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翻訳者アーサー・ビナード           オノマトペとマザーグース

1.はじめに

 今回は英語の絵本を日本語に翻訳しているだけでなく日本の絵本が英語にどのように翻訳されるのかに興味を持ちました。そこでエリック・カールやボブ・ディランの絵本を日本語に翻訳をしたり最近宮沢賢治さんの『やまなし』(2022)や『雨にも負けず』(2013)を英語に翻訳しているアーサー・ビナードが手掛けている絵本について調べてみることにしました。

2.翻訳者アーサー・ビナード

 アーサー・ビナードは1967年米国ミシガン州生まれ。高校時代から詩を書き、ニューヨーク州大学で英米文学を学びます。卒論で日本語に出会い魅了されて来日。2001年『釣り上げては』で中原中也賞、2005年『日本語ぽこリぽこり』で講談社エッセイ賞、2007年『ここが家だ‐ベン・シャーンの第五福竜丸』で日本絵本賞を授賞しています。


3.アーサー・ビナードの翻訳絵本のタイトル

 アーサー・ビナードの翻訳絵本はたくさんありますが英語の絵本から日本語に翻訳された代表的な絵本のタイトルに注目してみました。その特徴としてエリック・カールの
『THE ARTIST WHO PAINTED A BLUE HOURSE』(2011)を『えをかくかくかく』(2014)と表現しています。直訳すれば「青の馬を描いた絵描き」となり、『えをかくかくかく』の方が面白そうな雰囲気や手に取ってみたいと思わせています。また内容にもそのタイトルがぴったりとあてはまります。マック・バーネットの『WHAT IS LOVE』(2021)は『なんなんなん?』(2022)と表現しています。直訳すれば「愛ってどういうこと?」となりやはり 『なんなんなん?』とした方がと読者に「なに?」「なにがかかれているの?」と本を手に取りたくなる表現です。トニー・ミトンの『A Very Curious Bear』(2008)は『どうしてどうして?』(2009)と表現しています。直訳すれば「すごく知りたがりやのくま」となります。この様に原書のタイトルとは全く違った意訳のタイトルですが、どのタイトルも原書より興味深く面白くユーモアもあり読者を惹きつけています。特にオノマトペを使うことでその効果がより一層出ているのではないかと思いました。

4.オノマトペ

 アーサー・ビナードがオノマトペに出会ったのは30数年前、夏目漱石の俳句「井戸やぽこりぽこりと真桑瓜」に潜んでいた「ぽこりぽこり」だったそうです。このオノマトペを『日本語ぽこりぽこり』小学館文庫 2023では「くちにのせた瞬間なんとなく楽しく、句の17音よりそのオノマトペの六文字のみぼくの体内で浮いては沈み、たゆたいつづけた」とその印象を述べています。『言葉の本質』(2023)の中に絵本の中のオノマトペについて考察された部分がありそこには「2歳近くになると語彙が急速に増え文の意味が理解できるようになる。しかし文の中でも動詞の意味の推論はまだ難しい。その時にオノマトペが意味の推論を助けるのである。子供を育てる親たちも絵本作家たちも、そのことを直感的に知っていて子供の言語の発達段階に合わせたオノマトペを使って子供に必要とする援助を無意識に行っているのだ」と書かれており赤ちゃん絵本で使われる多くの絵本の中にオノマトペが使われていることに納得がいきました。親も子供たちもオノマトペを自然に好んで受け入れているのが特徴と思います。アーサー・ビナードが日本語の研究の中で夏目漱石の俳句に親しみを感じたのもオノマトペの効果のように思いました。

