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【千賀】育成出身選手のメジャー挑戦がどれだけすごいか【お化けフォーク】

今年プロ野球選手のメジャー移籍の最大の目玉になるのは、海外FA権を宣言した千賀滉大投手(ソフトバンク)だろう。

契約の代理人となった米大手代理人事務所ワッサーマンのジョエル・ウルフ氏は
「千賀は95〜100マイルの速球を持つパワーピッチャー。最高級のスプリットも持っており、大リーグでも大谷(翔平)以外にその球を投げる投手はいないから、打者は対応できない。性格的にも外交的だ」
と千賀を絶賛した。

メジャー球団のGM陣の評価もすこぶる高い。
ドジャースのブランドン・ゴームズGMが「本当に才能に満ちた投手」と発言。
レッドソックスのハイム・ブルーム最高編成責任者(CBO)が「身体能力とパワーがある」と称賛。
さらにマリナーズのジェリー・ディポトGMが「彼のスプリットはスカウティング・グレード(大リーグで使われる評価基準)で80(80点満点)がつけられるほど圧倒的な力を持つ球種」と述べている。

そんな千賀はよく「育成出身初の○○!」やら「お化けフォーク」とやら騒がれているが、
いったいどんな野球道を歩んできたのだろうか?

簡単に経歴

愛知県の蒲郡市出身。
実父が岩城滉一のファンであることから、出生時に「滉大」と命名される。

小学校2年生から少年野球を始める。
蒲郡市立中部中学校時代は軟式野球部に所属し、三塁手としてプレーしていた。

高校時代

愛知県立蒲郡高等学校への進学。

本人の希望は経験のある内野手であったが、
監督が「キャッチボールをしているのを見た段階です。ボールの伸びが野手の球ではなかったんです。これは投手の球だなと思いました。」との意向で投手へ転向。
1年夏から公式戦に登板した。
#このあたりから大器の片鱗は垣間見えていたようだ。

しかし、膝痛を抱えていたこともあり、2年秋と3年春は公式戦に登板しなかった。

3年夏の県予選2回戦ではプロ3~4球団のスカウトが見守る中、愛知商業に7-5で勝利。しかし、岡崎商業との3回戦に1-7で敗退。

ここで千賀の夏は終わる(高校時代の最速は144km/h)。


その年の育成ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスからの4巡目指名を受けて入団。背番号は128。

「育成選手制度」とは?


千賀はよく「育成出身!」やら「育成出身初の○○!」と騒がれているが、
ここで育成選手について補足しておきたい。


千賀がソフトバンクに入団したのは育成ドラフト会議で「育成契約」されたことによる。

これは通常のドラフト会議と同日に行われる育成ドラフトによって獲得される。
通常のドラフトで指名された選手は「支配下選手」登録されるが、育成ドラフトで指名された選手は「育成選手」登録される。

通常の支配下選手とのおもな違いはコチラ。

(補足)
・育成選手の背番号は3桁と決まっている。
・入団時に契約金はない。その代わりに「支度金」として通常300万円が支払われる。
・出場できるのは2軍の試合のみ。1軍の試合に出場するには改めて支配下登録される必要がる。育成選手はシーズン中の7月末までに支配下登録される場合がある。
・「野球技能の錬成向上」および「マナー養成等」という、育成制度の理念から外れるという理由で、社会人野球チームからの育成ドラフト指名は事実上禁止されている。
・育成出身で他に有名な選手は松本哲也や山口鉄也

既に同期が何人も支配下登録されている中、
育成の選手が支配下に這い上がるのはいかにイバラの道であるか想像に難くない。

#「育成」がゲシュタルト崩壊してきたところで千賀の経歴に戻りましょう

ソフトバンク時代

2011年の入団1年目。18歳。推定年棒270万円。
前述の膝痛で高校時代はあまり練習を積めていないこともあり、4月の3軍練習ではメニューの半分も走れない状態。
普通の選手の練習メニューについてけないほど体力が無く、強く投げると肩に違和感が出るルーズショルダーであったという。
が、3軍コーチは当時より体の柔らかさやしなやかなフォームを評価していた。

1年目は基礎体力の養成を優先。3軍投手コーチとマンツーマンで身体を鍛え上げると、8月に150km/hを計測。ルーキーイヤーでのウエスタン・リーグ公式戦への登板機会は無かったものの、最終的には球速が最速152km/hにまで伸びた。

