初めて村上春樹読んだ

今まで避けていたけれど、セールになっていたから、村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだ。こんな小説があったのかと衝撃を受けた。続けて初期三部作全部を読んだ。久しぶりに読み耽った。「ダンスダンスダンス」も読んだ。これで「僕」の繋がりを全て読破した。読後これで終わったのかという寂しさと、じわりと広がる納得感に心打たれた。この感動はなんだろう、と思って自分なりに考えてみた。(作品の理解の仕方は無限大のはず。)そしてこれは、1人の人生とその時代に、寄り添い見てきたものに起こる深い共感なのでは無いかと思う。

一言で言えばノスタルジーだ。ノスタルジーは強い感情だ。なぜなら哀しみを伴うから。哀しさは嬉しさよりも大きく感じるものだ。

ある夏の日の青年が、時代を通して変わっていく、大人になっていく。どう変わっていくのか、何をもたらすのか。手に入れ、失い、そして時代をかけていく。自分達あるいは自分の世界(例えば親とか、住んでいる場所)にも必ずあった・あるはずの時代と年代。そこに重ねることで私たちは一体何を手にしたのか、失ったのか。忘れられない出来事はなんだったのか。忘れてしまったことはなんだったのか。(小指を失った女の子はその後ほとんど言及されない。)そういったものが呼び起こされるのではないか。

ここにルーツとシーンという言葉を重ねたい。ルーツはその人がどういう経験をしてきたかということ。シーンは時代背景だ。2つを明確にすることで、話も明確になる。この4部作でいえば、ルーツは恋人や妻、友人の喪失、羊男との邂逅。シーンはヒッピーカルチャーであったり、学生運動、高度経済成長、バブルといったところか。これが明確に表現されることで、共感性は抜群に上がっているのでないかと思う。

この考えは「フォレスト・ガンプ」を見ても思い起こされる。やはりこれも不朽の名作だ。アメリカの歴史を背景にいかにフォレスト・ガンプが生きたか。何を得て、失ったのか。時代に浮き沈みがあり、人生に失敗と成功がある。映画を見る中で人は共感し、そして自分を振り返り見つめ直したのではないだろうか。

共通するのは、作品を通じて結局は自分の物語になっていくということだ。ルーツとシーンを考えるきっかけになる。そしてそこにノスタルジーがある。だから面白い。忘れられない。

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