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知識と感覚は反比例する気がする。

花屋を始める前、新宿の花屋の店先で野生の松虫草を見た。
生まれて初めてみたこの小さい野草を見て、何となく秋の草原が心に浮かんだ。
それから、成り行きで花屋になった。
感覚だけで仕入れをするわけにもいかなくて、きれいな花を作る農家さんを覚え、通販は運搬にも耐える強さが求められるため、そんなことも知識ととして心に積み重なった。
反比例すように、ひらめくような感覚が減っていったような気がする。
花を見ても単純にドキドキするわけではなく、価格とか、いろいろなことが前面に出て、ドキドキして花を選べなくなってしまった。
それは当然のことだ。
花屋としての成長とも言えるのかもしれない。
少なくても、高橋永順さんの教室に行っているときは毎回ドキドキ、わくわくしていた。
今花屋をやめて、そんな気持ちが少しだけ戻ってきたような気がする。
小さい子供は知識は極めて少ない。だから時々大人がドキッとするようなことを言う。
どうかそのまま大きくなってほしいと思うけれど、それは難しい。
ドキドキするのは、花だけではない。
音楽、景色、絵、本、みんな同じだ。
知識を手放して、何の思い込みもなく、自由に心に受け入れるようになったからだ。

庭のラナンキュラス



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