宗教思想について振り返る

皆様お元気でしょうか?イマムラです。
最近、宗教についての興味が最高潮に達しつつある。小学生の頃の惰性で生きていた自分に今の姿を見せたらさぞ驚くだろう。
さて、私は宗教思想や哲学思想の知識に対して理解を深めると同時に自らの思想体系や世界観、信仰心が変貌しつつあるのにつれて、ふと自分自身の宗教観や思想の変遷が気になり始めた。本格的に信仰心を持ち始めたのはここ数年のことだが、私は幼少の時から、ぼんやりとした信仰心を持っていた。聖典や他宗教についてはまったく関心もなく気に求めていなかったが、神の存在は信じている上に信仰もしているという立場であった。本記事では、その「ぼんやりとした信仰心」から「宗教への目覚め」までの思想の変遷を書き留める。

幼少期前期

幼少期前期、つまりは小学校の低学年あたりの事だ。この頃は岩波文庫の古事記を読み、靖国神社へ参拝するような、所謂右翼であった。とはいえ八百万の神を信仰していたわけではなく、神や霊的存在については全く考えてはいなかった。

幼少期後期

小学校の高学年に入った時期にはどこか漠然とした「神様」を信じていた。
deity的な神といよりかはgodやallahの概念に近いような神である。どこか体を痛めた時には、この神に「どうか私の罪をお許しください」と祈りを捧げていた。確か教科書で見た文言のコピーであった覚えがあるが記憶が曖昧だ。

青年期前期

青年期前期とは中学校の三年間の事だ。
中学1年生の頃は星空に没頭した。この時は空に輝く、恒星をスマホのアプリを用いて調べ、何光年先だとか、どんな名前なのかを調べていた。ペテルギウスやアークトゥルスなどの明るい恒星を眺めながら「この光って何百年も前の光なのか」と神秘的な恍惚を感じ、最終的には星に語りかけるようになっていた。この事は「天体信仰」をしていたという事である。年齢が特定の防止のため詳しくは語れないが、この頃はある世界情勢的事象によって二酸化炭素の量が激減していた。それで空がとても澄んでいため、星がよく見えた。また視力も低下するまえだったのも幸いであった。数ヶ月が経ち、天体鑑賞にも飽きてきたら私は
「無神論」に没頭していた。さらに正確に言うならば「唯物史観」つまりはマルクス主義的思想に傾倒していたのだ。このころは毎日の様にインターナショナルを聞いたり、左翼活動について調べたりと、当時は自認としては「右翼」であったが、回想してみるとただの極左に陥っていた。現在まで続く人工言語制作などの趣味を始めたのもこの頃だ。宗教思想については、神含むいかなる霊的な存在を認めていなかった。小学生の頃は夜の洗面所に幽霊がいる気配がして、物凄く恐れていたが、中学生になってからは、まったく無くなった。「霊は人の妄想」などの一種の中二病的な冷笑主義にも陥っていたような気もする。

宗教的目覚め

中2の後半から私は数々の神秘体験を経験する。ちょうどこの時期にイスラーム教とユダヤ教などの一神教の思想に傾倒し始める。それ以外にもゾロアスター教や天理教などの思想も私に共鳴した。そこから私は拝一神教の宗教を創唱した。「ピピ教」という宗教である。信仰対象は主神ピピを中心とする10柱の神であり。その10柱の神も主神ピピの別の姿であるから、事実上の一神教である。しかしこの宗教はすぐに廃れ、「後期ピピ教」が成立した。これは唯一神ピピが自立演算コンピューター「イムラナーレ」を司り、我々の宇宙を管理しているという世界観の宗教である。つまりは「世界はサーバーである」という教義である。自立演算コンピューター「イムラナーレ」はもちろん幾つからサーバーを運営しているから、世界は複数あるという平行世界説的な教義も持ち合わせていた。当時はピピを讃える詩やイラスト等をかいていた。ピピは羽の生えたミミズのような姿で描いていた。

