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本当の人間関係は嫌われることを受け入れる勇気が必要なんよ!

このタイトルを見て何か心がざわついた人はいるだろうか。
何もざわつかなかった人は健全な人間関係を築かれていることだろうと思います。

これは岩井俊憲著「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」の一節なのだが、私には最後通告のように感じられて突き刺さりました。
なぜなら今までいい人であり続けて、嫌われないように生きてきたから。

しかし、嫌われない代償として人と関わることにえらく疲れてしまう。
人からどう見られているのか異常に気にし、人と別れた後は、あの時のあの言葉はどう思われたのかな、他の言い方なかったかな、などと反省モードになる。子供時代からそんな生き方をしていたので、大人になると社交不安障害になり、大学を中退し、仕事は続かず、半分ニート生活、友達も全員切ってしまった。人間関係は親だけ。恋人なんて夢のまた夢だ。

そんな私にサヨナラするには、人に嫌われる覚悟を持たなければならない。

普通の人にはなんでもないことに思えても私にとってはバンジージャンプを飛ぶようなものだ。他人が自分に不機嫌な表情を見せると私は良く分からない罪悪感に襲われ、胸やお腹が締め付けられる。バンジーを飛ぶのは怖いが、変えられない自分はもっと嫌だ。

そこで私はこのタイトルを別の表現に変えてみた。

「嫌われることはひょっとして喜ぶべきことかもしれない」

うーん、ドМっぽくてなにかしっくりこない。

「嫌われることを受け入れてこそ本当の自由が手に入る」

うん、自分の中でピタッとはまった感じがする。

これからはこの言葉を座右の銘として生きていこう。

これも皆様に読んでもらおうと思って、深堀りした結果出てきた言葉です。
感謝です。オブリガードです。



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