続・境界性パーソナリティー障害BPDの天敵としての医療者 BPDその8

前回、
医療者はBPD者のターゲットになりやすい。
医療者と境界性パーソナリティー障害BPDはお互いが不幸になりやすい、
お互いが天敵同士の危険な組み合わせである、
と書いてきました。
そこからの続きです。

惻隠の情と”卑しさ”


じゃあ、医療者が人を助けたくなるのが悪いというのか?
いいえ。
人を助けたくなるのは、「忍びずの心、惻隠の情」です。
医療者がその惻隠の情に豊かであることは、悪い事ではありませんし、
職業への適正という点でも良い事でしょう。

しかし、なんでそれがBPD者の甘えの心性、操作を引き出してしまうのか、BPD関係がこじれてしまうのか。
それは、その「人の役に立ちたい」「感謝されたい」という心性の”卑しさ”に気が付いていないからです。

職業として病気の方の治療に従事する、というのは、仕事です。
仕事をしたら、給与という形で報酬をいただいているわけです。
給与をいただいているにもかかわらず、さらに「感謝」まで求めてしまう。
そういうものだと勘違いしてしまう。
その根性は”卑しい”と以外に表現しようがありません。

でも、感謝していただけることがある。
それは”めったにはない”、”有難い”おまけです。
当然の様には付随してくるものではありません。
だからこそありがたい。
閑話休題。

治療者側として出会うとき

BPD者に出会う時の医療者は、
治療者側として出会う時と、
BPD関係の相手としてBPD者に出会うこととがあります。

治療者側として出会うときは、
BPD者の惻隠の情を揺さぶってくるその鋭さにおびえつつ、
ボーダーラインシフトを取り、生暖かく支援します。
BPD者の支援が難しいのは、
医療者の根本的な支援したい心を揺さぶってくるから。
揺さぶりに堪えるためには、
そのしがみつきの第一歩である援助を求めるちょっとだけ過ぎた要求に対して、敏感であろうとすること。
敏感に感じ取った上で、「してあげない」(ボーダーラインシフト)。

率直なところ、
医療者にとってボーダーラインシフトは、
BPD者の影に日向にの要求に応えないようにする苦しさに加えて、
医療者が自然に振る舞う方法に抗うことになるので、いっそう苦しいです。
だからこそ、皆でまとまって「生暖かく」対応していくことを確認しながら進めることが必要です。

医療者はBPD関係の相手としてどうBPD者を支援するか


医療者がBPD関係の相手としてBPD者に出会うとき、
言い換えれば、
その操作性に気づき、二人の関係性がBPD関係にあると気づくのは、
相手の操作性と賞賛とこき下ろしの混乱に振り回され始めたときのことだと思います。
そこで、「あれ?」と気づく(と良いな。。。)

そうしたら、
まずは距離を取ること。
心理的、距離的、時間的に。

二者関係であるBPD関係から離れるために、第三者に入ってもらうこと。
距離を取るために。

自分はうまく対応できる、という思いを手放すこと。
何故なら、医療者にはうまく対応できないから。

I(アイ)メッセージでNoを伝えること。
「私はそれは好きではない」
「私にはそれはできない」
やりたくないことには、できない、やらない、と明言する事。

 必要なのは限界設定の明示です。
そこは仕事の場面ではない、
仕事として支援しているわけではないので、
つまり、支援しなくてはいけないこと、は存在しない。
何ならすべて手を引いたって良い。
モットーは「親しき中にも限界あり」です。

そうして、BPD関係から、程よい距離をもった関係に移る努力をする。
それがBPD者に対する支援になります。 
 

医療者の心性とバーンアウト


また、BPD者との関係にとどまらず、
医療者の操作のされやすさ、”卑しさ”を持つその心性の危うさは、
医療者で多いバーンアウトに関連していると思います。 
その話はまた別の機会に

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