荒れる学校でおきていること その2

 私が経験した「学校の荒れ」は、学校全体には波及せず、高校3年生に限定されたものでした。さらに言えば、3年生の中の8名が徒党を組み、授業妨害、威圧行為、器物破損などを行ったわけで、他の学年の授業・学校行事は平常に実施できていました。

職員室内の空気

 3年生のエリアは重く、暗いです。
 管理職や教務主任は、しばしばそのエリアに足を運び、「(生徒の氏名)がこんなことをしていたぞ、どうなっているんだ」「もっと毅然と生徒を指導してきちんと授業しろ」という抽象的な言葉を若い先生方に伝えます。
 そのたびに、空気はさらに重くなっていきます。
 一方で、他の学年のエリアでは、雑談もしていますし、笑顔で生徒のことを話し合っていたりもします。
 とても同じ学校の状況とは思えません。天国と地獄の共存
 しかし、3年生の状況は、管理職に言わせれば「3学年の責任」です。学校全体で対するという方向には進みません。

1学期の終業式の出来事

 珍しく、3学年主任が学校を休みました。
 その日、生徒さんたちは暴れることもなく、夕方には久しぶりに静かな空気が漂いました。生徒たちが帰宅し、私は進路室で事務作業を進めていました。すると、教頭がやってきて、「ちょっと校長室へ」と言われます。
 そこで聞いたのは、学年主任の失踪。
 今日の欠席は、無断欠席だったこと。一人暮らしの自宅アパートを訪ねると、カギは開いていて、室内には「書き置き」があったこと。自死の心配はないが、行き先は不明であること。実家に連絡をしたが、本人からの連絡はないこと。つまり、失踪です。実家の方で、警察に捜索願も出したそうです。
 さすがに、「失踪」という言葉には驚きましたが、学年主任の気持ちもわかりました。初めての学年主任であったこと。私以外の担任は、「教員になって初めて担任を持つ若い先生」ばかりだったこと。毎日、教頭と教務主任から𠮟責をうけ、「何とかしろ」と解決策のない指示ばかり受けていたこと…。個人的には、「生徒のせい」ではなく、「教頭と教務主任のせい」だと確信できました。同時に、そこまで思いつめた主任を支えることのできなかった自分を責める気持ちもあります…。

 「何か質問はあるかい」と教頭が私に尋ねます。
 教頭と教務主任への怒りはたぎっていますが、主任を支えられなかったという自責の念が、私に冷静さを取り戻してくれました。
 「なぜ、私を呼んだのですか」と問いました。職員室には、学年の他の先生が残っているのです。呼ぶなら学年の先生みんなを呼ぶべきです。
 「いや、それは、君の意見を聞きたいから」
 「意見とはなんです」
 「新しい学年主任を誰にするかだ」
 話の流れ的には、私にやらせたいようです。しかし、この人たちは、「決断が必要な場面で、決して自分の意見を言わない」のです。誰かに言わせて、うまくいかなった時はその人に責任をかぶせるという古典的な手法を用いるのです。

そして、私も暴れてしまう(笑)

 予備校講師という「自営業」から、公立高校の先生という「組織人」になりました。組織の一人ですから、自分の主義・主張と異なることであっても、全体で決まったことには従います。そういう私を見て、管理職たちは、私のことを「安全パイ」と思っていた節があります。あいつは逆らわないという思い込みですね。
 この時、学校長・教頭から、「業務命令として学年主任をやれ」と命令されれば、私は受けた可能性が高いです。 
 しかし、「意見を聞きたい」と言われましたので、意見を返しました。
「学校内の人事・校務分掌については、学校長に権限と責任があるはずです。また、本校の場合は、管理職と組合(いわゆる日教組)との対話・合意を経て決定するという仕組みになっています。そのルールに従って決定をしてください。」
 つまり、お前らが決めろ、私は知らんです。
 すると、校長が何かを言いました。具体的な言葉はもう覚えていませんが、要するに「やってくれないか」という意味のことを、非常にまわりくどい表現でもぞもぞと言いました。
 「繰り返しますが、ルールに従って決定してください。今ここで決めるのは、密室政治です。さらに言えば、本人からは内諾を得たと言って組合との対話を避けるようとするのは卑怯です」
 「もう一つ、お伝えします。私は昨年、異動希望を出し、学校名まで提示されたところで、この話はなくなり、次年度もこの学校で頑張ってほしいと言われました。その際、なぜ異動がなくなったのかの説明を求めましたが、理由はまだ知らされておりません。そのことに、私は強い不信を抱いております。」
 「私は、いずれにしても本校には今年度いっぱいと考えています。他の学校への異動ができるならば、本県で教員を続けます。それができないならば、退職して東京に戻ります。幸い、都内の私立高校からの誘いもあり、夏休み中に受験予定です。そんな人間に、学年主任させていいのですか。私が管理職であれば、そんな人間に重要な役職をあてがうことはしないです」

教頭が進路室にやってくる

 進路室に戻ると、すぐに教頭がやってきました。
 珍しく、「さっきはすまん」というのです。詫びるのです。そして、「君のいうことはもっともだ」と言うのです。
 教頭は、昨年3月まで県庁所在地の進学校の教諭でした。教頭に昇進して最初の勤務校が本校で今年が2年目なのです。そんなわけで、予備校講師であった経歴などについては理解を示し、昨年一瞬決まった進学校への異動については「よかったな、頑張れよ」と言ってくれてもいました。その異動が消えたことについては、教頭が校長に聞いても返答がないそうです。わかったのは、教頭も、学校長に対してはいろいろ思うことがあること。そして、校長は「教務主任によってコントロールされているというか、彼の言うことに任せている」ということまで言い始めました。
 なるほど…そういうことなら、今までのいろいろがどのようなルートで起きていたか、わかります。
 折角なので、教頭に「この難しい状況を学年主任として乗り切れるのは誰と考えているか」聞いてみました。しばらく沈黙して、ある先生の名前を出しました。私も、その人ならばと思える人でした。ただ、教務主任とは意見が対立することの多い人なのです。そういうことか…。

 そして、新しい学年主任は、教頭の言った先生になりました。
 それ以降、教頭が若い先生方を叱責することが減りました。校長と教務主任は相変わらずでしたが、教頭が少し変わったことで、3学年のエリアが少し明るくなりました。
 その直後、B君とC君とが騒ぎを起こします。
             
                     続く…
 
 


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