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卒業式の出来事

 テレビで見るような荒れた1年も時間が過ぎ、3学期が終わりました。成績や出席日数が足りない生徒さんの補習を終え、奇跡の全員卒業を迎えます。前日、卒業式予行を終えると、帰りのHRで、卒業文集や卒業アルバムなどを配布します。卒業式当日は手ぶらで来れるように、そして卒業証書や後輩たちなどからの贈り物をもって帰れるようにという配慮です。

卒業アルバムの写真のこと

 卒業アルバムには、クラスの集合写真のページがあります。
 これは、3年生になってすぐ、5月の末に撮影します。
 ずいぶん早いですが、その理由の一つは、制服=冬服で撮影するため、もう一つは、早めに撮影を進めた方が価格が安くなるため。
 5月の撮影日、生徒さんたちはそわそわし、こっそり化粧などをしています。一応いけないんですけど、そのあたりスルーしていました。「こっそり・うすめ」ということは、一応いけないと自覚していること。そして一生残るアルバムだから自分がきれいと思う顔で映りたい…という心情は汲み取ってもよいかと考えていました。
 すると、撮影・作成をお願いしている地元写真館のSさんが私を呼びます。小声で、「B君なんだけど、ボンタン履いているの気づいていますか」。
 朝の段階では普通でした。履き替えたみたいです。
 「ボンタンに、金の刺繍で○○上等○○○○って入っているんですよ」
 「これ見たことある。たぶん、卒業生から借りたか、もらったかだよ」
 「このズボン履いて、成人式の写真、うちで撮った人いるから」
 さて、どうしましょう。
 本来ならば、注意して、脱がして、制服のズボンをはかせて撮影です。そうしないと撮影できないと伝えて、クラス全員を待たせる…というのが常套手段。しかし、そうなるとひと騒動になるでしょう。
 社会課題の解決は、倫理・道徳の向上を手段とすることが多いです。しかし、科学の力の方が解決力は高い。
 「現像段階で消せませんか? それだと、今すぐ撮影できますけど」
 実は本校の卒業生でもあるSさん、ニヤッと笑って、「OK。じゃあ早速撮りましょう」と小声で私に伝えると、「撮るよ、集まって」と声をかけ、無事に撮影は終わりました。
 完成した卒業アルバムを見ると、B君は、最前列で身体を少し右に向け、ボンタンの刺繍部分を強調するように立っていました。しかし、刺繍された文字は消され、しかも修正加工がされたとは気づかないほどきれいに処理されていました。
 Sさん、再びニヤッと笑って、「どう」と言います。感謝とその技術への賞賛を伝えると、「やっぱりさ、一生残るものでしょ。年取った時に後悔しないための、せめてものはなむけよ。卒業生としてね」
 そして卒業式前日、配布された卒業アルバムを見て、B君はボンタンの刺繍が消されたこと知ったはず。

卒業式の朝 

 B君は、きれいな金髪で登校しました。
 私がそれに気づいたのは、朝のHR。やってくれたなぁ、最後まで…。
 長い時間をかけて生徒さんたちに伝えてきたのは、「卒業式は、制服・正装で参加しましょう。人生のハレの日です。制服以外のものを着て来る、髪を染める・髪型を変えてくるなどがあると、卒業式に出せなくなります。ただ、卒業式に出れないだけで、卒業そのものに問題はありません。みんなと一緒に教室で卒業証書もお渡しはします。その点は安心してください。」
「もちろん、そんなことはしたくない。特に、就職する人にとっては人生最後の卒業式です。その日は、良い思い出だけにしたい。だから、協力してほしい」
 世間では、「荒れる成人式」が話題になっていた頃です。そういう報道を見て、憧れたり真似したいと思い、それを卒業式で実行する可能性は高めと言えるでしょう。そこに「今までの恨みを晴らす」と言い続ける8名の荒れる生徒さんの存在が重なります。
 実際、卒業式前には、「卒業式が終わったらお礼参りをする、○○や○○をぶっつぶす」と彼らが言っているという噂が広がりました。その中には、私の名前も入っており、それを知った同僚の先生は心配し、クラスの生徒や保護者には、そのことを知らせるためにわざわざ登校してくれたり、電話をくれる人もいました。
 私は、「なるようにしかならない…」と思っていました。
 そして、そのようなことをまだ言っている生徒さんのことを、心の底から情けない人間として軽蔑する気持ちが強くなりました。「○○をぶっつぶす」には続きがあって、「卒業式のあとであれば、停学にならない、停学にできない、内定も取り消せないから」です。
 「あほくさ」と思いました。
 念のため、教頭・教務主任に伝え、事前に警察に相談しておきました。町の駐在所に相談すると、本校の卒業生でもある駐在さんは、噂を知っており、本署にも連絡を取って、何かあった時すぐ対応できるようにしておきますと言い、「もし、学校内で事件が発生した場合、警察が学校に入ってよいですか」と問います。
 「学校ということは気にせず、所定の措置をお願いします」
 先生の教育活動としては、非常にレベルの低い次元の内容と言えます。そのことに自己嫌悪はありました。
 同時に、「卒業式のあとであれば、警察案件になる、本当の犯罪者になる」ということにまだ考えが及ばない18歳の若者と、子供の行為を正当化するために学校に対する依存と反発とを繰り返す保護者の存在に、愛想が尽きました。
 一年間、こんなことを繰り返してきて、私の心身も限界で、寛容な判断はもう不可能でした。

