「思いて学ばざればーー」
学びて思わざれば即ちくらし、思いて学ばざれば即ちあやうし
学生の頃、この言葉を聞いて、薄ぼんやりとしか意味が分からなかった。
しかし、色々な人に触れて、やっとその意味が分かってきたような気がする。
この対句の前と後、それぞれを実感させる人たちに出会って、やっと分かったのだ。
学びて思わざれば即ちくらしは、ずっと感じてきたことだ。
何で、自分で考えないのだろう。私の会社の同僚は、世間では一流とされている大学を出た人間ばかりだ。だから知識は豊富だ。
それなのに、自分の頭で考えない。自分の眼でものを見ない。
決まったことを踏襲しているだけだ。
それで楽しいのだろうか。
仕事になってないよ、目の前の人たちの生活を見ろよ。
でも、こういう言葉が通じないのである。
ところが、最近、ある人と話していて、ハッとした。
「本を読んでいるときは楽だ。考えてないから。」
私たちは、本を読みながら考えているつもりだけど、この人にとっては、
本を読むことは考えるうちに入らないらしい。
それだけ、普段から考えているということなのだろう。
そう言えば、この人は、文章を書くときは一気に書き上げてしまう。
迷ったりしないのかと聞くと、普段から考えているから、文章にする時には自然に言葉が出てくるのだという。
それが、構成のきっちりとした文章であり、言葉が的確なのである。
この人は、考えることに忙しいのか、本はあまり読まない。
「思いて学ばざれば」という言葉は、こういう人のことを指していたのだろう。
ただ不思議なことは、この人は言葉が的確で、語彙も豊富なのだが、
本を読まないでいて、どうやって豊富な語彙を獲得したのかということだ。
私などは、ただの本読みにすぎないから、よく理解できない世界である。
こういう人が、もっと本を読むようになると大変なことになりそうだと
思うのだが、それが凡人の浅はかさで、この人にとっては孔子様の教えなど、どこ吹く風。
今日も、畑で農作業をしているようだ。
(2023年3月1日)