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私の名前(エッセイ)

読みやすい名前。
読みにくい名前。
シワシワネーム。
キラキラネーム。
私の名前はどちらかというと、というか、思いっきりシワシワネームの方で、誰が読んでもその名前でしか読めない名前を親が付けた。

というのも、私の名前を考えたのは母の方で、自分の名前の教訓を生かした末の名前づけだ。母の名前の読み方は少し難しく、一回でちゃんと読んでもらった事は少ないのだという。名前を読み間違えられたりするその度に、訂正をして、こう読むんです。と、いちいち伝えるのは大変で、とても面倒だったと前に話していた。そんな経験をしていることが母の教訓となり、私の名前は百発百中で読まれる名前になった。
そんな私の名前は、本当に間違いようはなく、それにしか読めない名前なので、いちいち訂正する苦労は知らないで生きられている。ここは感謝をしている。
けれど、私の名前の漢字は、漢字自体に意味を持っているものではない。
私の名前は母方の母と、父方の母、私から見れば、祖母二人の名前から漢字一文字ずつ貰ってつけられた名前だ。
これも、これで、とても素晴らしいものだと思うものの、少し羨ましく思う名前付けがある。それは、漢字の意味と、名前の意味が合致している名前。
例えば、陽日(はるひ)。
春の日差しの様に、温かい子になって欲しい。というような漢字と名前が意味を持っている名前。
私の名前の漢字は、これには当てはまらない為、こんな風な名前の由来を持っている人に憧れる気持ちも、確かにあるのだ。

皆さんは、自分の名前の由来など、聞いたことはありますか?
良くも悪くも、名前が与える影響は人の人生に大きいなと、私は思っています。

大切だからこそ、もし名前を付ける機会があったなら、人、動物に限らず、ちゃんとしたいと思う、私だった。

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