ひどく優しい世界(小説書き練習)

世界が人より歪んで見える。いつからだろう。こんなに曇ってしまったのは。いつからだろう、目の前の輝く光から目をそらすようになったのは。

アイヴィーは、まだ少し切りかかった森の近くを一人散歩している。
「一人…一人には慣れてる。私は一人で十分。」
そうどこか自分に言い聞かせるように、ぽつりとつぶやく。
家族は兄が一人。兄弟二人で狩りの仕事をしており、今は一日の中で唯一一人の時間だ。いつも早朝の森の空気を吸いに、こうやって一人でどこ行くわけでもなく家の近くを散策する。

森を抜けた先に大きな崖がある。崖のふもとには集落が広がっており、そこには朝からせっせと働く人々が見える。まだ人の気配が出始めたばかりで静けさの漂う街に、市場の準備をしたり、馬車に乗り込む人の金具の音、蹄鉄や車輪が石畳にぶつかる音が鳴り響く。

私が普通だったら、兄もあんなふうに人に囲まれて暮らすことができたのかな。いや、それでも今みたいにはじかれ者だったのだろうな。
どう理想を描いても生まれ持った性質は変えられない。
そういつものように灰色な感情が芽生え始めた瞬間に家に帰ろうと踵を返す。
「私も仕事の準備に行かなきゃ。」

「ルイ、ごめんなさい。今戻ったわ。」
「やあ、お帰り。朝ごはんの準備はもうすんでいる。早く食べて、いつものところへおいで。今日はいつもと違う森へ行くんだ。」
「いつもと違う…?何かあるの?」
「ここ最近、ウサギや鹿は取りにくく自分たちの食料も危ういだろ?もっと奥深く、禁猟区近くまで行ってみようかなと、ね。」
「…でもそれは…」
「ああ。わかっているよ。危険は承知さ。それにお前まで危険に合わすつもりはない。万が一収穫が無かったらの話だ。その時は俺一人でいくからお前は家に帰って夕食の準備をして待っているといい。」
「わかったわ。きっと兄さんなら大丈夫、いい獲物が取れるといいわね。」
「ああ、任せておけ。」
くしゃっと少年のような笑みを浮かべると、兄は私の頭をなでてくれた。

「かなり深いところまで来たけど、今日はなかなか当たりが悪いわね。」
「…ここからは俺一人で散策してくる。お前は家に戻っているんだ。もし俺が戻らないときは、助けを呼んでくれるか?ジョージに言えば手を貸してくれるはずだから。」
ジョージ…、行商人のジョージおじさんのことね。小さい頃はよくお菓子をくれてかわいがってくれたわ。この頃は足を悪くしたとかであまり顔を見れていなかったけれど、確かに彼なら....。
「わかったわ。気を付けてね。」
兄は深い森の奥へと歩を進めていく。
なんだか胸騒ぎがする。…いいえ、きっと大丈夫。大丈夫よ。

しかし家に帰ってしばらくしても兄の帰る様子はない。もう日も暮れてきた。すぐに森は闇に包まれる。いやすでに森は暗く、危険だろう。
「すぐにジョージおじさんのところへ行かなきゃ」
アイヴィーは愛馬の背中に乗り、森を抜け町まで一気に走り抜ける。
何も悪いことは起きない、平気、平気よ....!
なんども悪いことを想像しないように心の中で叫ぶ。
唯一の家族、兄、優しい兄。いつも私を守ってくれた。