卒業式の時間が迫る

 クラスの生徒たちは、金髪のB君を見て戸惑っていました。
 生徒たちの思いは、「卒業式はみんなで参加したい」です。そういう気持ちがあったから、出席日数や成績が足りない生徒たちも補習を頑張り、全員が卒業を勝ち取ったのです。
 しかし、B君は、生徒たちのそういう気持ちに水を差しました。
 生徒さんたちには、「ああ、これで全員では卒業式に出れない、B君はバカだ」という考えと、「金髪だろうが何だろうが、B君を卒業式に出せ。担任のバカヤロー」という考えとに分かれていたそうです。B君の罪は、今風に言えば、そうやってクラスを「分断したこと」です。
 ボンタンの刺繍を卒業アルバムで消されたことへの反発・復讐のつもりなのでしょうが、それなら、卒業式後に私を襲えば済むことなんですけどね。その方が、私も面倒ではないのですけど。
 さて、卒業式の時間が迫ってきました。会場への入場のために、教室前の廊下に整列しないといけません。その時、保護者の受付をしているはずの生徒指導部長と進路指導部長がやってきました。あとから聞くと、B君が登校してきた段階で金髪にしてきたことは把握しており、どうするかを関係の先生と打ち合わせ、教室にやってきたのです。
 「B君借りるから。先生は卒業式に集中して」と言います。
 そして、廊下に整列するために教室から出た瞬間を使って、B君に声をかけ、列から離して会場とは反対の方向に向かいます。私は、クラスの生徒に「会場に向かう際、B君の場所は空けておくこと。着席するときも詰めずに、B君の席は空けておくこと」を伝え、会場に誘導します。
 後方から叫び声が聞こえました。B君の仲間たちが何かを叫んでします。しかし、私のクラスの生徒は黙ったままです。振り返ると、B君の仲間である、A君、D君も硬い表情をして黙っています。
 吹奏楽部の入場演奏の音が聞こえます。その演奏と拍手とに包まれて私のクラスも入場します。横4列縦長に置かれた椅子の前に立ち、生徒たちが着席する様子を見守ります。その時、保護者席に座るB君の母に気づきました。金髪で登校した我が子がそこにいないことを知ったB君母は、じっと私を見ていました。
 もちろん、生徒を卒業式に参加させないことが、どんなに罪深いことか、それは百も承知です。その罪悪感と、しかしここまでの経緯を思うと「もうこうするしかないんですよ」という諦念に近い気持ちとが共存していました。 
 全クラスの入場が完了し、定時に式典は始まりました。開会宣言、君が代と進み、次は卒業証書授与です。卒業証書授与は、担任が呼名をし、クラスごとに代表生徒1名が壇上に登り、学校長から卒業証書を授与されるという流れです。私は、B君もふくめてクラス全員の氏名を呼名することを決めていました。
 2クラスの卒業証書授与が終わったタイミングで、会場の扉が開くのが見えました。進路部長が入ってきて、その後ろにB君がいます。B君の髪は、完全ではないですが黒くなっていました。そして、進路部長の先導でB君は入場し、自分の席に座りました。それを見届け、進路部長は保護者席に向かって一礼し、保護者の後ろを回って、職員席に着席します。
 B君、卒業証書授与・呼名のタイミングに間に合いました。

