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卒業生たちの成人式、結婚式

 大学院~予備校講師~公立学校の教員と人生のすごろくが進んでいました。教員として最初に勤めたのは東京からはるかに離れた海沿いの田舎町の実業高校。その高校最後の年、ドラマのような「荒れる日常」を経験し、それでも学年全員が無事に卒業し、私もその学校を卒業しました。次の学校は進学校です。そこで2年が過ぎました。

学校に電話がかかってくる

 海沿いの実業高校の卒業生からでした。
 私のクラスの学級委員だったTさん。要件は、「8月に私たちの世代の成人式がある。ぜひ参加してほしい」とのこと。
 地方あるあるの一つに、「真夏の成人式」があります。高校を卒業すると、就職や進学で街を離れた若者は、1月の成人式には集まりにくいのです。東京からの「日帰り」は不可能。だからと言って成人式出席のために職場を「2泊3日」休むのは無理。大学生は試験中。
 というわけで、「帰省中の真夏の成人式」となります。そこには、中学や高校の先生も出席することが多いです。私も参加したことがあります。そのお誘い。
 日時・会場を聞き、Tさんの連絡先を聞いて電話を切りました。その頃、携帯電話が普及し始めていて、Tさんと私とは、携帯電話の連絡先を交換しました。
 帰宅して、まだ前の学校に勤務している、そしてあの時の3学年を一緒に担任した先生に電話をかけました。成人式のお誘いについてです。
「Tさん、こないだ学校に来て、私とか○○先生とかに声をかけてました、成人式の件で。その時、先生(私のこと)の連絡先聞かれたんだけど、携帯の番号教えるわけにいかないから、学校に電話したらって言いました。大丈夫でしたか」
「一応、私、出席するつもりだけど…、先生どうします。正直、出たくないんですよ。だって、あの人たち(暴れる8人組)も来るでしょう。もう顔見たくないし関わりたくないし…」
 そうか、そう感じるのは私だけではなかったか…。

海沿いの街には、その後一切足を踏み入れていない

 正確に言えば、その方向にすらです。
 不登校の生徒に、どうしても教室に入れないケースや、校門まで来て足がすくんでしまって動けなくなるケースがあります。それがよくわかります。近づくだけでなく、その方向に進むことにすら嫌悪感があります。医学的に正しいよう法ではないですが、トラウマ・PTSDに近いです。その地名を見ると足がすくむのです。
 とても申し訳なく、不義理なことですが、私は自分の心身の状況から無理と判断しました。Tさんに、申し訳ないけどと伝えました。
「わかりました。やっぱりそうですよね。実はみんなも、先生は来ないんじゃないかって…。もちろん来てほしいし、会いたいってみんな言っていますけど、無理はしてほしくないから…」
 申し訳ないとしか言えません。そんな風に気遣ってくれる、大人に成長したみんなに会って、あらためてあの時の感謝を伝えたいという気持ちはあります。気持ちはありますが、身体が言うことを聞きません。
 
 そしてTさんはこんな風に続けます。
「先生、実は私、結婚することになりました。来年、○○市のホテルで披露宴をします。その時、来てくれませんか。クラスの仲間も来ます。そのメンバーなら大丈夫でしょ」
 というわけで、成人式は欠席しましたが、Tさんの披露宴には参加させてもらいました。「高校時代の恩師」としてのスピーチもありました。とてもよい披露宴で、穏やかな気持ちのまま一日を送れました。

A君からの電話

 しばらくして、私の携帯に知らない番号からの着信がありました。
 出ると、A君でした。8人グループの一人で、母子で学校に対する依存と反発の象徴的言動を繰り広げたA君。Tさんの披露宴参加者から、私の携帯番号が広がっていたようです。
 結婚するそうです。お相手は同級生。つまり私が担任したクラスの生徒。高校時代から付き合っていました。目のやり場に困ることが多かったです。
 そして、結婚式に出てほしい、スピーチもしてほしいと言ってきます。
 途中で電話を切りました。携帯ですから、電波が弱かったことにすればよいと思いました。
 その後、何度も着信がありましたが、出ませんでした。
 数日後、高速道路を走っていると、右から私を追い抜いた車が私の前に入ります。ふと見ると、後部座席には見知った顔があって、満面の笑みで手を振っています。A君とその友人とそれぞれの彼女です。全員、あの時の学年の生徒でした。そして、携帯が鳴ります。
 運転中ですから当然出ません。しばらく走っていると、間に別の車が入ってくれました。私は次の出口で高速を降りました。

