思って、想像して、涙ぐむ(エッセイ)
こちらのnoteを読んで頂けたら、もっとわかると思います。
何かをしている時、何だか無心になっている時、何処かへ、思考が旅立っている時、私は未だに考えてしまう。
想像して、思って、勝手に悲しくなってしまう。
こんな事は自分の中にだけ留めているけれど、それでも何だかモヤモヤしてグルグルして……。その事を知ってからもう4ヶ月近く経つというのに…。
繰り返す毎日の生活の中で意識して思い出す事は少ないけれど、月の周期的に落ち込むとき、ふっと思い出してしまう。まるでその時の気持ちをもう一度味わえと言わんばかりに、頭は思い出の糸を静かに引き寄せ、また思い、考える様にと私を誘い、私をその時の場所へと戻していく。
そして私はその時の事の記憶や感じた思いをまた繰り返し思いながら、何だか寂しい気持ちや悔しい気持ちを滲ませる。
どうしてそんな事に。
まったく知らなかった。
悪いところも、悪くないところもある。
私はどんどん頭にその時の記憶を肥大させ、本当にグラグラしている時は何だか今でも泣きそうになってしまう。
本当に嫌になってしまう。
私は傍観者でいたい。
苦しくて、煩わしいのは嫌だ。
そんなマイナスな事ばかり思っていたいと思うのに、駄目な時は本当に駄目だ。
少し時間を置いたり、別の事をすれば気が紛れる時が来るので、やり過ごすことは容易いが、そんなほんのひと時でも、未だに私は駄目だ。
噂好きの自分が嫌なのか。
周りの言葉に苦しいのか。
矛盾して相反している感情を抱きながら私は私の落とし所を探さなければと思う。
今は、無理だけれど…。
このnoteを綴った日から、また月日は少し過ぎ、このnoteを綴っていた時ほど悲しくなったり苦しくなる気持ちは大分なくなってきた。
これが、過ぎる日々が少しずつ流してくれるということなのかな?と思った。
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