記憶のリブート 第一話
記憶遺伝症 ケント
キャッ
前を歩いていた女性がめくれ上がったスカートを押さえた。
店先にくくりつけてあるヘリウムガス入りの風船がバタバタと揺れた。
白いレジ袋が一気に空へ舞い上がり、雲の中に消えていった。
神社の祭りに来ていたケントはまた、思い出してしまった。
母は祭りの日に、産気付いたんだった。
その日は強風で、中止が危ぶまれたが、早く切り上げることを条件に決行されたんだった。
神社の参道を吹き抜ける風は、人々の熱気と、さまざまな匂いを運んできた。
うずくまる母の背中をさすってくれたのは父ではない、別の男だ。
そうだ、父はケントが産まれる前に事故で亡くなったんだった。
別の男は携帯電話を耳に当てていた。
「救急です、祭りで、女性が急に。ちょっと待ってください。・・・妊婦さんです」
まもなく救急車がきた。その男は自分の娘と手を繋いで人混みに消えてしまった。
汗がぽたぽたと垂れて、石にしみをつくっていた。
ケントは母の記憶を譲り受けていた。
どういうわけだか、時折、何かのきっかけで母の見聞きしたこと、感じたことを思い出す。
このことを母にはまだ、話していない。そして、この先もきっと話さないつもりだ。
22歳になり、ケントは人より一歩遅れて社会人となった。
母は、明るい人だった。朝起きた瞬間から、寝るまで、明るかった。
ケントには母の辛い気持ちが手に取るようにわかるのに、どうしてこんなに明るく演じているんだろうと気持ち悪ささえ感じる時もあった。
今日だって。パート先の弁当やで、ご飯の量が少なかったから代金返せと、いつものおっちゃんクレーマーが文句を言ってきた。店長は母を守るどころか、客が並んでいる前で母を激しく叱責したのを知っている。
それなのに、帰宅すると
「たっだいまぁ、健ちゃん」
である。いつもスタッカートがついたようなしゃべり方で、その度に僕は落ち込む。
辛い時は、辛いと言っていいのに。
唯一の家族の前でも態度で嘘をつかれていることに、ケントは嫌気がさしていた。
何度、この記憶のことを話してしまおうかと思っただろう。だが、落ち込む母を見る勇気がケントにはなかった。