(補足)『お化けフォーク』逸話

高校時代には浅めに握るスプリットフィンガード・ファストボール(スプリット)を投げていたが、スライダー回転していたため人差し指を縫い目にかける工夫をしたらしい。

制球難に苦しんでいた千賀は2012年1月の自主トレで球界屈指のコントロールを誇る吉見に積極的にアドバイスを求めるとそこで、親指の使い方を教わり「20球に1球しかまともに落ちなかったフォーク」が毎回真下に落ちる完成度の高いフォークへ変わった。

『お化けフォーク』の誕生である。

2年目の2012年4月23日に支配下選手登録。推定年俸は440万円。
当時の先輩投手・近田怜王の勧めで、スポーツトレーナーの鴻江寿治が主宰する合同自主トレーニングへ近田、チェン・ウェイン、吉見一起、上野由岐子などと共に参加。
鴻江から身体の使い方を学んだことをきっかけに、低めへのストレートの伸びを大幅に向上させたという。

地元球団である中日ドラゴンズのスカウトは、ソフトバンク入団後に二軍での千賀の投球を視察した際に「愛知にこんな選手がいたなんて…」と悔しがったらしい。


3年目の2013年に1軍初登板。契約更改では2650万円増となる推定年俸3300万円でサイン。先発転向を直訴している。


5年目、2015年に自身初の先発初勝利。
22歳の2015年12月14日に一般女性と結婚。推定年俸2500万円。


このあたりから破竹の千賀伝説が始まっていく・・・。

千賀伝説

6年目の2016年にはプロ初完投勝利や開幕8連勝。「NPB育成ドラフト出身投手のオール先発によるシーズン10勝」「パ・リーグの育成ドラフト出身投手によるシーズン10勝」はいずれも史上初の記録。
「NPBの育成ドラフト出身投手による一軍公式戦でのシーズン最多勝利記録」を更新。
推定年棒4000万円増となる推定年俸6500万円で契約を更改。

7年目の2017年、
育成ドラフト同期入団の甲斐拓也と共に史上初の「育成選手出身先発バッテリー」が実現。
史上初の「育成選手出身先発バッテリー勝利」を記録。
レギュラーシーズンでは22試合の先発登板で13勝4敗・防御率2.64。
勝率第1位のタイトルが確定。
契約更改では6000万円増となる推定年俸1億2500万円でサイン。

交渉の席では、将来的なポスティングによるメジャー移籍を直訴している。

(補足)背番号逸話

この年のオフ、球団から松坂大輔らがつけていた背番号「18」への変更を打診されたが、悩んだ末に2013年から背負う「41」を「自分の代名詞にしたい」と辞退している。
千賀は「本当のことを言うと、18番をつけたい気持ちが強かったんです」「松坂さんが背負っていた番号だから、つけたかった」「(でも)いま背負っている41番で頑張りたい気持ちがあったんです」「『千賀の41だから41番をつけたい』と思ってもらえる番号にしたい」と語っている。
#熱い。

9年目の2019年、球速を158km/h、159km/hと自己最速を更新していき、日本人2位タイとなる161km/hを計測した。
この年は史上80人目のノーヒットノーランを達成。
育成選手出身でのノーヒットノーラン達成は史上初であり、令和初のノーヒットノーランでもあった。
また227奪三振で最多奪三振のタイトルに輝き、奪三振率11.33は規定投球回到達者では歴代最高を記録した。
契約更改では1億4000万円増となる推定年俸3億円でサイン。

パワプロより選手能力



12年目の2022年、29歳。年棒6億円に。
自己最速を更新する164km/hを計測。
シーズン中に取得した海外FA権を行使することを明言。

#完全に仕上がりました。
#大魔神佐々木が「球速を10km/hアップ」してかつ「初回から9回まで投げてくる」感じですね(地獄)


まとめ

プロ野球で支配下登録される人間は『身体能力オバケ』ばかりだ。

支配下選手は1球団70人。
単純計算だが、
70人×12球団=840人のオバケ人間が支配下登録されている。

千賀はいまプロ野球界のトップレベルの選手まで成り上がった。
つまり、そのオバケ人間840人を1番下からゴボウ抜きしてしまったと言える。

まさにレジェンド。大出世物語だ。


いや、まだ彼の物語は終わりではない。むしろこれからである。


今から彼のメジャー挑戦が楽しみでなりません。



最後までご覧いただきありがとうございました。
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