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投資で「夢」を追うのはオヤメナサイ

日本人は夢が好きだ。
小学生には「将来の夢」なんてお題で作文を書かせたりする。

「将来なりたい職業」なんかでサラリーマンがランクインしたりすると最近の小学生は夢がないなどと言われる。

息子である君の夢はJAXAで宇宙開発するか恐竜の発掘だったな。数学が苦手でJAXAは諦めたようだが最近は何だろうか。

そんな感じだから、言われた小学生は子供なりに気を遣って、なりたくもない「スポーツ選手」なんて書いて日本人の同調圧力の強さに順応していたりする。

多くの日本人にとって「夢」はポジティブワードなので、よくマーケティングに使われる。特に高額商品や実物がなく売りにくい商品、ギャンブルなどに多用される。

例えば注文住宅のカタログには必ず若い夫婦と子供が楽しそうに写っていて「夢のマイホーム」を謳っているし、詐欺まがいのネットワークビジネスも夢を謳うし、ブラック企業は「夢」と「やりがい」を掲げて若者を低賃金で酷使するし、ギャンブルは「夢」とか「ロマン」「感動」を売りにスル。

胡散臭かったり、リスクの高いモノにはとりあえず「夢」をくっつけておけばなんとなくOKな感じだし、不思議とそれで受け入れられたりする。

しかし多くの人が夢と現実のギャップに悩んだり落ち込んだりするので、あまり「夢」に振り回されないようにしたい。

そしてそれは投資の世界でも同じだ。
よく聞く話に「20年前にAmazonに100万円投資していたら〇億でFIRE!」とか「5年前にエヌビディアに投資していたら〇億でフェラーリ!」、「ビットコインに投資していたらキャッシュでタワマン!」とかがある(多少脚色アリ)

全然役に立たない投資セミナーとか情報商材とかのキャッチコピーに使われる。投資と夢をほぼイコールに考えているような思考回路のニンゲンホイホイだ。

「たら・れば」の話で夢を見るのは構わないが、明日のAmazonを夢見て上場したてのスタートアップばかりに投資したり、レバレッジのかかったファンドやFXに全額突っ込んだりするのは止めた方が身のためだ。

Amazonの例でいえば、ITバブルがはじけた直後の同社の株価は実に95%近く下落しているのだ。そんな状態になった株を普通の人間が持ち続けるのは至難のワザだ。

投資と夢をほぼイコールに考えているようなニンゲンたちの多くは、ごく短い間市場に参加し「あっ」と言う間に資金をㇲって早々に退場する。

そして人によっては「投資なんかおやめなさい」と親類縁者や友人に言ってまわる(自分の親族にもイタ)。また親族だけでは飽き足らずその経験を商売にして誤った情報を世間にまき散らすようなニンゲンもいる。

まぁまだその程度で済めばマシだが投資に夢をかけて生きるか死ぬかのバクチを打ち、以前書いた記事のようにナル人だっている。

夢を見た代償が自分の命というのは釣り合わないので止めた方が賢明だ。

投資で一攫千金を夢見るニンゲンの多くは「才能」がないだけではなく「勉強」「努力」「忍耐」「行動」どれもしないか足りていない。

ラクして儲けるからこそ夢なのだ。


実際に夢をかなえようと「勉強」や「努力」などをしている人にとって、それはもはや「夢」でなはく「目標」とか「目的」あるいは「希望」という言葉にナル。

社会に出てから労働の世界でも投資の世界でもやたら「夢」を語って近づいてクル企業やニンゲンがいたら、適度に距離を取って生暖かい目で見守るのが正解ダ。

追記
人生において夢があり、それに向けて努力をすることはゼンゼン否定しない。それはとても幸せなことだ。けれど夢なんてなくても恥じることも気おくれすることもない。

自分は「夢」なんかより「希望」が大事だと思っている。人は夢がなくても生きていけるが、希望をなくし「絶望」すると生きることを諦めてしまうことがあるからだ。

君だけでなくすべての人が投資により希望を持って生きられるとよいと思っている。

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