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多数決は正しい結論を導くのか(3)

 学校五日制が定着し、ゆとり教育が始まった頃、私は、地方の公立高校の教員になって3校目の学校に異動しました。
 人口は県内3番目の都市ですが、「大学受験対応の予備校」はありません。高校受験対応の塾で個別指導を受けるか、その頃広がり始めた「衛星予備校」で自学自習となります。
 勤務先は「地域のトップ進学校」でした。変な話ですが、大学進学を希望する、国公立大学や首都圏の有名大学を希望する場合は、私が勤務していた地域のトップ進学校に進まないと無理と言われていました。そういうわけで、勤務校が少し前に「地元国立大学の現役合格者0名」という結果を出してしまったことは、地域にとって事件だったと言えるでしょう。江戸時代の学問所創設以来、「教育」を大切にし、明治政府の要人を輩出した地域。勤務校の卒業生にも著名人が多いのです。

地方の課題・公立学校の課題に気づく

 「中学時代の成績で、18歳以降の人生がかなり決まってしまうこと」です。県庁所在地以外の地域のトップ進学校では、数年に1~2名は、現役で東大や国立大の医学部に進みます。その中には5年に一人くらい、東大理Ⅲ現役合格もいます。
 これが、2番手になると、数年に1~2名が地元国公立大学。このあたりになると「数Ⅲ」の授業がなかったりします。さらに言えば、難関大学への合格は「推薦」中心で、一般受験では難しい。
 3番手となると、卒業生の半分が就職で半分が進学。進学と言っても、進学者の半分は「各種・専門学校」で、大学進学は1/4。「高卒進学~地元就職」がニーズの中心ですから、授業には簿記などの商業科目も多く、大学進学には不向き。高校3年生の授業に「古典」はありません。地元私大に合格すれば職員室で胴上げのご褒美。
 
 この状況を言い換えれば、「中学時代の成績で進む高校が決まる」「進んだ高校で大学進学への可能性が決まる」ということ。15歳の成績で、その後の人生がかなり決まってしまう。逆転が難しい…。

もし私がここで生まれていたら… 

 私は東京で生まれ、郊外の私立高校に進みました。同期は、高卒就職から早慶・お茶女まで。あまり勉強が好きではない人から、高校受験で第一志望どころか第二志望まで落ち、大学受験でリベンジに燃える人までいろいろいました。ありがたかったのは、英数が習熟度別授業だったこと。「上位クラスでは大学受験対応」「下位クラスではつまづきの解消」となっており、私はこれで、苦手だった英語の成績が伸びました(1年生は下位クラスで、3年生になって上位クラスにあがれました)。また、歴史の先生に世界史の面白さを学び、3年生になって通った某大手予備校で、大学入試の国語の答案の作り方を身につけました。
 つまり、私は東京で生まれ、そこで母校となった私立高校に進んだこと、予備校にも通えたことで大学進学できたと言えます。言葉を換えれば、「教育・学び」によって、中学時代の成績を更新し、高校で自己の興味に目覚め、知的好奇心を抱いて大学に進むことができました。
 
 私の中学時代の成績をこの地域に当てはめると「三番手高校」になります。もし、ここで生まれていれば…と考えると、まったく別な人生になったはずです。大学にも進めなかったでしょう。

勤務校の生徒の様子を観察すると

 県内で人口3番目の自治体のトップ進学校に集まる生徒さんはこんな感じでした。
1,地方の天然素材系(超優秀)
 塾・予備校などに行かず、学校の授業と参考書・問題集、先生への質問で難関大学・難関学部に合格する生徒さん。サピックスも鉄緑会も河合塾も一切経験せず東大に現役で受かる。こういう生徒さんに教員のやることはあまりない。邪魔しないことが大事。

2、ゴールを示せばモチベーションが高まる系
 登るべき山の高さを示せば、自力で山頂に行ける生徒さん。
 ただし、登るべき山は決まっていない、高さを知らない。ある意味で「無知による生意気さと無気力さ」がある。しかし、山の高さを知れば、そこにモチベーションを見出し、勉強方法なども工夫して自力登攀ができる。

3,手間暇かけて育成系
 高校受験で塾に通った経験あり。自主的に勉強に取り組むことができるが、苦手教科を抱えており、教員のサポートが必要。サポートでつまずきを解消できれば、成績はどこまででも伸びる。ただ、自己評価が低めなので、「受かる大学」を優先し、ポテンシャルより低めの大学に進みがち。地元国公立大学進学者に一番多いのはこのパターン。
 
4,学びへのモチベーションが低い系
 「勉強って何のためにするんですか」という問いを投げかけてくる生徒さん。「では、あなたはなぜ大学に行くんですか」と問うと、「せっかくいい高校に入ったんだから、それに見合ういい大学に行きたいから」「いい大学いけば、給与の高い大きな会社に就職できるから」という回答を示す。
 「学校は何もしてくれない」「うちの高校の先生は大学受験指導ができない」と言うのはこの層が多い。偏差値信仰が強い。
 中学時代までは勉強をしなくてもトップ進学校に受かったという、本質的には優秀な生徒さんが多い。しかし、学習習慣を身につけることなくここまで来てしまったので、勉強の方法がわからない。あるいは、「勉強すると負け」という謎の価値観を持っている。また、中学までは「成績優秀×大人の言うことをよく聞く良い子」だったが、高校入学後、同じように過ごしていても成績が上がらないことをきっかけに「アイデンティティが崩壊」しており、感情的も不安定。「遅い自我の目覚めと反抗期」を迎えており、学校への依存と反発とを示す。

予備校のない街の進学校で

 この頃から「国公立大学への進学ニーズ」が高まってきました。
 ただし、学びたい教授がいる、専攻の学問があるという選択ではありません。「学費が安いから」。
 また、「国公立大学の進学者数」で学校が評価されるようになりました。そうなると、生徒さんと学校の利害関係が一致します。つまり、「国公立大学ならどこでもいい」になるのです。
 というわけで、生徒さんの出願先は、センター試験の結果を見て「合格できることを最優先」に、「北は北海道から、南は沖縄まで」となります。そうなると、こちらも全国の国公立・私立大学入試問題を入手し、数年分を解き、傾向と対策を見極め、その内容を授業に反映させる、課外講習や個別指導に活かすということになります。「登るべき山の高さを示す」ですね。
 そして、授業で明らかになった「学力的弱点・つまずき」を個別に解決していくことになります。これは、放課後などになります。
 登るべき山の高さを示し、つまずきを個別に解決していると、「先生~、勉強って何のためにするんですか~」という挑発的な言葉が飛んできます。
これが、学力崩壊後の進学校の日常…。
 
 この頃から、私は朝5時に起き、24時間営業のファミレスで朝食を取りながら授業準備や入試問題の分析をするようになりました。進路指導部でもないのに、3年生の担任や授業を毎年担当するようになったからです。
 そのココロは、「3年生を希望する先生の減少」です。特に、子供がまだ小さかったり、親の介護を抱えていたり、実家が農家でその手伝いも…という先生に、3年生は負担が大きすぎるのです。
 それは、その先生がいけないのではありません。
 教員が、「学校の先生+予備校の講師」になったからですね。
 この状況を私は「東大から不登校まで」と命名しました。
 これだけ幅のある業務を「一人で進める日々」の始まりです。
 

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