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3 元服式の列席者の動線図(桐壺)

源氏の元服式は、皇太子の紫宸殿での元服式にも勝るとも劣らぬ盛大さではありましたが、帝の私的な清涼殿で行われました。

読んでいても人の出入りの状況がわかりにくいので、見取り図を描いてみました。

1 清涼殿 東面の広廂

📌 会場は清涼殿東面広廂です。


📌 清涼殿の広廂に帝の御倚子が出され、角髪(みずら)の源氏と左大臣の席が御前に設けられています。
  大蔵卿が理髪役、左大臣が加冠役を務めます。


2 清涼殿 侍所

📌 理髪、加冠が済むと、源氏は会場から去り、恐らく清涼殿南側の侍所で成人の装束に着替えます。

3 清涼殿 東庭

📌 廂の席には戻らず、恐らく清涼殿と紫宸殿を繋ぐ長橋から東庭に降りて、帝に感謝の拝舞を奉ります。

4 清涼殿 昼御座、侍所

📌 帝は昼御座にお戻りになり、参会者は侍所の宴席に下がります。
  臣下に下った源氏は下座に連なることになります。

5 清涼殿 昼御座

📌 宴席の左大臣に掌侍が帝のお召しを伝えます。
  御前に参り、慰労の御衣御盃を賜ります。
  御盃を賜る際に、帝から、娘と源氏の結婚の御念押しがありました。

6 清涼殿 長橋

📌 左大臣は紫宸殿に繋がる長橋の階から庭に降ります。

左大臣は帝に親心の心配も申し上げた後、『長橋より下りて舞踏したまふ』とあります。
長橋』とは、清涼殿と紫宸殿を結ぶ渡り廊下だそうで、そこから東面の庭に降りる階段があったようです。

源氏も一度下がって(多分)侍所で髪や衣服を整えた後、群臣の居並ぶ東面の廂の階からではなく、この『長橋』から庭に降りて拝舞したのかもしれません。

📌 左大臣が階を下がる図では、帝の正面を下がっていくように描かれる習わしかもしれないのですが、
帝はもはや廂ではなく昼御座におわすので、原文通りだとこの図のようにはならないのかとも思います。

その左大臣の拝舞を帝は昼御座から御簾越しにご覧になったのでしょうが、既に(多分)侍所で宴会モードになっていた殿上人たちはどこにいたのかなと思います。
侍所の宴席から体の向きを変えて見ていたのでしょうか。

📌 昼御座に廷臣は控えていたのでしょうか。
御衣御下賜がどの位公的なことなのかわかりませんが、プライベートな場所に、あまり多くの廷臣に畏まっていられるのはおいやだろうなと想像してしまいます。


📌 枕草子で、清涼殿の定子の上御局にお渡りの帝が昼食を知らせる蔵人の声で出ていかれるエピソードの時に、廂に控えていた伊周は、帝を廂側からお送りしてまた戻ってきたようです。
閨事への遠慮だったのか、基本的にそれほどに帝の私邸である清涼殿に上り込むことはできないものなのか。
どうなのでしょうか。

7 清涼殿 東庭

📌 長橋から庭に降りた左大臣も、拝舞を奉ります。

                         眞斗通つぐ美



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