人間とプライベートで遊ぶのは初めてだ。定期的にこうして遊びたいなと舞は思った。他の面々も、疲れながら充実した表情から同じだと感じられて嬉しかった。

「それじゃ、いったん解散ね。事務所へ18時に集合ね」
 各々が「了解」の反応を示し、裏筋駅前で別れることとなった。イチコは事務所へ戻って、軍団とカルタ代わりにTTSをやるらしい。珊瑚と舞は自宅へ戻ってひと眠りすることにした。
「そういえばマサヨさんの最寄り駅って――」
 言いかけてマサヨに振り向く。すでにイチコと珊瑚の姿はない。愛助は棒立ちで、ただ舞をじっと見つめている。
「私も水原に聞きたいことがあるんだ」
「なんです?」
「ブルーって今どこにいるの?」
「……!」
 駅から神社へ向かうであろう人々の波の中、舞は動けなくなる。
「ええっと……」
 事務所内でマサヨのスパイ疑惑は拭われておらず、ブルーは舞も知らないどこかのセーフハウスに今も身を隠している。
 舞は本当のことを話したかったが、それは危険だ。マサヨを傷つけないようごまかすしかない。舞が紡ぎかけた言葉を、マサヨが塞いだ。
「あたしはまだ、スパイだと思われているのね」
「それは……」
 言い当てられ、舞は取り繕うのに窮する。それを察したかのように、マサヨは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「残念だけど、半分は正解」
 マサヨの目が赤く光った。肌を差すような風が吹き、カラスの群れが一斉に飛び立っていく。
「あたしたちの狙いは田代まさしじゃない。真の特異点と、その運命に干渉できる者よ」

続く。