5.優れた翻訳絵本の条件


 優れた絵本の条件として藤本朝巳は『絵本はいかに描かれるか』(1999)の中でロシア民話『大きなかぶ』の絵本製作例に次の3点を挙げています。①  ロシアの風土・文化・民衆の心 ②簡潔で筋の太いストーリー ③ユーモア、そして翻訳者内田莉莎子については次のように書かれています。「内田のお祖父さんが内田魯庵。我が国ではじめてドストエフスキーの『罪と罰』を翻訳した方です。また魯庵は近代ロシア文化を日本に紹介した人でもあったのです。このような家に育った内田莉莎子だからこそ、絵とテキストの芸術である絵本にピッタリの翻訳ができたのではと思います」と。翻訳者がいかに絵本の描かれた国の文化や風土、民衆の心に精通しているかがよい絵本を作る重要な点だといえると思います。その点アーサー・ビナードはアメリカ人ですが詩人でもあり日本語の研究者で日本人がどんな言葉を好んで使っているか、またオノマトペと日本語についてよく知っている翻訳者といえるのではと思います。アーサー・ビナードが夏目漱石の俳句の「ぽこりぽこり」というオノマトペを気に入り言葉を重ねて使っているのは英語の絵本を日本語にするときばかりでなく日本語の絵本を英語に翻訳するときにも使っていることが分かりました。シニアの絵本の会でよく読む『つみきのいえ』(2008)をアーサー・ビナードは『Once upon a Home upon a Home』と翻訳ました。日本語のタイトルの「つみき」とは全く違う表現であっても「upon a Home」を2回使うことで絵本の内容とつみきが連想でき、リズムが生まれています。この作品は2009年米国アカデミー賞(短編アニメーション部門)を受賞しています。

6.英語とマザーグース


 またアーサー・ビナードは宮沢賢治の「やまなし」(2022)を翻訳していますがその中の「クラムボン」という日本語でも意味があまりよくわからない言葉をマザーグースの 歌詞から表現をしています。
「クラムボンはわらったよ。」「Larve-Doo laugh・・」
「クラムボンはぷかぷかわらったよ。」「Larve-Doo laugh and hiccup」
「クラムボンは跳ねてわらったよ」「Larve-Doo laugh and wiggly-jump」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ」「Larve-Doo laugh in hiccup-hip」
英語版の『やまなしーMountain Stream』のあとがきにアーサー・ビナードは「「クラムボン」とは蟹語の、たとえば数え歌とか囃子詞とか謎かけとか、はたまた遊び歌か、いわゆる伝承童謡のキーワードの一つなのか。日本語で言えば「ちちんぷいぷい」「なんじゃらほい」「うんとこしょーどっこいしょー」「ちょちちょちあわわ」「なま麦なま米なまクラムボン」といった部類に入る。意味は含んでいるが呪文の機能も備わり、繰り返しとなえていくと、まわりの環境に渦巻く生死と響き合って深まる。多分お父さん蟹もこどものころ息子たちと同じように「クラムボン」を口にのせていたはずだ。おびただしい英語バージョンを作ってみて、最も面白くマザーグースとつながるオーラを発散したのはLarve-Dooだ。動物の変態前の「幼生」を表すLarvaが、出発点となった。音楽的に響くDooは「ふらふら過ごす」「のんきにいたずら書きをする」というdoodleに通じる。そしてどことなく古代ギリシャのプラトン「洞窟の比喩」にも通じる気がする」
と「クラムボン」をみごとに英米文化に根付いた風土・文化・民衆の心に残る言葉に翻訳されました。

7おわりに

 今回の学習では英語の絵本を日本語に訳したものと日本の絵本を英語に訳したものを比較することによっていかに翻訳者が絵本が作られた風土・文化・民衆の心について深い研究をされていること見えてきました。日本で長く読み継がれている翻訳絵本、例えば『おおきなかぶ』の中で使われている「うんとしょ、どっこいしょ」という言葉が日本の老若男女誰でもが日常に使っている言葉で自然に受け入れられ物語を楽しめる、そういう言葉を翻訳者が吟味して使用しているこを知りました。
 アーサー・ビナードに注目し改めて「オノマトペ」が日本語独特の文化の中で育まれていることも新しい発見でした。反対に日本語から英語にするときにはマザーグースの英米人ならだれでも知っている詞を使うことなど、絵本に使われている何気ない言葉の奥にはその国の風土・文化・民衆の心があることも学びました。翻訳絵本を学ぶことは「言葉」について深く学ぶことでもありました。この学びから絵本を読むときに一つ一つの言葉を大切に読み伝えていきたいと思います。

参考文献

「絵本翻訳教室へようこそ」灰島かり 研究社 2021
「絵本は以下に描かれるか」藤本朝巳 日本エディタースクール出版社 1999
「日本語ぽこりぽこり」アーサー・ビナード 小学館文庫 2023
「言葉の本質」今井むつみ/秋田喜美 中公新書 2023
「絵本入門」生田美秋/石井光恵/藤本朝巳 ミネルヴァ書房 2013 





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