教員としての試練がはじまる その2(A君のケース)

平成7年頃から学校現場に変化が起き始める

 女子生徒のスカートが短くなる、ルーズソックスが流行る、髪を染める。
 学校に対する依存と、先生という存在に対する不信・敵意が表面化する。
 学校5日制の試行が始まる。
 現在よく言われる、ブラック校則・教員の労働時間・教育不信などは、この頃から可視化され始めたと感じています。
 また、この頃「学力崩壊」と言われる現象も起き始めました。
 進学校では大学受験の現役合格率が下がる。学力底辺校の高校入試では、数学や国語が0点という現象が現れ始めました。
 単純に言えば、学力が下がり、生活指導の手間がかかるようになったということです。もちろん、すべての生徒さんがそうだったわけではありません。ただ、一握りの人々の持つ負のエネルギーが、全体を支配する傾向が強くなった…と感じていました。

暴れる生徒たち

 高校3年生の担任をしていました。
 もちあがりではありません。進路指導部にいたことで、毎年3年生担当なのです。ですから、生徒さんたちがどんな人なのかは知りません。ただ、個人的には「先入観なし」で対応することを意識していました。
 始まりは、A君が喫煙で処分になったこと。
 喫煙の現場を見つかったわけではありません。別件でつかまった生徒に「売られた」のです。そして、A君は暴れ始めます。保護者の方も、現行犯でないのに処分はおかしいと私に詰め寄ります。
 しかし、本人が喫煙の事実を認めた以上、処分なしにはできません。
 とはいえ、保護者の方の感情の高ぶりはかなりなもので、ほぼ初対面である私に対し、学校や先生という存在に対するご意見や批判を縷々述べ続けます。収まる気配がありません。ただ、主訴は「処分を撤回しろ」ということだとはわかりました。

保護者の方が抱えていたもの

 A君は、高校2年生の時にも処分歴がありました。
 中型バイクの免許を取得し通学していたことです。免許取得やバイク購入費用は保護者が出していました。その点で、2年生の時には処分に素直に従ったそうです。ですから、今回の処分に対して感情を高ぶらせたのはちょっと不思議というのが2年生の時の担任の感想。職員室的には、「私が生徒になめられているから」という見解。
 しかし、ある先生からこんな話をうかがいました。
・A君のお祖父さんは、その街の元教育長なんだよ。
・だから、ご両親はA君が処分を受けたということを祖父に知られたくないんだ。ご両親が、お祖父さんに怒られるからね。
・前回の処分の時、ご両親はそのことをお祖父さんに知られないために、自宅謹慎中もA君に制服を着せて、いつもと同じ時間に家から送り出していたんだ。そして、お父さんのお店(自営業でした)のバックヤードで勉強をさせて、いつもと同じ時間に帰宅させていたんだ。だから、当時の担任の家庭訪問先はお店だったはず。そして、お祖父さんは気づいていないはず。

これは高校の先生のお仕事なのか

 単純化すれば、子供の処分が祖父にばれると親が怒られるから、子供の処分を撤回させたいということですね。そのために、言葉を選ばず、学校や先生に対する負の世論をぶつけてきます。
 これ、予備校講師といえども、一応先生になる前に社会人経験があり、この頃もう30歳を超えていましたから、状況を俯瞰的に捉え冷静な自分を保つことができました。
 しかし、大学を卒業したばかりの若い先生が、同じ状況であの言葉を浴びたら参ってしまうだろうなと思いました。また、この件はA君のお祖父さんにばれた方が、一時的には大変かもしれませんが、A家にとって落ち着くのではないかとも思いました。
 そこまで考えて「私は一体誰のために、何をしているんだろう…」という根源的な疑問を感じました。

 この件は、学校が関与しないルートからA君の祖父が知ることとなり、私は「A君の自宅に家庭訪問する」「A君祖父と教育について議論する」というオチになりました。
 以降、A君は、私に対し威嚇的な言動を取ることはなくなりました。
 しかし、その後起きる事件の関係者として、その名前は出続けました。

                    続く

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