テイカーとギバーの狭間で

 人間誰しも自分の利益のために動きたくなるものだ。どんな時でもギバーとして心の芯を持ち続けられる人はそういない。自分自身はどうかと考えてみた。
 
 子どもの時、親に叱られるたびに「何で自分ばかり言われるんだ!」「弟だってやってるのに」「自分は恵まれない子どもだ」なんて被害者意識をよくもっていたことを今でも思い出せる。そんな考えが頭に浮かべば浮かぶほど、ずるい考えを持つようになった。細かいことだが、本来兄弟でわけるべきおやつを親が見ていないうちに少し多めにとったこともたくさんあった。友だちにジュースを分けてもらうことが当たり前のように思い、ふてぶてしい態度をとったこともあった。子どもの時からかなりテイカー気質だった。

 高校2年の時、1番仲が良かったグループの友人たちと放課後、高校の近くの公園でバスケをしてから帰ることが日課になっていた。誘われていない日があったので、その日は別の友だちと帰ることにした。しかし、バスケグループの友だちの1人から、「今日もやっていかない?」と言われた。あの頃、自分は純粋にバスケが好きだったので、「いいね!行こう行こう」と言ってしまった。別の友だちと帰る約束をしていたのに。一緒に帰るはずだった友だちには連絡もせず、バスケに行った。後日、同じくバスケグループで今でも関わりのある親友から「昨日、あいつずっと待ってたで?ドタキャンはないやろ」と一言。当時は自分が悪かったことにも気づけず、カチンときたことを覚えている。

 こんな子ども時代を過ごした自分は、しばらくの間、人間関係でも苦労していた。この時自分に注意してくれた友人は今でも仲良くしてくれている。本当にありがたいことだ。

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