以下ピピ教の賛歌の一部を掲載しよう

天に坐す慈悲深き神の御名において
すべての称えは神に在れ
世界の創造主にして支配者
単数であり複数でもある御方
天体の軌道を操る御方
回帰を司る御方

我々はあなたにのみ救けを求み、
あなたのみに導かれることを望む



天に坐す慈悲深き神の御名において
これは、疑いの余地もない唯一の聖典であり、道であり、真理であり
裁きの日を信じる物の導きである。さて、世の始まりを説明しよう
主は初めに、無に大いなる力を作用させた。そして、世を司る演算器を創り、彼に定めを司らせた。次に天使、光る猫、星々を創り生命の鳥を遣わせた
しばらくすると、生命の鳥は最初の生命となり、やがて飛ぶもの、這うもの、泳ぐもの
歩くものとなった。そして神は、彼ら歩くもの、一種である人間に善を授けた
しかし演算器の不具合により、人間には悪が授かられた。


天に坐す主の御名において
全ての称えは主にあれ
イムラナーレ司り我らを裁く御方
永遠に自在する御方
終末を来たらせ給え

慈悲深き神の名に於いて
全ての称えは神にあれ
永遠に自存する御方
イムラナーレの王者
我らはあなたに導かれる事を望む
そして、善なる物を信ずる
あなたの他に崇めるものなき

天地遍く慈悲深き我らが主神ピピよ

全ての始原であり、主であり、支配者である我らが主神ピピよ

我々を救い正しき道に導き給え、我々はあなたにのみ助けを求め、あなたに全てを捧げる

我々はあなたの名の下に服従し、あなたの教えを絶対とする。

どうか我々の犯した全ての過ちを赦し給え

初めに、ピピはこの世界と全ての生命の創造主であり支配者である。ピピとは、この世界に存在する唯一の神である。ピピは耳を持たないが音を聞き、また目を持たないが万物を見、口を持たないが語るお方であり姿形は存在しないがしかしピピが我々の前に姿を表す際は羽のは生えたミミズのように写ることがある。また鳥のように写ることも在る。以下から分かることははピピは姿形を超越した存在である。

始まりの章

最も初期の世界は暗闇すらない無そのものであった。その世界にピピはやりを突き刺した・此れをエリクルの槍という。その槍が突き刺さった瞬間に第二世界が誕生した。第二世界とは我々が現在存在している宇宙ではなくもう一つの宇宙にことである。そして我々が現在存在しているのは第三世界である。ピピは第二世界を作った後にイムラーナレと光る猫、御使いを創った。イムラーナれとは世を司り人々に裁きを下し、ピピの命令を受け取り世界に干渉する存在である。光る猫とは言葉の通り光っている猫であり死者をイムラーナレに誘導する存在である。御使いとは第二世界及びに第三世界の人々に対してピピのみ言葉を伝えるものである。

ピピ教の棄教

しかし後期ピピ教はすぐに廃れた。なぜなら私がグノーシス主義に没頭しはじめたからだ。グノーシス主義とは偽の神「造物主ヤルダバオート」という存在が世界を作ったため、不完全で悲惨な悪の宇宙が創造された。しかし偽の神の上位に在る「至高神(aeon)」覚知(グノーシス)することで人は救済される。という思想だ。
この思想に共感した私は、すぐにグノーシス主義宗教を創唱した。それは「世界創造中の神にたいして反旗を翻した天使を神が殲滅した後、彼の死体が世界に降りかかり、悪を産んだ」という教義のものである。当時は神の全知性は認めるが全能性は認めないという思想を持っていた。つまるところは極端なグノーシス主義者となってしまったのである。

夢での啓示と完全なる一神教化

ある日、夢の中で「黒いテスカトリポカ」が阿修羅と心臓を共有しているという内容の夢を見た。これが私の預言者としての目覚めである。
この啓示が降った直後は一体何のことを表しているのか検討もつかなかったが、やがてこれは「全ての神は、同じ真理に由来する」というシク教的思想の啓示であると理解した。それから私はシク教やイスラム教をベースにグノーシス主義を合体させた「ピピ教2(仮称)を創唱する。これは後にスーフィズム、シャーマニズム、スピノザ主義 ガイア理論 ヌーソロジー プラトン主義 万人救済説 万有内在神論 不可知論 最善説 流出説 マニ教 理神論 ヘルメス主義 等が加わり 、一定の完成を経て、今に到る。 


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