「おじさん!!ジョージおじさん!!私よ、アイヴィー。助けてほしいの!!」
さっきまでシチューを作っていたのだろうか、ドアが開いた瞬間にいい香りがする。彼も一人暮らしで、町のはずれでのんびり暮らしているのだ。なので訪れてくる人も多くなく、そのうえこんな切羽詰まった来訪者はめったにない。当然だ。ぎょっとした顔でアイヴィーを見つめる。
「ど…どうした、アイヴィーか?なぜ、こんな所にお前が…」
「今はそんなこと言ってられないの!!兄が…森へ狩りに入ったきり戻ってこないのよ...!どうしたらいいの…何かある前に見つけなきゃ!」
「わかった。わかったから少し落ち着きなさい。時期日も完全に落ちてしまう。その前にわしから町のものに声をかける。ここで待っていなさい。」
「…い…いいえ。私もいくわ。私の兄なのに、一人じっとしていられない。」
「.…わかった。」
アイヴィーの手元はだれが見てもひどく震えていた。無理もない。小さいころから極端に人を信じれなかったかわいそうな子だ。めったに人目に付いたこともなかったのに、今自分から飛び込んでいこうとしている。

ジョージは右足を引きずるようにして、協力してくれそうな町の人々へ声をかけていく。その後ろを生まれたての小鹿のようについて回るアイヴィー。
目の焦点はあっておらず、どこに目を向けて何を話せばいいのかわからないといった様子だ。脂汗がとどまることを知らない。
こわい.…こわい.…この人たちはいい人?それとも…

耳の奥でガラスの割れた音がつんざくように響く。痛い。体から火が噴き出すように熱い。怖い。
目の前に父が立っている。割れたガラス瓶をアイヴィーに向かって振りかざす。頭を抱え身を縮めると膝が擦り剝けている。よく見れば体中傷だらけだ。震えが止まらない。
しかし父から遮るように小さな兄が目の前に立ちはだかる。10歳くらいだろうか。
そうだ、兄はいつもこうやって助けてくれた。今だって私のせいで貧しい暮らしを強いられているのに、危険を冒してまで私を守り続けてくれている。
ちがう、私はこんなのじゃだめだ。いつまでもこんなのじゃ.…!

「お...おい、アイヴィー大丈夫か?」
おじさんや兄の救助のために集まってくれた町の人たちが私の顔を心配そうに見つめている。
「え.…ええ、…ぃじょうぶ。いそぎましょう…」
消え入りそうな声だったけど、なんとか声を振り絞った。
おじさんもこくりとうなずき、10名ほどの町の人を連れて森へ向かった。

「おーい!ルイ!どこにいる!」
四方八方に広がり、足元を警戒しながら慎重に森の中へ進んでいく人々。
当たりも完全に夜に包まれ、手に持っている日の明かりでは十分に見渡せない。
「おい!見つけたぞ!こっちだ!!」
その声を聴いてはっと一斉にみながその方角へ顔を見やる。
暗くてよく見えないが、兄の顔から血が噴き出ている。血だらけだ。
「兄さん!!」
アイヴィーは勢いよく走り出して兄に駆け寄る。
「大丈夫だ、まだ息はある。ジョージおじさんのところへ戻るぞ。ふもとで準備して待ってくれているはずだ。」
「わ…わかりました...!」

「傷跡を見る限り、熊だろう。かなり大きそうだ。どこで見つけた?」
ジョージはそう尋ねながら、自分の愛飲しているジンで丁寧に傷口を消毒し包帯を巻き始めた。
「う…ぐっ」
消毒が染みたのだろう。鈍いうめき声が兄の口から漏れ出る。
「兄さん!ルイ兄さん!わかる?もう安全よ...!」
涙が止まらない。いろんな感情に押しつぶさそうで今にも吐きそうだ。
「アイヴィー…、ありがとう。お前にまた会えた。」
「簡単な処置だけを済ませた。すぐに医者の所へ運ぶぞ、ルイ。馬車を用意しているからもう少し耐えてくれ。」
「ジョージおじさん、ありがとう。もうしばらくアイヴィーを任せてもいいかい?」
「ああ、安心しろ。今は休んでおれ。」
兄は町の人たちと一緒に森から離れ、しばらく町の医師のもとで世話になることになった。
まだアイヴィーの手は震えている。吐き気もすごい。兄の血のにおいが鼻にこびりついて、顔は真っ青のままだった。

続く


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