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すぐ「それ何の役に立つの?」「そんなの無くても困らないし」とか言う人【豊かな人生とは】


「新しいもの」に拒絶感を示す人は少なくない気がする。


身近なところで言うと、例えば「最新Appleデバイス」だろうか。


すごい!!
iPhone14が出たぞ!
ノッチがダイナミックアイランドになったんだって!
カメラの性能も上がってるよ!!

え!!
新しいMacBook AirはM2チップだって!
驚異的なパワーwwでめちゃくちゃ速いらし~よ!!
しかも見た目もカッコよくなったぞ!!!



と言っても、



「それ何の役に立つの?」

「そんなの無くても困らないし」

「今あるやつで十分じゃん」


と言われる。
#特にキラリと光るあのリンゴのマークは彼らの鼻に付きやすい様である。




が、よくよく彼らが使っているデバイスを見ると、
かなり古いモデルだったりする。

※古いデバイスが全て悪だと言いたいわけではないが、どうしても弊害は出てきてしまう。




このようなケースはいくらでもある。


コーヒーを縄文土器で飲む人

そのような殿方を見かけると、
お前、縄文土器でコーヒー飲むのか?と言いたくなってくる。


文明開化が既に成された2022年現在。
「コーヒーカップ」という「優雅にコーヒーを飲むためにとても便利な容器」が開発済である。


しかし、彼らに
ほら見て!コーヒーカップ便利だよ!優雅だよ!と言っても





「いや、この縄文土器でも飲めるじゃん」

「コーヒーカップでコーヒー飲むとか、何?カッコつけてんの?」


とか言われてるようなもんだな。






まぁ、確かに縄文土器でもコーヒーは飲めるんだけど、

縄文土器だとコーヒーにちょっと土とか混ざっちゃうし、

コーヒーカップはコーヒーの魅力を存分に楽しむために開発されているんだから、

そっちを使ってみない?

と言っても、




「いや、俺は縄文土器でいいんだ!」

「ちょっと土が入った方がウマいだろが!」

「ミミズがいる土は栄養あんだよ!コラ!」

と頑なに言う人、少なくない気がする。



縄文土器では「洗い物」とかも大変だろう。



※1縄文土器が悪だと言いたいわけではない。
※2また、縄文土器でコーヒーを飲んだ方が粋だという説はここでは伏せておく。

しかし明日は我が身

と、散々「コーヒーで縄文土器を飲む人」をディスリ散らかしてきたが、

これは本当に油断すると自分も陥りやすい。



昨日、後輩がこんなことを言ってきた。
「オレ、Audemars Piguet(オーデマ・ピゲ)の腕時計が欲しいんスよね・・・。」



「へぇ〜(無関心)」と思って、
値段を見たら480万円だった。



「バカか!?」

「何に使うねん?」

「お前が高級腕時計??」

「時計なんて時間がわかりゃええやろが!」


と、思ってしまった。





が、これも「コーヒーなんて縄文土器でも飲めるじゃろが!」と本質的には同じである。



人生を豊かに生きるには?

「貧しさ」とは「選択肢の少なさ」だと思っている。



よって、人生を「豊か」にしたいなら、ある程度の選択肢は持っておいた方がいいと考える、




選択肢って、知識が物を言うと思う。



「新しいこと(選択肢)」を理解したい(増やしたい)時って、踏まえておかなきゃいけない知識がある。


それが不足していると理解に時間がかかってしまう。

すると、結果的に選択肢が増えない。
むしろ減ってしまうことがある。




つまり、貧しくなってしまう。


たたいてかぶってジャンケンポンってクソ面白いよね?

あくまで例えの話だが、
「たたいて、かぶって、ジャンケンポン」がある。



アレ、やるとめっちゃ面白い。
場合によっては腹がヨジレるまで笑うこともある。




しかしだ。

「ジャンケン」を知らない人に対し、
「たたいて、かぶって、ジャンケンポン」の面白さを説明するのって、メチャクチャ時間がかかる。


まず出せるワザは3種類あって、グーはチョキに勝つんだよとか、そっからだ。




で、大体の場合はルールを説明している途中で、


「それ、何が面白いの?」


とか言われる。




「なんで、わざわざ頭を叩かれなきゃいけないの?」

とか、

「何の役に立つの?」

とか。



そこで話が終わってしまう。








ちゃうねん。


伝えたいのは「ソコ」ちゃうねん。


「たたいて、かぶって、ジャンケンポン」を一緒にやったらめちゃくちゃオモロいで!ってことやねん!!



こうなってしまうと、
やっぱり「たたいて、かぶって、ジャンケンポン」はルール知ってる人と一緒にやるかぁ〜。

となる。






知識不足がゆえに選択肢が減っちゃうって、
究極的にはこーゆーことだと思う。





頼むから、
一回でいいから、最後まで話を聞いて、一回やってみてみようよ。


ってのがもし分かり合えればどんなに素晴らしい世界が待っているのだろうか。


「面白いもの」を面白がれなくなる恐怖

「面白いもの」を面白がれなくなる。


僕はそれが一番怖い。


「死」の恐怖に近い気がする。



そうなってしまったら、
体は生きているんだけど「自分」は死んじゃってるかのような、

そんな感じがする。




これは本当に「明日は我が身」だと思う。




新しいことを拒絶感をせず、
むしろ面白がれる姿勢。


ずっと大切にしていきたいですね…。




最後までご覧いただきありがとうございました💡
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