卒業式が終わると…

 生徒は教室に戻り、教室の後ろには保護者が入ってきます。
 その場で、一人ひとりに卒業証書を授与します。その際、生徒さんは一言自分の気持ちを言葉にしてみんなに伝えます。
 B君が何を言ったかは覚えていません。
 最後に、副担任と担任からお祝いとお別れの言葉を伝え、解散です。
 終わると、何人かの生徒さんが「写ルんです」を手に「一緒に写真撮ってください」とか、卒業アルバムを出して「一言書いてください」とか言います。保護者の方からご挨拶もいただきました。一通り終え、職員室に戻ろうとすると、先ほどご挨拶いただいた保護者の方の何名かが、まだ教室に残っています。声をかけると、「今日は、先生をお守りしないといけませんから」と、なかなか物騒なことをおっしゃいます。
 そして、保護者の方が指さす方を見ると、廊下でB君と、他のクラスのE君とが、煙草を吸っていました。私と目が合うと、吸っていた煙草を廊下に落とし、足で踏んで火を消し、教室に入ってきて、私に向かって「おう、停学にしてみよろ」と凄んできます。
 ルール上は3月末日までは本校生徒であるわけで、校内での喫煙に対し処分を下すことは可能です。しかし、卒業式を終えた段階で、もうこれ以上彼らと関わりたくない、もう縁は切りたいというのが正直な気持ちです。
 心の中は冷え切り、頭は冷静に冴えていました。
 私は、その場で見守ってくれていた保護者の方にこんなことを言った覚えがあります。
 「この一年間、一部の生徒だけですが、毎日がこんな感じでした。私もつらかったですが、みなさまのお子様にもつらい思いで学校に来ていた時間が長かったと思います。本当に申し訳ありませんでした。また、学期途中で、学年の担任の一人が休職し、学年主任は交代しました。本校の責任ある教員のひとりとしてお詫び申し上げます。」
 「今、目の前でご覧になったような日常は、今日まで解決できませんでした。ただ、逃げずに向き合ったことだけはご理解下さい。それは、私だけでなく、他のクラスの担任も同じです。」
 そして、B君に向き直ってこんなことを伝えました。
 「卒業式を終え、卒業証書は君の手にあります。したがって、先ほど、もう先生と生徒、担任と生徒という関係性は終わりました。ですから、教員として君たちを停学にすることはできません。」
 「しかし、私は一人の社会人として、未成年の少年が煙草を吸っていること、その少年が私に対し脅迫行為を行っていることを警察に通報する義務があります。証拠の煙草は、廊下にあります。証人はここにいる保護者の方々です。また、卒業式でお礼参りをするという噂を聞いている地域の人は多数いて、その中に私の名前があるを私も聞き及んでいます。先日、この件は警察に相談しました。警察も、噂については把握していました。」

 そして、保護者に方に改めて本日の御礼を伝え、廊下で吸殻を広い、職員室に戻りました。他の担任はすでに職員室に戻っていて、私が最後のようでした。生徒部長と進路部長が、「だいじょうぶ?」と声をかけてきます。
 「だいじょうぶですけど、なんですか」
 「Bが煙草を吸っていただろ、どうする」
 そこで、先ほど、その場にいた保護者と本人に伝えた内容を繰り返しました。
 「では、警察に連絡はしなくていいかい」
 「明日まで待ってください。車と自宅と家族の無事を確認してから(笑)」
 少し時間を戻しますが、11月にグループのボス格であるC君の自宅が火事で全焼しました。失火ということになっていますが、地域の人々の間では誰がか火をつけたのだろうという説が信じられていました。 

「あと今晩、私が管理職や教務主任を襲いそうになったら止めてください」
「それは止めない。警察に通報する」
 そんなジョークを交わしました。
 これで、本当に終わった…と思いました。
 この時、私は自分の異動を知っていました。異動先の学校は、前年度消えた学校ではありませんが、一応進学校です。夏休みに受験した都内の私学には丁重にお断りの連絡もしてあります。新しい部屋も契約済みです。
 もう、この学校に残っている仕事はありません。
 でも、終わりではなかったのです。
 彼らは、まだ私につきまとうのです。
                   つづく…。
 
 
 
 

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