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雲に飛ぶくすり/第3話「灰色の花」


——岩手県平泉市。

 雪が降り始め、ジンはフードを被る。中尊寺ちゅうそんじを目指して月見坂つきみざかの急勾配を歩いていた。空気を吸い込むと湿った土の匂いと寒気が鼻腔びくうを刺した。

 すでに前日の雪で湿っていたむき出しの土に足をとられないように、ゆっくりと地面を踏みしめながら歩き続ける。

 愚直に歩みを進めるジンの目には「金色堂こんじきどうまで五百メートル」と看板が映った。東京にいると雪景色がなかなか見られない。中尊寺をより魅力的に魅せる化粧を神様がほどこしてくれたのだなと、上機嫌で歩いた。

 本堂へ到着すると、年が明けた雰囲気で多くの人が境内けいだいを行き交っていた。手水舎ちょうずしゃには氷が張っており、どんと焼きの炎は雪がちらつく上空まで高く上がる。灰色の空に赤色のちりが舞い上がる。ジンはもってきた白だるまをかごに入れ、一礼をした。すぐ横にあった社務所しゃむしょのお守りにチラと視線を送るとその場を後にした。

 金色堂は保存目的のため、近代に建てられた資料館の中にスッポリと収まっていた。束石つかいしから伸びる木の柱もはりも、至る所がきらめいており老若男女の見学客が目の前から動かない。

 例に漏れず、ジンも感激していた。もっていた『奥の細道』の文庫本の文字と実物を何度も往復し、そのたびに自分の口元が緩むのを感じていた。

(もっと早く来ればよかった)

 底冷えのする館内では四回目の紹介放送が流れ始めていた————。

 その日の夕方、ジンは仙台まで南下し、駅近くにあるビジネスホテルに部屋をとった。

 客室で日記帳を広げていた。この感動を忘れないようにペンを進めていく。誰かと出来事を共有したい衝動に駆られる。

 しかし、自宅のある東京から数百キロもある仙台では知り合いなんているはずもなく、欲求は肥大化していく一方で出口が見つからない悪循環へと陥っていた。ジンは気を紛らわすためにホテルを出た。

 東北最大の繁華街と謳われている国分町のメインストリートはまずまずの賑わいだった。牛タンを食し地酒で流し込んだ。満たされたお腹を撫でるとジンは観光気分で国分町の町を歩き始めた。

「お兄さん。このあとはなに系ですか?」

「なに系??」

 怪しい雰囲気の男がジンに話し掛けた。ニタニタと笑うと前歯が欠けていた。話を聞くと国分町の飲み屋を紹介するキャッチであり、この時間帯は暇だからともかく片っ端から話し掛けて客を見つけている最中だというのだ。ソープなら一つ裏に入った通りの『アップ』って店がおすすめだし、もっと軽いのならすぐそこの『こいこい』がいいなどと、ジンが聞いてもいないことを次々と捲し立てていた。

「悪いんだけど僕はそういうお店には今は興味がなくて」

 軽くあしらうと、男はジンから離れていった。

 裏の路地に入ると、ふと鼻に換気扇の気流に乗ってくる肉の焼かれた匂いが粘り着いた。窓ガラスの向こう側にはジョッキを傾け、大きな口を開けて仲間との談笑を楽しんでいる人々。路地先にはゴミ袋を両手で運んでいる人。女性の方に手を回し汚い居酒屋へ入る男女。

 路地を抜けて、開けた道に出ると仙台駅のオレンジ色のビルサインと周囲の高層ビルが建ち並ぶ様子が見えた。イメージしていた純然たる東北の冬は沈み、ジンは国分町の喧噪を全身で受け止めていた。

 立ち止まり、歩こうとした矢先のこと。ジンは何かを蹴飛ばした。それは地面をスライドしていった。

 手にとると灰色の花のような、かわいらしい刺繍ししゅうが施されている手作りのカードケースだった。中身を確認した。

レディースバー「YellowPoint」——アカネ——

 名刺が大量に入っていた。名刺に書かれている場所はすぐ近くだということが判明した。

 刹那、空が怒り始めたように、大きな音を立て始めて雨が降ってきた。ジンはカードケースをポケットにしまうと小走りに道を急いだ。

#創作大賞2024

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