歪んだピエロ
ふありの書斎の幼少期に遭遇した、すこし不気味な出来事
罪悪感を覚えたのは幼稚園のときだった。わたしはその頃から自分は知能が他の子達より遅れた、欠陥人間のような存在だと思っていたから、幼稚園のバザーの売り子を、午前中に務めなければいけないことをすっかり失念していて…ものすごく罪の意識に駆られた。
自分はなんてダメな存在なのだろう…と落ち込んだ。
当然、役目を果たさなかった自分はクラスにも行けず、ただ、ぼんやり日陰をとぼとぼ歩いていた。
午後になって、保護者も参加するようになり、母が来てくれた。ひどく顔色の悪いわたしを心配してくれて、
「なにかあったの?」
と、訊いてくれたけど、答えられなかった。…というか、話してしまったら普段温和な母にも、なぜ責任を果たさなかったのか、と怒られるのではないかと…心の中でひどく危惧してしまった。
劣等人間
いつの間にか、この先の長い人生でつきあうことになる言葉を、この頃に覚醒させられた。
今思えば、何故こんなにも自分を卑下していたのか解らないが、とにかく周囲の子供たちとわたしは、違うのだ。わたしだけ、人間というものが出来損ないなのだ、と常に意識するようになった。
そしてまた、厄介なことに完璧主義でもあった。劣等人間が、完璧主義者なんて笑えてしまう…今なら。
良い子でありたかった。
先生や、友達に褒められるような事をする良い子になりたかった。でも、その度に自分の思惑とは反して、なにか失敗を犯し、すこしでも粗を見つければ、親指でぐりぐりと広げて自傷のようなことをしてしまっていた。
幼稚園の午後、そろそろバザーも終盤にさしかかると、見たことのない子供が、わたしのもとに駆け寄ってきて、なにか紙袋を押しつけ、また走り去っていた。
押しつけられた紙袋を恐る恐る開封すると、それは綺麗にラッピングされた…壊れたフェルトのピエロだった。
なにこれ
気持ち悪い
こんなの欲しくない
瞬時に浮かんだ感情だった。捨ててしまいたかったが、母が気に入ってしまい、家まで持ち帰り、暫く両親の部屋の洋服箪笥の隅に飾られたが、いつの間にか無くなってしまっていた。家族もそんなピエロの存在をすっかり忘れてしまったようで、何事もない日常が続いていた。
でも、わたしは忘れていなかった。あのピエロは自分になってしまったのだと。大人や友達の機嫌を取り、内心は、とても他人にビクビクし、それ故笑って誤魔化して、常に人を意識していた。
まるで、他者から嫌われないように作り笑いを浮かべた、引きつった笑みの歪んだピエロに。
皆さんご無沙汰しております。
こんにちは、ふありの書斎です。
此処の寒暖差、急な冬の到来に体調を崩されている方も多いのではないのでしょうか?わたしもその一人です。なので、noteの執筆が捗らず、こうしてすこし前に別のアプリに綴っていた作品を移行して、もう少し加筆修正して投稿させてい頂きました。
それにしても、わたしの幼少期は怖いことだらけでした。臆病…とは少し違うような、自分事ですが…多分わたしは幼少期から心や感性が敏感で、その繊細さ故にいつもびくびく怯えていたようにも感じます。いつも、何かが怖かった…。
後に、中学生のときに心療内科の医師から、
『社会恐怖神経症』
という名の、病名が下されることになるのですが。
劣等人間という言葉にも、本当に長く苦しめられました。ようやく今になってゆるゆると、縛られていた糸が解け始めているところです。
心の病気を持ちつつも、創作だけは、手放しませんでした。物語の執筆は、正にわたしの生きる理由だからです。決して、上手い文章を書けているわけではないのですが、例えば、数年全く何も書けなかった時期もありましたが、克服して、わたしの創作をサポートして下さる方々に支えられ、断片的ですが、物語を紡ぐことが、今なお続けられています。
この先も、ずっとずっと物語を書いていきたい。一人でも、わたしの作品を読んで下さる方がいる限り、その思いに、そして自分自身に応え続けたいです。
2023.12
ふありの書斎
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