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ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」訳:大浦康介

前回は「本を読む本」という読書法の本を紹介をしました。今回はそれと対極にあるような本「読んでいない本について堂々と語る方法」を紹介します。
前回のリンクはこちら ↓

この本ですがフランスで出版されベストセラー、その後も世界で翻訳されており、ニューヨーク・タイムズの「サンデー・ブックレビュー」が選んだ2007年のベスト100冊の中で唯一のフランス人著者の本だったそうです。

まず、タイトルが勘違いしやすいのですが、この本は ”本を読まなくても何か別の方法でその本の内容がわかる方法” を説明しているわけではありません。むしろその逆で "本はそもそも(それほど)読まなくても良い、以上" というスタンスで書かれたものになります。どういうことかをいくつかの要素に分けて説明します。ちなみに、私なりに内容をまとめたため、筆者の説明ロジックや章立てとは一致していません。

まず、本を読んだというその状態について筆者は疑っています。ざっと通して読んだのか、じっくり最初から最後まで読んだのか、序文や一部の章だけ読んだのか、内容を本当に理解できつつ読んだのか、理解できなかったのか、読んだとする状態にもさまざまなレベルがあるはずだろうと。

しかも時間が経てば本の内容はいずれにしても忘れてしまう。過去いずれかのレベルで読んだ本でも、現在は読んでないのと同じ理解度の本も多数あるはず。仮に読んだ記憶がある本でも、時間の経過と共に記憶があいまいになり、その人の嗜好や経験などで歪められてしまったものを記憶しているにすぎない。その意味で「本を読んだ」とする事実にほとんど意味がない。

大学の教授や批評家、作家なども実際には読むべき、当然読んでいるとされている本を全く読んでいないことは日常茶飯事であり、それでも講義や講演、原稿作成に全く支障がない。

そして、読書はその読み手それぞれの経験や知識に映し出された結果が投影されるもので、同じ本を読んでも人により解釈や意味は違ってくる。読書後の感想や意見についても同様で、むしろ詳細に読めば読むほど、詳細に意見を交わせばかわすほど、他人(その本の作者含む)の読後感とは違うものになってしまい、共感や同意が得られにくくなる。

現実的にはある本について語る(語らなければならない)という場面は頻繁にあるわけだが、その語る内容はほとんどの場合、その本の内容やその解釈論ではなく、その作者の世界観や自分の経験から来るその本と自分との知識体系の関係性の話がほとんどであり、本そのものを説明しなければならない場面は無いに等しい。そういう意味では特定の本を読むことよりも、その本と他の本との関連性や、作者の作品の全体感におけるその本の位置付け、自分が知っている本との関連性などを理解した方が有意義なことが多い。

筆者はこのような前提に立ちつつ、本を語る際はその本の内容を知らずして語っていいのだ、むしろじっくりとは読まないで語るべきだと主張します。ちなみに、どの程度その本を知っている状態で語るべきかの具体的な指針は書いてありません。目次をざっと見るとか書評で知ったとか、特定の章だけ読むとか、何かしら自分の意見が構成される程度で充分という感じです。本書の例ではその本について何にも知らなくても話せる場合もあるというケースも取り上げられています。

この主張の先にあるのは、本を読んだ人の独創性やクリエイティビティの尊重です。本を読みこみ書いてあることを理解すればするほど、読み手個人の独創性や才能から離れていき、最終的には本に書いてあることの受け売りや丸暗記になってしまう。その作者の言っていることが足かせとなり、自分の意見がわからなくなってしまう。それよりも自分の知識や経験を前提に読まないで話す方が、その人自身の独自観点が活きるし、独創性や自己の創造という意味でより素晴らしいのだと主張します。

この主張がさまざまなシチュエーションや角度から正当化され論じられているのが、この本の特徴となります。賛成の人もいるだろうし、反対の人もいるだろうなと思います。フランス人が書いているからかどうかわかりませんが、日本人や米国人が書くその文体や論理構成よりは、全般的に皮肉っぽい風味が出ており、どこまで本気なのか?と思う時もあります。

あと、本書で取り上げている例が実話なら説得力がありますが、なぜか小説からの引用で説明していることが多く、「いやいやそれは本の中のストーリーでしょ?脚色されているよね?」と思ってしまうことも多々ありました(筆者的には小説の話は作者の意見が反映されているはずだ、と言いたいんでしょうが)。しかも引用を結構長く後ろまで引っ張るので、その小説の登場人物の名前と会話の概要を記憶しておかないと、様々なところで顔を出す筆者の説明についていけずイライラすることになります。ここは非常に読みづらいなと感じました。

また、小説の引用が多いということで、この作者自身は本を読んでいるんじゃないかと思いました。その辺りも主張の説得力が落ちてしまう理由にはなるのかなと感じた次第です。本の趣旨には関係ない話ですが、夏目漱石の「吾輩は猫である」が引用されています。日本の浮世絵がフランス絵画に与えた影響は大きいようですが、フランス人は他の欧米諸国よりも日本好きが多いのかもしれません。

本書の良いところは、結局専門家も本を読んでいると言ってもそのレベルはまちまちだし、何なら全然読んでないんだし、読書から得られる体験なんて一般的に世の中で思われているほど高尚なものでもないんだから、時間を使わず自分なりに理解できて、自分の才能を伸ばすような形でやったらいいんじゃないの?そこに気後れすることは全然ないと言っている点だろうなと思います。

余談ですが、本を読めば読むほどその作者の言いたいことから出られなくなってしまうという筆者の主張ですが、私の前回レビューの「本を読む本」の筆者は分析読書の段階でこの状況から脱するための読書法を説明しています。そこでは、自分の価値観や知性と照らし合わせて作者の意見を咀嚼し、自分の意見が形成されるまで理解を深めよ、筆者の考えが間違っていると思いその根拠もあるならそれもあり、と言っているので作者間で考え方が異なるところです。

関心のある方はぜひ手に取ってご自身でご確認ください。

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