生きる?

友達に自分の考えは何かと聞かれた。けどその時は友達の話を理解するのに必死で自分の考えはうまく言語化するキャパがなかった。少し落ち着いた今なら何か書けるかもしれない。

その話というのはおそらく「生」だとか「死」だとかそういう類の話だったと思う。自分の考えになかった考えを聞くのはすごい疲れた。言葉では表せない疲れだった。

自分は物事が複雑になればなるほど言語化するのが苦手になる。そりゃそうか。それが普通か。とにかく感覚だけで書いていく。

そもそも自分は「死にたくない」と考える。なんかよくわからん。なぜかはわからん。周りの人との繋がりが断たれるのが怖いのはあると思う。1人は好きだけど独りは嫌いやから。生きる上で自分が自分であることは1番大切だと思う。そうでなければ生きるという行為がよくわからないものになる。よくわからないものがなにか。それもわからない。わからないから良い。わかってしまったらそれまで。結局なんなのかわからない。わからないことにこそ価値があって、全てわかってしまったらそれこそ何のために生きるのかわからない。何のために生きるのかわからないっていうわからないが生まれて矛盾しているように思えるけど、だから生きているんやと思う。結局わからない。全知全能になればできないことがないならなにをすべきかよくわからなくなる。わからないは永遠に続く。
自分の生きる意味が見出せたらいつでも死ねるなんて聞いたことがあるが、それも自分にとっては不可解。なぜ生きる意味を見出す→死んでもいいになるのかわからかい。ほらまたわからないが出てきた。結局は感覚であり、観念の世界ではないんだろうなと想像はつく。けどそれはあくまでも想像の世界にすぎない。それが真実かは誰にもわかり得ないことだと思う。だから生きなければならないって思う。わからないことをわからないままにしておきたくないのが自分の性格で、その場ではノリで過ごしても後からそのわからないをわかるにしようとする。それゆえにわからないことがある状態で死ねない。完璧主義かと言われるとそうなのかもしれない。全て完璧にこなすことは不可能である。常識だ。常識?そんなものありはしない。いや、自分が無きものにしただけかもしれない。またわからない。

やっぱり言語化してまとめるのは難しい。

わからないことが怖かった。わからないことを馬鹿にされないかって。実際そんな人はなかなかいなかったわけだけど、それでも気になってきた。今もそう。自分の行動がどう思われようが気にはしない。ちょうど廊下で勉強することが多くなったが廊下に誰が通ろうとも気にならない。けど、問題の答えを間違えることは恐れる。仕方なく答えを書いて答えてみるけど合ってるかどうかめっちゃ不安になるし、間違ったらどう思われるか心配になる。だからわからないことを無くそうっていう思考に辿り着いたんだと思う。大学受験終わったら理系科目もやりたいと思うし、医学書だって読みたい。できる限りこの世の中のことを知りたい。それをするためには膨大な時間が必要だ。そんな一朝一夕でことが済むほどこの世の中は狭くない。地球上の海だって解き明かされていない場所がほとんどだし、地球に限らず宇宙は特にまだまだ未知な部分が多すぎる。たぶん100年生きたとて全部知ることはできないし、その間にもまたわからないことが増えているんだろうなとは思う。だからできる限り長生きしたいと思う。もちろん、自分で自分のことが全てできるならの話だが。

死ぬことは怖いというより知らないことをたくさん抱えてこの世からいなくなるのが嫌なんだと思う。そもそもこの世からいなくなるってなんなんだろう。その後どうなるんだろう。そんなもん誰にもわかるわけないよね。だから良いんだよ。わからないことが嫌なのにわからないから良いんだよって。矛盾してるな。じゃあなんで矛盾すんのか考えようか。それはちょっと今はめんどくさいかな。

自分はわりと気分屋なところがある。明日になったら言うことが変わっているかもしれない。

今タクシーに乗ってんだけどさ、これ人間が作ったんやで。すごない?
道路平やし、家たってるし、すごない?
こんなもん当たり前とか思うやん?違うねんよ、知らんけど。これはほんまに知らん。けど俺の中ではめっちゃすごい。

ちょっとまたキャパオーバーで爆笑しそうになったから余談挟んだ。タクシーの中で爆笑したらやばいやつやからな。ちなみに爆笑って1人じゃできないねんで、知ってた?知ってるか。そうかそうか。

ちなみに自分はわりと承認欲求の塊であったりする。
だから知りたいってなるんだろうな。いろんなことを知って、人にすごいねって言われたいんだろうな。

結局まだ答えは出ていない。なんで「死にとうない」って考えるのかまだわからん。今日話してた2人の考え方もまだようわからん。それでええんかな?ええんちゃう?知らんけど。ここから探したらええやん。たくさん知ろうと思ったら一つ当たりあんま時間かけられへんけど、これは焦らんでもええんちゃう?あんま焦ると自分を見失うで。「自分」ってなにかもまだようわからん未熟者やけどな、とりあえず今は生きたいって思うてんねん。これは観念の世界とちゃうんちゃうか?身体論でもないような気はするけど、無意識のうちにそう思うてんのよ。たぶんな理由なんて考えたらあかん思うねん。そうやって観念の世界に落とし込もうとするやろ?そうしてきた人間の今を見てみ。えらい大変やで。大変かどうかはまた人それぞれやと思うけど、俺は大変やな思うてんねんな。結局理由を語ろうとしてる時点で自分らはまだそれを考えるに値しない人間なんやないか。ここもまたパラドックスやけど、実際世の中ってそんなもんなんちゃうん?生きるのに理由なんてないねんで。使命とかそんなもんはないと思うねん。将来どうだとか、将来こうなったらどうとか、そんなもん考えるもんちゃうんちゃう?自分の目の前にあるもんはなんや?それこそがそれなんちゃうか?それってなんや?知らんわ。そんなもん自分で考え。けど答えは出すなよ。答え出たものに価値なんてないねん。嘘やけどな。医療は答えが出たからこそ進歩してる部分はあるはずやしな。全部が全部そうではないよ。けど生きる意味なんて見つけたらあかんのちゃうか?ただ生きてる、生かされてる?世の中の真理なんてな人間ごときが理解できるもんちゃうねん。自分の心理とか根っことかそんなもん思い込みにすぎへんわ。だから一生理解なんてしてくれるなよ。他人がどう思おうがそれは俺の知ったこっちゃない。けど俺はそんなとんにはっきり言って興味のないわけや。興味はあるで?けどな、それを今知ろうとする必要はないんちゃうかって思うわけや。今自分ができる最大限のことをする。それは勉強でも、遊びでも、休憩でも、睡眠でも、なんでもいい。ただ今目の前を一生懸命生きる。それでええんちゃうか?これは知らんけどとは言わん。今は今を生きてればそれでいい。そんな生とか死のことなんてこれからゆっくりでもわかっていったらええねん。ってかそもそもわかるって観念的やから身体で理解していないからあんま意味ないんじゃないかなとは思うけど。結局、結論なんてない。ただ今があるから生きてるだけ。たかが18年しか生きてないねんからこんなことを理解できるなんて過信しすぎやわ。自然とか心理とか人間を超越したもんやねん。結論はないから、これはまだまだ続く始まったばかりの物語、、、、、

ご飯美味しかった。今着てるTシャツはフレミング。

(注)
あくまで一個人の意見であり、これ以外の考えの方は間違っているとか、批判しているとか、そういうものではないということをご理解ください。

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