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探究学習のマインド形成 2

 「生徒が主役の学び」は、良心的な先生や学校環境の中では意識されていました。しかし現実には「先生が何でもする、何でもしろ、教育のプロだろ!」というのがサイレントな価値観。時期的にはゆとり教育が始まり、総合学習が設置され、アクティブラーニングという言葉が遠くから聞こえてきた頃。
 それでも、大学入試の小論文指導で「生徒主役の場」を形成することで面白いように合格するようになると、これを「教室」でもと思うようになります。

◆最初はうまくいく
 当時の私は高校3年生を連続して担当していました。
 初対面の生徒さんに挨拶をして、授業の中で少しずつ「outputの時間」を入れていきます。すると「講義型授業に飽きている高校3年生」には、これが新鮮で楽しく、自分の考えの言語化や疑問の解消になることもあり好評なうちに進みます。outputによる知識の定着、認識の共有、誤解の修正によって「前提の理解」が共有できることがとても効果的。「前提の誤解」によるミスリードが解消でき、言語化の習慣が身につくためか、6月の記述模試・国語の平均偏差値が上昇します。これで生徒さんも自信を持ちます。

◆うまくいかないクラスが出てくる
 単純なoutputによって「個人の考え・感情・意識の言語化」が習慣化したところで、いよいよ「他者との討議」に進みます。
 課題の構造化、論点の設定、解決策の創造・検証となるのですが、ここで問題が出てきます。議論にならないグループの出現ですね。これは想定内で解決手段も準備していました。しかし、議論にならないグループの空気が教室全体を支配し、やがて「こんな授業、大学受験には無意味」という言動が顕在化するクラスが生まれます。さて、これを如何せんです。

◆生徒さんの人間関係が授業に反映されるということ
 今風に言えば「クラス内に安心・安全があるクラス」は、停滞期はあっても前向きに取り組みが進ます。しかし、自分の考えを述べることにリスクのあるクラスだと、表面的な議論の堂々巡りに終始します。そうなると、もう授業そのものが面白くないですね。
 ここで気づいたのは、「生徒主体の授業」をするためには、「生徒主体の場づくり」をしないといけないということ。もう少し踏み込んで考えると「クラスがどんな状況であっても生徒主体の授業が成立するファシリテーション」を提供しないといけないということ。そういう授業を目指す以上、そういう授業ができる能力を私が身に付けないといけないということです。

◆生徒主体という言葉の再認識
 私のファシリテーション能力では生徒主体にならない、学力が付かない、生徒さんに心理的リスクが生じるという状況であれば、生徒さんの学力が伸びること、リスクのない空間であることの方が優先です。生徒主体を教員が押し付けても…ですね。
 というわけで自己の未熟さを認め、クラスごとに異なる授業デザインを考えるようにしました。と言っても、講義・ペアワーク・グループワークの流れや比率を工夫することで、より合理的・効率的に学びが進む設計を意識するというレベルですけど。
 そして、ワークショップデザインとファシリテーションの勉強を本格的に開始します。「マイ・プロジェクター」も購入しました。

                  もう少しつづく 
 

 

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