 私のクラスではない○○さんからも電話がありました。
 知らない番号には出たくないのですが、そうも言ってられない時があります。内容は同じ、結婚式に出てほしい…。私は担任ではないよと言うと、担任はヤダ、先生に出てほしい。
 彼女は何度も電話してきましたが、そのたびにお断りしました。担任を飛び越して出席することはできないこと、土曜日の昼間は部活動や受験課外があるから休めないことを伝えました。参りました…。

なぜ私を結婚式に呼ぼうとするのか

 さすがに参った私は、Tさんと連絡を取りました。
 結婚したTさんは、私と同じ街で暮らしています。というかご近所です。
 ファミレスで待っていると、3人でやってきました。私のクラスの気の置けないメンバーです。座るなり謝罪されたのですが、それは気にしなくていいんです。私が知りたいのは、結婚式になぜ私が呼ばれるかです。
「先生(私のこと)がTさんの結婚式に参加したこと、スピーチをしてくれたことははすぐに広がって、みんなうらやましがっていた。あの8名も、結構うらやましがっていた。」
「披露宴では、両家のバランスを取ることが大切で、たとえば、結婚相手が恩師を来賓に招いてスピーチをしてもらうとなると、自分もそういう人を招かないといけない。ところが、先生もご存じの通り、あの時の状況で恩師を呼べる人はまずいない。」
「今、何度も電話してくる○○さんの結婚相手って、□□高校(その地区で一番の進学校・男子校)の卒業なんですよ。大学には行かないで、地元の役場に入ったの。披露宴ではご主人の高校時代の恩師、役場の上司のスピーチがある。だから、彼女も同等かそれ以上の人を招待しないといけない。○○さん見栄っ張りでしょ。そして、先生って今、県でも何番目かの進学校の先生じゃないですか、□□高校よりよっぽど頭のいい。そういう先生を呼べるんだって、恩師なんだって…、そう言いたいだけなんですよ。」
「しかも、先生って、東京出身で元予備校講師でしょ。進学校出身の結婚相手が、すごい先生がいるんだねって言ったらしいですよ」
 正直、「しらんがな」と思いました。
 そして、田舎町の結婚式でも「偏差値」が出てくることが、本当にバカバカしいというか、そんなことのために大学院に進んだわけでも、予備校で勤務したわけでもない。まして、新婦の「箔」のために、今の学校で働いているわけではない。むしろ、偏差値的な価値から離れ、教育の本質を教えてくれたのが、海沿いの実業高校の存在であり、その生徒たちでした。今、目の前にいる3人もそうです。Tさんの披露宴のお招きを受けたのは、その恩返しです。
「先生、私の結婚式のスピーチで言ってくれたことと、同じこと言っているよ。私たちわかってるから」
 Tさんのこの言葉で、体調はだいぶ良くなりました。
 
 
 ここまでの物語は、平成4~10年頃をモデルとしています。
 メインになった「荒れる一年」はその最後の年とお考えください。
 25年以上昔の物語です。
 そして、25年以上経って、やっと物語として言語化することができました。お付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。
 そして、お読みいただいた方には、物語の中に、現代社会の課題である「ブラック校則」「教員の長時間労働」「学力低下」「威圧的な教育」などを読み取っていただけたと思います。
 こうしたものが、どのように始まったのか、そして時代の価値観はどのように変化していったのか、この後考察したいと思います。
 最初は、「平成7~10年にかけて発生した学力崩壊」です。
                
                        続く…
 

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