見出し画像

【長編】とてつもない質量で恋が落ちてきた・第8話 恋人 ④

「ゲームをしているときは酷くクールに見えましたからね。さっき高柳さんと話しているところを見たら、表情が柔らかくてびっくりしましたよ」

 健史の言葉にふと神谷さんが静かに微笑んだ。

「それはそうだよ。恋人と話すときくらいはリラックスするよね」

 健史は僅かに眉を寄せた。たぶん初めてあった人なら気づかないくらいの、微々たる動きだった。けれど神谷さんはじっと健史の顔を見つめている。その変化すら見逃していないように。健史は全く動じる様子もなく口元を緩めた。

「……へえ。格ゲーのトッププロでも彼女には骨抜きにされちゃうんですね」
 
 なにも考えていないような顔をして、変な角度からつっこみをしてくるのは健史の得意技。あわてて遮ろうとしたら、神谷さんがいきなり吹き出した。その笑いは馬鹿にするようなものではなく、本当に吹き出した、という感じで、健史も虚をつかれたような表情を浮かべた。

「骨抜きねえ。確かに抜かれたかもしれないな。つきあいだしたばかりだし、彼女が可愛くて仕方ないから、難しい顔なんてしていられないよね。北川君はそうじゃない?」

 可愛くて仕方ないから。そういわれ、体温がまた一度くらいあがってしまう。健史は一瞬驚いたように瞳を見開いたあと、眉を微かにあげてため息まじりに小さく笑った。

「自分は感情を素直に出せないところがあるんです。神谷さんが格ゲーをプレイをしているときの動画、どれをみてもポーカーフェイスだから、あなたももしかしたら、そういうタイプじゃないかと思ったんです」

「普段は違うよ。……まあ俺も昔は素直じゃなかったし、斜に構えていたところはあったかもしれない。でもそんなふうにしていると色々後悔するってわかったからね。年をとったぶんだけ学習したんだよ」

 健史は瞳をしばたたかせたあと、軽くため息をついて笑った。

「ぜんぜん年をとっているようになんて見えませんけど」

「そりゃありがとう。ガキっぽいっていう意味なのかもしれないけど」

「まさか。そんな意味じゃないですよ。実際、神谷さんの言うとおりですから。……俺も悔やんでも悔やみきれないことがあるから。これからは後悔しないようにします。俺なりのやり方で」

 なんのてらいもなく、神谷さんをまっすぐ見る横顔。神谷さんもその視線を憶することなく受け止め、すっと目を細めた。

「いいんじゃないの。やりたいようにやればいい。俺も俺のやり方で悔いの残らないようにやっているだけだしね」

 健史は口元をゆるめ楽しそうに微笑んだ。

「なるほどね。理名が惚れたのもわかります。俺も好きだわ。神谷さんみたいな人」

 その言葉に神谷さんは小さく笑いながら天を仰ぐ。

「俺がゲイなら浮かれるところだけど、生憎とストレートなんでね。男からコクられても嬉しくないな」

 そういって軽く肩をすくめると、健史もそれは残念、とさらりと流して笑う。ふと会話が止まって、健史が私に目を向けた。はっとするほど強い視線。こちらの内側まで射ぬいてしまいそうで、びくりと肩が震えた。そんな健史を見たことがなかった。視線がじわりと緩み、いつもどおり穏やかな笑顔になる。

「邪魔してごめん。それじゃ俺、行くわ。またね」

「あ、うん……またね」

 健史は神谷さんにも軽く頭をさげると、同僚たちがいるテーブルに戻っていった。一瞬しーん、と間があいたあと。神谷さんが参ったなあと苦笑した。

「……あの彼、北川くん。理名の元カレだよね? で、この店に一緒に来たのも彼でしょ」

「えっ?!」

 神谷さんなら気づくかも、とは思っていたけれど、こんなふうにズバリと指摘されてしまうとなんて説明していいか言葉につまってしまう。口をぱくぱくさせている私をみて、ごく自然な口調で、はい、ビンゴ。そういって私の額を人差し指で、ちょんとつついた。

「どうして彼と別れることになったのかとか
詳しい話はしなくていいから。……いや、よくもないけど、今は聞かないでおく。だけど……」

 神谷さんはひとつ息を吐いたあと、顔を近づけて囁いた。口元には困った時に浮かぶ小さな笑み。それなのに、気持ちをぎゅっと差し込むようにまっすぐ、強くみつめられて。首筋の辺りがぴくりと震える。

「言っとくけど俺、寛容じゃないからね。年は理名よりかなり上だけど、中身はガキだし。だけど今日は仕方ない。俺がここに来たいって言ったしね」

 ため息をついて、髪の毛をかきあげる神谷さんの横顔を見つめる。それでも神谷さんはやっぱり大人だとおもう。深刻な雰囲気にならないように気を遣ってくれているのがよくわかる。でもちょっと拗ねている感じも伝わってきて。甘い痛みが私の内側からせりあがってくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?