クリエイティブな仕事の限界

クリエイティブな仕事には答えがあるようで答えがないようで

あるデザインを10人に見せるとする。
好き、まあまあ、ふつう、うーん、いまいち、まじで・・・

少し極端だけど、こんな反応だって起きる可能性もある。
人は個性があり、正確も違い、バックボーンも違い、感性もちがう。
だから、いろんな反応があるのは当然でもある。

でも、多くの人が「いいね」と思ってもらえるデザインもある。
もちろんデザインには目的があり、それを形にするという大前提はある。
でもその目的を少し横に置いたとしても、多くの人が「いいね」と思うものもあると思う。

ありきたりな表現で言えばそれが「センス」だと思う。
「センス」については深く考察をしたことがないけど、最近思うのがセンスうんぬんの前に、「良い」「悪い」と素直に感じる心も重要ではないかということです。

コピーライティングの講座を受講していた時のお話です。
課題が毎回出されて、自分なりに考えて考えて作り上げて。私はコピーライターを生業としていないので、経験値は圧倒的に少ないし、仕事として胸を張れるコピーを書いたこともない。でも課題を終えた時、今回はひょっとしたら上位に選ばれるかも、という淡い期待とともにできた作品についてはちょっとした満足感も味わってはいました。

そして課題の発表のとき。少しワクワクしながらその時を迎えるわけですが、講師の方が選ばれた作品が進むにつれ、そのワクワクはどんどんしぼんでいく事がほとんどでした。やっぱりうまい人は違う。全然、捉え方が違う。自分とは表現力が段ちに違う。この作品は良いよな。こういった表現があるのか。感動するな。などなどと他の作品が自分の作品より優れていることを感じながら聞いたいました。そして、何が足りないかも考えながら聞いていました。時jには自信を失いこともありましたが、今振り返って思うことは、こういった経験や自分に足りないものを感じられるということは、まだまだ伸びる余白はたくさん残っているということでもあるし、自分の努力次第ではまだまだステップアップできるという気づきでもあったと。

当社にはデザイナーがいます。しかし外部のデザイナーと比較すれば正直、もっとレベルアップして欲しいということも多いです。そこでふと思ったのが、デザイナーも本当は私がコピーの講義で感じるように他社の作品を見て、自分との違い、他社の作品の良さを素直に感じて、何が足りないかということを見つめ直す、ということは無いのだろうかということです。

というのも何故か、社内のデザイナーでもっと頑張って欲しいという人ほど、成長が感じられないんです。本人は自分の作っているものが最高で、それ以上の到達点はないと感じているのだろうか。コンペで負ければ、好き嫌いのせいだとも思っているのだろうか。それってなんか、クリエイティブな仕事をする上での致命傷ではないのかなと、最近ふと感じてしまいました。

偉そうな物言いかもしれないけど、良いものを素直に認め、少しでも自分の勉強材料にしていく、という思いが無ければ、成長はないのではないかと。クリエイティブな人は得てしてプライドが高い人も多いと思います。だからこそ、それが邪魔する人も多いように思います。

これって考えてみればいろんな環境にも当てはまるような気もしてきました。謙虚さ、素直さ、それがやっぱり一番っていうことなんでしょうね。文章を書きながらタイトルとの結論がちょっと違った感じではありますが、クリエイティブな答えがあるようでないような仕事ほど、その謙虚に感じる力も成長要因として大きいのでは、と思います。

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