文章ってどこからが合格?
※もちろんのこと、この話は結論が出ません。しょうもない考え、思いのたまり場になっているような気がします。それでも良ければ。
これまでは自分がわかれば良いという基準で思ったこと、考えたことを気楽にメモしてきました。
しかし、今回、ほかの人に伝えるために書きなおしています。
文章を書くってなんて難しいんだろう……
ひどく実感しています。文章の拙さ、技術面もそうですが、メモを解読して人に伝わるくらい文章に具体性を持たせるのが、とてもとても難しい。
ちなみにもう書きあぐねて、下書き状態でストックしてあるテーマが三つあります。くやしい。また着手して完成させます。
さて、私はこういった文言を見たことがあります。
「文章で書けないと考えたものも考えたことにならない。」といったようなお話です。大学教授だったか教員だったかの方の考え方らしいのです。
いま、ものを書きあぐねている私には、グサッとささる考え方ですが、その通りだと思いました。伝えられる表現ができてこそ、得られるものが十分になるはずだと。
私はとりあえず、猪突猛進に考え、ある程度うまく書けるまで書こうと思っていたのです。しかし、上記の言葉を思い出したとき、「考えたことになるボーダーラインってどのあたりなんだろうな」と浮かびました。
正直に言って、この問いは二元論で、適切ではないような気がしています。
結局、自分で完全に文章化できたと思えば、それは考えたことになってくれるのでしょうけれど、一生その日が来そうにも思えません。
なにか一本その指標、というか帰依できる神様のような存在が欲しいです……
完全に依存できる、思考を放棄できる指標や神様をもとめてしまうなんて、考えたことになるのはどこからという当初の問いに突き刺さる皮肉な欲求です。
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